うららかな午前九時過ぎ。例年と違ってずいぶんと寒が緩み、もう春が来たような朝だ。用はないけれど、平日の大通りをゆっくり歩くことにした。まっすぐ行き、飽きたらまた戻ってこよう。
 見慣れた商店街はクリスマス商戦から年明けのバーゲンを経て、商いと季節の端境にひと息()いているところだ。ショーウインドウに春物を一応並べてみたものの、これからが冬本番である。商棚は、半分明るくて半分どんよりしている。

 私の少し前を夫婦が並んで歩く。七十歳前後というところだろうか。この先の公園に週に一度立つ青空市場に行くのだろう。夫は買い物用のキャリーバッグを引き、妻はその腕ごと引っ張るようにしてずんずんと歩いていく。ショーウインドウには見向きもしない。
 腕を取られた夫が、前からゆっくり歩いてくる同年輩の男性に向かって、親しげに手を振り、
 「おう、何してるんだ?」
 久しぶり、でもなければ、おはよう、でもない。知人はいきなりかけられた声にすかさず、
 「あんたと同じことをしてるんだよ」
 お互いに同様の身の上じゃないか、わざわざ訊くまでもないだろ、という感じ。
 妻はお愛想笑いしただけで、すぐさま夫の腕をぐいと掴み直して前へ進めと無言で催促している。
 ぶらぶら歩いてきた知人はそのまま、またな、というふうに目と口端だけくいっと上げて、これといった世間話もせずにすれ違っていった。
 男性二人は、年金生活者である。

 広場に面したバールに入る。早朝から入ってくる人ごとに、エスプレッソマシーンが勢いよく蒸気を吹き出している。カップが触れ合う音、無言で飲み干して出ていく通勤や通学途中の人達の足音で騒がしかった店は、九時を過ぎるとゆったりとしている。
 入店した客がカウンターに着き注文を告げる前に、
 「白ですか。それともお印を付けましょうか」
 若いバールマンが尋ねている。客は慣れた様子で、親指を下に向けて振ってみせる。
 かしこまりました。
 すかさずカウンターの上にワイングラスを置いて大瓶から白ワインをたっぷりと注ぎ、上からルビー色の甘いリキュールを加えた。カラカラカラ……。攪拌(かくはん)されてピンクに染まったワイン入りのグラスが、カウンターの上を滑る。
 目を細めて客はグラスを携え、店の奥の席へ着く。同年輩の、似たようなダウンジャケットを着込み毛糸の帽子を被った男性達が五月雨式に二人、三人、店に入ってくる。各人各様に濃さが異なるピンクのワイン入りグラスを持って、奥の席に集まる。
 面子が揃ったところで、バールマンがピーナッツやひと口サイズに切ったフォカッチャやポテトチップスを盛った小鉢を年金族の輪の真ん中に置く。やっと朝の十時を回ったところだ。

 


 一杯が二杯に、二杯が三杯くらいになったところで、「また明日な!」。
 その輪には加わらず、隣のテーブルでバールに備え付けの新聞数紙を積み、順々に読んでいる老人がいる。痩せたのか、首回りがぶかぶかした綿シャツは、プレスし立てだ。襟周りの隙間にスカーフを巻き、火の消えた空パイプを口の端で噛んでいる。彼が新聞から目を上げる瞬間をバールマンは見逃さない。
 「コーヒー、お代わりですね」
 そう言いながら親指でコーヒーカップを指しながら、<入れますか?>と尋ねている。グラッパでエスプレッソコーヒーを割るのか、と訊いているのだ。朝から、アルコール度四十度で五臓六腑に火が点く。

 ガラス越しに射し込む冬の長い陽を背に受けて、じっと目を閉じている高齢の男性がいる。その後ろのテーブルでは、朝からカードゲームに興じる熟男性達がいる。
 もう朝ではないがまだ昼には早い、平日のこの時間帯の町のあちこちには、周囲とは速度の異なる時間を過ごしている人たちがいる。
 さて。この年代の女性陣は、どこで何をしているのだろう。