みなさんはサンスクリット語と聞くと、どのようなイメージを持たれるでしょうか。「インドの古典語」、「西洋のラテン語に相当する位置づけ」、と思われるかもしれません。もちろんその通りです。ですが、それだけではないのです。今回から数回かけて、サンスクリット語という言語がそもそもどういうものなのか、そしてその現代的意義とは何なのか、みていくことにします。

『マハーバーラタ』原典 The Mahābhārata, 19vols. for the first time critically edited by V. S. Sukthankar. Bhandarkar Oriental Research Institute (Poona), 1933-1966.(写真は第1巻冒頭)
 

わたしのサンスクリット語学習
――極力、無理に覚えようとしない

 サンスクリット語を学び始めたのは、東海大学の学部一年の時でした。初等文法の先生は「マヌ法典」(古代インドの代表的法典で、サンスクリット語の韻文で書かれている。前2世紀から後2世紀の成立)研究で有名な渡瀬信之先生。入学前から先生の『マヌ法典――ヒンドゥー教世界の原型』(中公新書、1990年)を読んで初回授業を楽しみにしていました。最初の授業で先生は、「無理に細かい文法を暗記しなくてもいい」と言われました。サンスクリット語の複雑な名詞・形容詞の曲用(性・数・格に応じた変化)、動詞の活用を、すべて覚えなくてもよいと。ただ、よく使うものは自然に覚えていく、それと同時に「勘」が鍛えられていくから、それでよいと。この言葉は、サンスクリット学習だけでなく、その後の私の研究生活にとって、とても重要なものとなりました。
 一般的に語学、とりわけ古典語は、暗記が命、といわれます。記憶力で勝負してすべての文法事項をたたき込むような教授法が一般的でしたし、いまでもそうだと思います。
 私の先生が暗記の代わりに教えてくださったのが、文法ノートを作成することでした。細かい文法事項を、すべて自分の手で書いて作りました。こうして先生の指導のもとで作成した手製の文法ノート、B6サイズの京大式カードを、今でも愛用しています。何度も書き直し、ヴァージョンアップしながら、大切にしています。
 「暗記は極力せずに」、「自分の文法ノートを作る」。そして覚えることは、「文法ノートのどこを見ればその問題を解決できるか」、そこに絞る。その方法でなら、他の古典語もなんとかなるだろうと思い、大学の学部3年の時に古典ギリシャ語を、大学院の博士1年の時に古代ノルド語(インド=ヨーロッパ語族のゲルマン語派に属する。北欧ゲルマンの神話が書かれている)を、勉強しました。その上で、それぞれの言語の重要な神話原典を読むことができたのはよい経験でした。
 古典ギリシャ語では有名な「パンドラ」の神話を読みました。パンドラの話のどこにも「箱」など出てこない、ということが確認できたことは大きな収穫でした。パンドラが開けたのは「箱」ではなく「(かめ)」、ギリシャ語で「ピトス」なのです。ですので、本当は「パンドラの甕を開ける」と言わなければいけないところです。
 ゲルマンの神話が書かれている古代ノルド語では、『エッダ』の「巫女の予言」を読みました。太古に生まれ、巨人たちに養われたという原初の巫女の語る、この世の生成から滅亡までの物語。その特異な雰囲気に圧倒されたものです。

インド=ヨーロッパ語族の一つとしてのサンスクリット語

 サンスクリット語は「インド=ヨーロッパ語族」という言語の仲間です。インド=ヨーロッパ語族というのは、文字通りインドからヨーロッパにかけて広く分布している、言語の「家族」です。
 このインド=ヨーロッパ語族の発見は、そう古いことではありません。1786年のことです。イギリスのインド学者にウィリアム・ジョーンズという人がいて、この人が、言語の「家族」という考えを最初に思いついたと言われています。
 彼は、西洋の上層階級の人々がそうであったように、西洋の古典語であるラテン語や古典ギリシャ語を習得していました。それに加えて、サンスクリット語に出会ったときに、彼は気づいたのです。これらの言語がいかによく似ているか、ということに。その類似は、これら三つの言語に限らず、もっと広く認められるということにも気づきました。そこで彼は、これらの言語が一つの「源」を持つ、同系統の言語であるという「直観」を得ました。
 彼は論理的にこれを検証したわけではなく、あくまで思いつきであったといいます。しかしながら、彼の「直観」がきっかけとなって、アジアとヨーロッパにまたがる広い地域の言語を比較研究するという学問が成ったのです。「比較言語学」の誕生です。この「比較言語学」の子どもとして、「比較神話学」が後に成立することになります。

 インド=ヨーロッパ語族の発見について、彼がインドのカルカッタで行った講演があります。その中で、最も有名な部分を紹介しましょう。

 サンスクリットは、その古さはどうあろうとも、驚くべき構造をもっている。それはギリシア語よりも完全であり、ラテン語よりも豊富であり、しかもそのいずれにもまして精巧である。しかもこの二つの言語とは、動詞の語根においても文法の形式においても、偶然つくりだされたとは思えないほど顕著な類似をもっている。それがあまりに顕著であるので、どんな言語学者でもこれら三つの言語を調べたら、それらは、おそらくはもはや存在していない、ある共通の源から発したものと信ぜずにはいられないであろう。これはそれほどたしかではないが、同じような理由から、ゴート語とケルト語も、非常に違った言語と混じり合ってはいるが、ともにサンスクリットと同じ起源をもっていると考えられる。またもしこの場でペルシアの古代に関する問題を論議してもよいならば、古代ペルシア語も同じ語族に加えられよう。(風間喜代三『言語学の誕生』岩波新書、1978年、13-14頁より引用)

 それでは、インド=ヨーロッパ語族の言語はどのように似ているのでしょうか。わかりやすいのが、単語の類似です。三つほど、具体例を挙げましょう。下記の単語の左肩のアステリスク〔*〕は、現代にはもはや存在しない、「インド=ヨーロッパ語族が分岐する以前の祖先の言葉」、すなわち「インド=ヨーロッパ祖語」であることを表しています。そこから、さまざまな言語に少しずつ変化しましたが、基本的な音韻構成は変わっていません。

 たとえば「母」という単語をみてみましょう。

mātēr(インド=ヨーロッパ祖語「母」・マーテール)

mātā(サンスクリット語・マーター)  mḗtēr(ギリシャ語・メーテール) māter(ラテン語・マテル) mođir(アイスランド語・モジル) mother(英語・マザー)

 というように、とてもよく似ていることが分かります。次に、「父」をみてみましょう。

pətḗr(インド=ヨーロッパ祖語「父」・パテル)

pitā(サンスクリット語・ピター)  patḗr(ギリシャ語・パテル)  pater(ラテン語・パテル)  fadar(ゴート語・ファダル)  father(英語・ファーザー)

 この場合、ゴート語と英語のみ、最初の子音がpではなくfとなっていますが、pとfはどちらも唇で発音する音で、発音位置が近いために互いに交替しやすい子音なのです。

 最後に、「名前」という単語も、とてもよく似ています。

nomen(インド=ヨーロッパ祖語「名前」・ノーメン)

nāman(サンスクリット語・ナーマン)  onoma(ギリシャ語・オノマ)  nomen(ラテン語・ノーメン)  name(英語・ネイム)

 サンスクリット語の学びはじめの頃に鮮烈に印象に残ったのが、サンスクリット語のnāmanと英語のnameの類似でした。インドの古典語と英語が、こんなところでつながっているとは!と、感動したものです。

 このように、インド=ヨーロッパ語族の分布の東の端にあって、西の言語と兄弟関係にあるサンスクリット語は、日本にも深い影響を与えています。仏教を介して日本に入ってきたからです。
 たとえば、「旦那」という単語があります。一般に夫を指す言葉として使われます。このダンナという言葉はサンスクリット語の「ダーナ」という言葉に由来します。「ダーナ」とは、「贈り物」「布施」の意味。「ダーナ・パティ」で「贈り物の主」、「布施をする人」になります。これが日本に入って、最初は「檀家」の意味で用いられていましたが、「旦那」として一般の家庭でも用いられるようになったのです。
 もう一例挙げたいと思います。お墓に行くと、卒塔婆(そとば)が立てられているのを見ることがあります。細長い木の板に、梵字が書かれているものです。あの卒塔婆の語源は、サンスクリット語の「ストゥーパ」です。ストゥーパとは、本来は土を盛り上げて作った墓のことでした。仏教では仏陀の遺骨などが納められたいわゆる仏塔を指します。これが音写されて「そとば」として日本に入ってきて、墓場の細長い板をさすようになりました。先端の形がストゥーパに似ていて、その名残を留めています。