メアリー・ポピンズて結局どんな人やったっけ? と考え始めると、子供さんの面倒見る人やっけ? アルプスにおる人やっけ? エーデルワイス歌う人やっけ? とすごい早さで『サウンド・オブ・ミュージック』と混ざってしまう。映画を観たという人は、バンクス家に突然現れた四人の子供の世話係です、と答えられるかもしれないけれども、とりあえずわたしにはよくわからない人だった。えーと傘持ってたっけ?
 それで児童文学だし、子供たちの面倒を献身的に見たり、優しかったり、情操の発達に一役買ったりするメルヘンな明るい良い人なんだろう、知らんけど、と思いながら読み始めたら、いきなり裏切られた。風が運んできてバッグとともに玄関に放りつけられたようなその人、つやつやした黒い髪をしていて、やせていて手足が大きい、オランダ人形みたいなその人は、自分が面倒を見にやってきた四人の子供たちについて雇い主のバンクス夫人に「ちっとも、せわがかかりませんよ」と言われると、その話を信用していないみたいに鼻をフフンとならし、保証人の話を持ち出されると「たいへん旧式です。時代おくれ、と申してもよろしいでしょう」と一刀両断にする。彼女、メアリー・ポピンズは持ち物の大きなバッグをかかえて階段の手すりをすべりあがり、これで話が決まったとほっとするバンクス夫人に向かって「ええ、わたくしのほうでいやになるまでは」と言う。かばんに何も入ってないじゃんと長男のマイケルに指摘されるとキッと怒り、味が変化する不思議なシロップをいきなり取り出して子供たちに与え、ずっといてもらいたいと言われると「風が変わるまではいましょう」と答える。
 高飛車で愛想がない、意味がわからない、でもしびれる。最初から最後まで、メアリー・ポピンズはこのハードボイルド世話係と言っても過言ではない態度を貫き通す。フフンと鼻で笑うけれども、にっこり微笑んだりはしない。しかもメアリー・ポピンズはたいへんうぬぼれが強いらしく、ショーウィンドーの中に映る自分を眺めるのが大好きだ。興味深いのは、メアリー・ポピンズが自分のどこを見ているかというと、服や帽子や姿勢がちゃんとしているかということや、自分のはいてる靴はいけてるということ、そして評価は「自分ほどスマートできわだった人は今までに見たこともない」で、要するに「自分は美人か?」ではなく「自分はきまっているか?」を主に見ているということだ。外出のエピソードがあるたびに自分の姿をのぞき込んでは悦に入るメアリー・ポピンズが、挿し絵の得意げな表情も併せてたまらなくおもしろく思えてくる。絶対に本人は怒るだろうけれども、ウケると言ってもいい。
 突然家にやってきた愛想のない有能で変な女メアリー・ポピンズは、一切のアナウンスもリクエストを聞く姿勢もなく、子供たちを自分の連れていきたいところに連れていき、会いたい人に会う。笑いガスで浮かび上がるウィッグさんという名前のはげたおじさんがいたり、母親が牛と知り合いだったり、誕生日をコブラに祝ってもらったりする。子供たちを連れてジンジャー・パンを買いに寄ったみすぼらしい店の店主のおばあさんが、指を折ってジョンとバーバラの赤ちゃん双子に与えるとむぎアメに変化し、おばあさん自身も毎回生え代わって何になるのかわからなかったり、クリスマスの買い物で行った百貨店には、プレアディス星団の二番目の娘であるマイアが来ていたりする。それらのあらすじは確かにメルヘンなのだけど、メアリー・ポピンズ自身にメルヘンとしてプレゼンテーションする気がまるでなく、きわめて真面目に物事を取り扱うため、「楽しいでしょ?」という押しつけがましさはない。
 メアリー・ポピンズが、いくつかの不思議な出来事の中でかすかに人間的な反応を見せる様子もおもしろい。特に、プレアディス姉妹のマイアが、冬場にあまりに寒そうな格好で買い物に来ているため、メアリー・ポピンズが手袋をあげるところが好きだ。マイアが去る場面でのメアリー・ポピンズはどうやら泣いているのだが、マイアが帰ってしまうことが悲しいのか、新しいいちばん上等な手袋をうっかりあげてしまって悲しいのかは伏せられている。手袋をあげたことをバンクス夫人に驚かれ、「わたくしの手袋は、わたくしの手袋です。わたくしの、すきなようにいたします!」とメアリー・ポピンズは言い放つ。バンクス家の長男であるマイケルが言うように、まさに「メアリー・ポピンズは、いつも、するっていったようにするんだから」なのだ。
 メアリー・ポピンズの態度に代表されるように、本書には独特の媚びない感覚のようなものが貫かれていて、それは「ラークおばさんの犬」という話にもっとも顕著に表されている。バンクス家の隣の大きな家に住んでいるラークおばさんは、アンドリューという小さな絹のようなふかふかした毛の犬を飼っていて溺愛しているのだが、あまりに贅沢をさせられているため近所じゅうでばかにされている。アンドリューは飼い主のラークおばさんのことを、いちおう尊敬はしているものの、今の生活にはうんざりしていて、応接間に掛かっている自分の血統書のそばを通るときは恥ずかしくて身震いがするという。ラークおばさんに「わたしの小さなお砂糖さん」などと呼ばれようもんなら、ほかの犬の友だちに聞かれないように急いで駆けつけるそうだ。話の中でアンドリューは、雑種のだめ犬である友達と一緒に暮らすためにメアリー・ポピンズを利用することになる。この話にはメアリー・ポピンズはほとんど出てこないけれども、作者トラヴァースのバランスの取れた、ちょっとひねくれた庶民感覚のようなものがとてもよく出ていて、物語自体もとてもおもしろい。
 起こる物事に一切の説明を加えず、自分で考えなさいとすら言わず、淡々と子供たちを不思議な出来事に巻き込んでゆくメアリー・ポピンズは、外面的には模範的な大人ではないだろうし、憧れられるような素敵さも特にない。けれども意味ありげなことをほのめかしたりしないし、いつも「おもしろい」という結果を出し、子供たちの感情を言葉で操作することはない。メアリー・ポピンズのときどきの不機嫌に呆れつつ、子供たちは彼女を大好きでいる。それは彼女がかっこよかったからだろうと結局思う。メアリー・ポピンズが、風にゆすられながらバンクス家にやってくる様子の挿し絵もすこぶるかっこいい。