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インドの神話世界

2019年1月23日 インドの神話世界

6 神話学からみる『バーフバリ』4

著者: 沖田瑞穂

 インド映画『バーフバリ』には、実は豊かに古代の叙事詩のモチーフが表現されていることが、前回までのお話で明らかになってきたかと思います。今回は、映画のデーヴァセーナと、アマレンドラの神話的背景を考えてみることにしましょう。
(以下、映画『バーフバリ』に関するネタバレが含まれています。ご注意ください)

映画『バーフバリ 伝説誕生』より。 ©ARKA MEDIAWORKS PROPERTY, ALL RIGHTS RESERVED.

デーヴァセーナとドラウパディー

 映画で、シヴァ寺院に参拝するため高貴な身分にもかかわらず列に並ばされたデーヴァセーナ。列の上では、女性たちの身体を触り、「次はおまえだ」と自分の身体をも触ろうとするセクハラ将軍・セートゥパティが待ち受けています。しかしデーヴァセーナは迷わず彼の指を刀で切り落とします。
 この罪に問われて両手首を縛られて裁きの場に立たされたデーヴァセーナを、アマレンドラが救いに来ます。アマレンドラは、デーヴァセーナから事情を聞くと、「そなたが切るべきは指ではない!首だ!」と言ってセートゥパティを斬首します。この行動がシヴァガミの怒りをかい、二人は追放されることになります。二人は装飾品をすべて捨て、庶民たちとともに暮らすことになります。
 この場面は、『マハーバーラタ』で、パーンダヴァ五兄弟と、兄弟の共通の妻(一妻多夫婚という稀な結婚形態です)ドラウパディーが王国を追放される場面とたいへんよく似ています。

 パーンダヴァ五兄弟の長男ユディシュティラは、徳高い「聖王」ですが、賭博に目がないという唯一の欠点があります。従兄弟のドゥルヨーダナが叔父のシャクニと計画したいかさまの骰子賭博に敗れ、王国を12年間追放され、13年目は誰にも正体を知られずに暮らさなければならなくなります。兄弟とドラウパディーは装飾品や豪華な衣装を外して質素な姿となり、森へ行きます。市民たちは嘆き悲しみ、兄弟たちの後について離れませんでした。(第2巻第43章~第72章)

 王国を追放される妃と夫のモチーフ、装飾品をすべて外すモチーフなどが共有されています。また、民に歓迎されるというところも同じです。

 ドラウパディーとデーヴァセーナの類似は、気の強い女性同士ということでしょうか、他にもあります。ドラウパディーは追放期間中、何度もユディシュティラに、戦争をして王国を奪還することを求めます。いかさま賭博による追放に納得せず、王国奪還をひたすら求めて延々と愚痴を並べるドラウパディーを、ユディシュティラは法を説きながらなだめます。
 このように「王位奪還を求める」という点でみてみると、デーヴァセーナも、安産祈願の場面で、アマレンドラの王位奪還を声高らかに求めています。これが引き金となってシヴァガミによるアマレンドラ暗殺の指令が出るまでに至ります。
 ドラウパディーとデーヴァセーナ。どちらも激しい気性の「ファム・ファタル」、運命の女、ですね。

 このような形でドラウパディーと夫たちの追放をなぞることによって、映画『バーフバリ』はインドの人々の心深くに刻まれた記憶を呼び覚ます役割を果たしているのでしょう。神話は古代の遺物などでは決してなく、現代まで連綿と生きていて、形を変えつつも繰り返し再現され、人々に感動を与え続けるのです。そのことを、『バーフバリ』は証明してくれています。
 また、追放の王と王妃のモチーフは、インドの人々だけでなく広く世界の人々に哀愁を感じさせもします。

アマレンドラは英雄複合?

 アマレンドラは、『マハーバーラタ』の主役であるパーンダヴァ五兄弟のうち、上の三人の特徴を併せ持っていると考えられます。徳高い「聖王」という点ではユディシュティラの要素、三本の矢を射る戦士という点ではアルジュナの、怪力の戦士という点ではビーマの要素を、一身に兼ね備えているのが、アマレンドラ・バーフバリなのです。

 まずは、ユディシュティラとの類似からみていきましょう。
 ユディシュティラは、戦争ではほとんど活躍しませんが、何より重要なのは、「王」である、ということです。弟のアルジュナとビーマは「戦士」としてユディシュティラに仕える立場にあります。ダルマ神を父にもつという生まれにふさわしく、「聖王」として、人々に愛される国王となります。
 そのユディシュティラの「聖王」としての「正しい選択」があらわれる場面があります。夜叉(実はダルマ神)の守る泉で四人の弟たちが死んでしまった時、この夜叉の問いかける法に関する質問に的確に答えたユディシュティラは、最後に、「一人だけ弟を生き返らせてやる」と言われ、「ナクラ」を選びます。アルジュナやビーマといった同腹の弟ではなく、異母兄弟をあえて選んだのです。それは、自分たちの母と、ナクラたち双子の母、両方の母たちを平等にするためである、という法にかなった選択でした。この選択に満足した夜叉は結局、兄弟全てを生き返らせました。(第3巻第295章~第298章)
 アマレンドラも、「選択」をする場面があります。デーヴァセーナを連れてマヒシュマティ王国に戻ったアマレンドラでしたが、シヴァガミは気の強いデーヴァセーナに激怒し、アマレンドラに、王位か、デーヴァセーナかを選ばせます。アマレンドラは、どちらが法にかなっているかを考え、またデーヴァセーナとの約束を思い起こし、デーヴァセーナを選びます。

 ユディシュティラもアマレンドラも、本来選ぶと思われそうなもの、同腹の弟の命や、王位を選びませんでした。ここに、彼らの「徳の証明」がなされているものと思われます。

 無比の英雄として、アマレンドラは『マハーバーラタ』のもう一人の兄弟の戦士、アルジュナ的でもあります。特に「三本の矢」のモチーフを共有しているところが興味深いです。アマレンドラはクンタラ国に滞在している時に蛮族の大軍に襲われ、一人戦います。そのとき、デーヴァセーナに「三本の矢」を射る方法を教えます。こうして二人が共に弓を構えて戦う場面は本作品のハイライトでしょう。
 アルジュナも「三本の矢」を射るとされています。
 さらに、棍棒を持って戦い、肉体的な強靱さを見せる点では、もう一人の兄弟、ビーマに似ています。

 このようにアマレンドラは、『マハーバーラタ』の主役の三兄弟の姿を、それぞれあらわしていると言えます。

 意外にも、アマレンドラの姿の原型は、他地域の神話にも見られます。ケルトのクー・フーリンです。ケルト神話については、シヴァガミと王権の女神のところでも比較しました。インドとケルトはインド・ヨーロッパ語族の分布地域の東の端と西の端ですが、似たところが多いのかもしれません。

 まず、クー・フーリンの神話を紹介しましょう。

 話の発端はコナハトの王宮であった。コナハトの王アーリルと女王メイヴが互いの財産を比べた。王の所持する牡牛を除いて、両者は互角であった。この牛に匹敵するのは隣国アルスターにいる牡牛「クーリーの褐色」のみ。女王はこれを手に入れたいと願い、やがて両国は戦争になった。
 戦争が始まったものの、コナハトを迎え討たなければならないアルスターの軍は、女神マハの呪いによって戦うことができない状態にあった。少年戦士のクー・フーリンだけは呪いを免れたので一人で戦い、侵入を食い止めた。メイヴは復讐に燃えた。クー・フーリンは絶対的な禁忌(ゲッシュ、誓約)を守らなければならず、それを破ると災厄に巻き込まれるのだが、彼は禁忌を犯さざるをえない立場に置かれ、敵の魔法と詐術によって倒された。傷の痛みに苦しみながら、クー・フーリンは飛び散った自らの内臓を集め、湖に行ってそれを洗って身体に収め、石の柱にベルトで自分の体を固定し、立ったまま死んだ。戦いの女神モリガンが烏の姿をしてやって来て、英雄に最後の別れを告げた。(井村君江『ケルトの神話』ちくま文庫、1990年、183-204頁を参照)

 類似点は、「死の場面」です。クー・フーリンは、立ったまま死にました。アマレンドラは、死の直前に石の上に座り、宝剣を突き、「ジャイ・マヒシュマティ!」と叫び、命尽きました。どちらも、英雄らしく、横たわっては死なないのです。日本人の「畳の上で死ぬ」のような平穏な最期は、英雄にはふさわしくないのですね。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
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それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
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「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

沖田瑞穂

おきた・みずほ 1977年生まれ。学習院大学大学院人文科学研究科博士後期課程修了。博士(日本語日本文学)。中央大学、日本女子大学、等非常勤講師。専門はインド神話、比較神話。主著『マハーバーラタの神話学』(弘文堂)、『怖い女』(原書房)、『人間の悩み、あの神様はどう答えるか』(青春文庫)、『マハーバーラタ入門』(勉誠出版)、『インド神話物語 マハーバーラタ』(監訳、原書房)、共編著『世界女神大事典』(原書房)。

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