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御つくりおき――京都のひととモノとのつきあいかた――

2019年1月25日 御つくりおき――京都のひととモノとのつきあいかた――

21 「いますぐここでお薄一服」したくて河原町五条の「開化堂」と一緒に散歩茶筒を考える

著者: 入江敦彦

 何年くらい前でしょうか。旬のパティスリーをいち早く紹介してくれることで定評のあるパリ、ギャラリー・ラファイエット百貨店グルメ館(Galeries Lafayette Gourmet)の舳先へさきにあるポップアップカフェで目を瞠るようなケーキに出会いました。ひさしぶりに「わーっ」と声が漏れるような上等の味。「Arnaud Larher」。もはや支店も増えて人気を不動のものにしている店ですが、当時はまだデビューしたてでした。
 翌日の予定をすべて変更したのはいうまでもありません。モンマルトルの丘をえっちらおっちら登って、住宅街の中にポツンとある店を訪ねました。あれこれ買って、後ろ髪引かれながらも、さて、帰りましょうかねというところで店員さんに引き留められたのです。
 「できたてほやほやよ。おひとついかが?」と蝋引き紙に載せて差し出されたのは、まだかかったグレーズが湯気を立てているマロングラッセ。店の片隅で回っていたクラシカルな糖蜜かけ機(!)から乾燥にかける前の〝生〟をトングで直接取ってくださったのです。
 遠慮する間もあらばこそ、メルシのシの字も言い終わらぬうちわたしの口中に半分消えていました。それは絶にして妙。相当に意地汚い人生を送っているはずですが、いまだに忘れられない味です。
 実をいうとこれが忘れられないのには、もうひとつ大きな理由があります。それはマロングラッセを食べ終わった瞬間、猛烈に沸き起こった「いますぐここでお薄一服いただきたい!」という衝動ゆえ。リアル〝饅頭こわい〟。

これがLarherのマロングラッセ。新栗シーズンが来ると腕自慢の フランス菓子屋は競って「おらが味」を店先に並べる。秋にパリへ ゆく楽しみのひとつが、この食べ歩き。ほっぺた落としながら散歩。

 もちろん珈琲でも紅茶でも、あるいは中国や日本のお茶でもよかったでしょう。しかしわたしには確信がありました。丁寧に点てたお抹茶こそが最も互いの味覚を引きたてあうに違いない。しかも、この菓子に相応ふさわしいクオリティをなによりも気軽に、いまこの場で再現するとしたら、それはもしかしたら一見ハードルが高そうなお抹茶がなにより簡単かも、と。
 そのときはアイデアというより稲光めいた思考の閃きでしかありませんでした。けれどその閃光は存外わたしの深いところまで届いていたようです。以来旅先で、いや、むしろ毎日の暮らしの中で、散歩中に野暮用中に発見したちょっといけてる甘いものに出会うたびにお薄一服の強迫観念オブセッションはどんどん募ってゆきました。
 ヘレン・ケラーの「ウォアァァ」ではありませんが、こういうときは何かきっかけがあれば捉えどころのない想念がいきなり具体的な形になったりするものです。攪拌するうちしゃばしゃばだったクリームが突然硬くなるような具合。今回はそれが水筒でした。水筒というか昨今のエコブームの影響で携帯する人が増えた保温マグ。銅色のシンプルな筒状で、なかなか格好いい。
 ああ、これ開化堂さんの茶筒と同じサイズ感やな。

普段よく使っている開化堂の茶筒たち。撮影用に磨いたりせず普段の姿をご紹介。この他、 毎日手に触れる番茶用ブリキ一貫目缶(4kg)などまだまだ持ってる。みんな活躍してる。

 ―というのが第一印象。
 そのあとはドミノが倒れて図形が現れるみたいでした。並べたら面白いやろな…というところから、でも茶筒と保温マグを揃えても意味ないか。あれ、ちょっと待てよ。ならなつめにできる大きさとやったらどうやろ。あとは茶筅ちゃせんさえあれば、いつも考えてる「いますぐここでお薄一服」が実現するんちゃうか? いっそ開化堂さんが最近作らはった二階建てダブルデッカー茶筒にして、上段にお抹茶、下段にお茶筅を仕込むゆうのはどうやろ。
 保温マグを購入して家に帰りつくまでに、わたしの脳内では棗と茶筅容れが一体化した【散歩茶筒】はもはや完成していました。
 興奮覚めやらぬまま「隆裕くん! 隆裕くん!」と尻尾をぶんぶん振る犬もかくやの調子で開化堂若社長にメールを送付。長い付き合いというのは有難いものですね。マロングラッセから始まる妄言を打てば響くで理解し、御つくりおき依頼を受けてくれました。
 「そやかて煎じ詰めればお茶を点てるうえで、どうしても必要なんは抹茶と茶筅だけやん。お湯はどこなとでも貰えるし、件の携帯マグに入れてけば景色も上等。茶盌ちゃわんは旅茶碗(野点などに用いる小ぶりの盌)でも、なんならマグでも湯呑みでも借りれんことないし」
 しかしです。注文はしたもののこの段階では実体化の現実性は皆目わかりません。隆裕くんもわたしの言わんとするところは理解できても物理的に可能かどうかは手を動かしてみるまで見当がつかないのがこの御つくりおきでした。前回紹介した掛け花筒と異なるところはそこです。単純に見えて既存品のアレンジでは済まない構造が要求されたからです。
 なにより閃きが形になるまでにわたしが時間を必要としたように、アイデアが彼の頭のスクリーンで像を結ぶまでにも同様のスパンが不可欠でした。設計図があるわけじゃありませんから。いわばわたしの思いつきを超えてよりよいものを一緒に完成させたいという気持ちがあればこそのタームが必須だったのです。
 妄想クリームがほどよく泡だつまで無意識かつ断続的に掻き混ぜ続けなければいけないように、職人にも絵空事を本物にするまでには(突拍子のなさ加減にもよるでしょうが)一定のタイムスケールがいる。新しい発見でした。でもって固まりだしたら早いというのも同じ。
 ちょうど帰国時に仕上げのタイミングを合わせてくれたので何度か打ち合わせをし、次第にプロトタイプが整ってゆく様はまるで夢が叶うプロセスを間近に観察するような気分。さらには、いかに開化堂の茶筒が精密で緻密なディティールの集積によって構築されているかを実感するまたとない機会にもなってくれました。

熟練の職人は手を動かしながら晩御飯のおかずの相談をするという。また、そのくらいで ないと人様の前に出せるものは作れないのだとも。つまりは〝体が覚える〟ということ。

 散歩茶筒がいよいよ完成をみた日、たまたま居合わせた「金網つじ」の若大将、辻徹くんも交えて、隆裕くんがオーナーを務める「開化堂カフェ」の二階にあるプライベートルームで茶室開きならぬ筒開きを催しました。わたしがご縁を取り持たせていただいて、いまやお店の名物になった「中村製餡所」のもなかを伴に一服。マロングラッセからの道程がついにゴールを迎えた感無量。
 すぐ傍なんだから賀茂川堤で点てましょうかという説もあったのですが、本来の目的に沿って、それは「いますぐここでお薄一服」のモーメントを待ちましょうということになりました。そんな計画を話しているだけで、なんとも心が踊ります。拵えてもらって本当によかった。

発想から7年半。生まれたての散歩茶筒が産湯のような春の光につややかに耀います。 経年変化は開化堂の醍醐味。けど今回は、もう少しこの風合いを味わっていたかった。

 ちょっと本題から逸れますが、出来上がって間もなくから〝おもろい〟ことが起こりました。散歩茶筒なんて名づけたもんだから、ふらふら勝手に徘徊するのかもしれません。
 それは武者小路千家15代家元後嗣の宗屋くんから茶事にお招きいただいた際のことです。彼とのお喋りはいつも緊張と緩和が目まぐるしく押し寄せる感覚に酩酊にも似た快楽を味わわせてもらえます。その日も利休さんのマキャベリズムから「にじり口は狭いほうが気持ちいい」なんて艶笑まで酒を酌み交わすがごとく話題は多岐に亘り、それはもう愉快に過ごしました。
 茶人の極みにいる宗屋くんと、意識的に素人でありたいと願うわたし。けれどふたりの会話は不思議なことにいつも如何にして茶の歓びをより多くの人たちに四達遍満したつへんまんしてゆけるかという談議に転がっていきます。
 窓の外にけぶる東京タワーを眺めながら宗屋くんは言いました。「どうしても必要なんは抹茶と茶筅だけ」「お湯はどこなとでも貰える」「茶盌はマグでも湯呑みでも」。
 あれ? それどっかで聞いた台詞。
 そやねん! わたしは喜色満面で申告したものです。ほんでね、いまそれを実行するための道具を開化堂さんで作ってもろてますねん。まだ試作品やけど献上してよろしやろか? もちろん彼は快く承知してくれました。
 というわけで現在、隆裕くんと宗屋くんはちょくちょく会って武者小路千家好みの散歩茶筒を検討しています。「入江さんの目的でやったら、これでええんです。そやけど僕は用途が違うさかい」ということで一筋縄ではいかないようですが、きっといつか彼が新たな茶道具として佩帯はいたいできるようなものを隆裕くんなら拵えてくれるでしょう。
 閑話休題。散歩茶筒の散歩デビューはロンドンでも京都でもなく花の都パリでした。というのもルーブル宮の右翼棟にある装飾美術館ミュゼ・デ・アート・デコラティフで開催された「ジャポニスムの150年」展へ開化堂の茶筒が出品されることになって、そのプレミア・レセプションに招待してもらったからです。
 最初に考えたのは、やはりくだんのマロングラッセでしたが隆裕くんの仕事現場から離れすぎている。けれど物事がうまく運ぶときというのは天の配剤めいたものがあります。現在、フランスで最も才能があると噂の菓子職人セドリック・グロレ氏の店「La Pâtisserie du Meurice par Cédric Grolet」がオープンしたのを思い出しました。
 彼の作る芸術品は本式の茶事に主菓子として出しても遜色ない気韻を備えています。しかしカフェを併設していない。まさに散歩茶筒の出番! です。
 当日が暑からず寒からずですべっと晴れたのも天の配剤ならば、どこで一服しようかと目の前のリボリ通りを渡ったチュイルリー庭園を見渡した瞬間に全員の目が同じ場所に集中したのも天の配剤でしょう。やはり出品者だった辻くんが今回も一緒だったのも、もしかしたら天の配剤のような気がしなくもありません。
 当然ですがハナから万全というわけにはまいりません。最大の誤算は散歩茶筒誕生の切っ掛けとなった携帯マグの保温時間。点てたお抹茶がアイスグリーンティになってしまってようやく気づいたという駄目駄目。幸い選んだのがレモンの酸味が横溢するケーキだったので合わなくはなかったのですが、あまり慰めにはならなかった。

公園で茶を点てていると散歩中のみなさんから「それはMatchaね!」と声がかかる。 興味ある人は実に多い。散歩茶を続けながら道行く人々に一服を振舞い、風狂のように 一期一会の精神をこちらで広めてゆきたいと思っている。わたしの晩年の楽しみのひとつ。

 けど、それでも、終始笑顔で楽しめました。わたしのやっている写真共有アプリはインスタ映えには程遠いのですが、このチュイルリー茶会の様子を見た千宗屋くんが「ご相伴に与りたかったです」とコメントくださったのは、きっとみんなの気分が伝わったからでしょう。心底いてはらんでよかったとも安堵しましたが(笑)。彼に冷やし抹茶を飲ませなあかんとこやった。
 それでもめげずに翌日は個人的な想い出が詰まったボージュ広場で、入江ランキングで現在パリのパティスリー第一位の「Patisserie Pain de Sucre」のマロングラッセを購入して一服。さらには滞在しているホテルの近くで遭逢したショコラティエ「Denver Williams」で乳成分を一切混ぜていない、なのに優雅にまろやかなプラリネを教えてもらい夕暮れのマルタン運河で一服。
 ああ、世界中にはまだまだ知らない美味しいお菓子がいっぱいある! 素晴らしいマリアージュが隠れている! と確信した次第。散歩茶筒さえあれば、それらと上々吉のお薄をともにいただけるのです。わたしはこの道具をモノポリーにするつもりはないので、興味のある方はどうぞ開化堂でお尋ねください。
 ちなみに保温時間問題も解決しました。リサーチを重ねた結果「京セラ」の携帯マグ【セラブリッド350ml】が径も高さもまるで誂えたようにぴったりだったのです。つがわせても違和感なし。セラミックなので水の味が変わらないのも有り難い。京都の会社で伴侶を得られるとは。これまた天の配剤也や。


Galeries Lafayette Gourmet https://haussmann.galerieslafayette.com/category/maison-gourmet/le-lafayette-gourmet/
Arnaud Larher https://arnaudlarher.com/
開化堂 https://www.kaikado.jp/
開化堂カフェ www.kaikado-cafe.jp/
中村製餡所 www.nakamura-seiansho.com/
パリ装飾美術館 https://madparis.fr/
La Pâtisserie du Meurice par Cédric Grolet https://www.dorchestercollection.com/en/paris/le-meurice/restaurants-bars/patisserie-meurice/
Patisserie Pain de Sucre www.patisseriepaindesucre.com/
Denver Williams http://denverwilliams.fr/

イケズの構造

2007/08/01発売

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

入江敦彦

いりえあつひこ 1961年京都市西陣生まれ。多摩美術大学染織デザイン科卒業。ロンドン在住。作家、エッセイスト。主な著書に、生粋の京都人の視点で都の深層を描く『京都人だけが知っている』、『イケズの構造』『怖いこわい京都』『イケズ花咲く古典文学』や小説『京都松原 テ・鉄輪』など。『秘密のロンドン』『英国のOFF』など、英国の文化に関する著作も多数。最新刊は『読む京都』。(Photo by James Beresford)

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