私はイタリアでは欧州圏外の外国人であり、観光目的での滞在なら3ヶ月まで、それ以上の期間、滞在し続けるには在留許可証が必要になる。必要書類を揃え申請し、審査に通れば、合法の移民となる。在留する内容に応じた期間有効な、滞在許可証が発行される。管轄は、公安(警察)の移民課だ。
 欧州26カ国の国籍を持つ人たちは、1985年に制定されたシェンゲン協定により、圏内を自由に往来することが認められている。パスポートは不要。国境を越えて欧州はひとつ、という理念を表してきた。イタリアから隣国フランスへ行くとき、鉄道でも道路でも国境があり、機関銃を提げた警官たちに囲まれながらパスポート検査があったのに、ある日を境に突然、道は”障害”なく繋がった。検問はなくなっても、欧州圏外の外国人たちは、引き続きパスポートや在留許可証の提示が必要だ。それでも島である日本で生まれ育った身には、ずっと歩き続けるとそのまま隣国に入る、自分の足で違う国へ行くことができる、という感覚は未だに不思議で馴染めない。自由なようでしかし、糸の切れた凧になったようで、受け止めてもらえる先があるのだろうか、とよく思う。
 日本はシェンゲン圏外なので、圏内で最初に足を踏み入れたところで国境検査を受ける。パスポートに<入国>のスタンプが押されるのは、飛行機や船が乗り継ぎに経由する国となる。スイスはシェンゲン協定に賛同しているが、スタンプは押さない。一度、イタリアからドイツ経由で日本に帰る際、入圏した往路のイタリア検問のスタンプの日付が掠れて読み取り難く、「ちょっとこちらへ」と、検問所脇の取調室へ連行されたことがある。日本と欧州の往来だけではなく、北アフリカや中国、中近東への出入国スタンプもあるため、精査されたのかもしれない。若い税関検問官は複数の言語を軽々使い分け、私がそれに感心して見せても応じず、笑わず、氷のような対面だった。
 合法移民ですら、こうなのだ。政情や諸事情で祖国から逃れ、不法に入国してくる外国人たちは、どのような扱いを受けているのだろうか。

 去る2月12日、欧州議会で元ベルギー王国首相のギー・ヴェルホフスタット議員が、欧州の未来について演説を行った。その中で7分間にもわたって、現在のイタリアの政情についての苦言を呈した。
 「イタリアは、ただの国ではありません。芸術、思想、文学、音楽、あらゆる知性を輩出してきました。イタリアは全文明なのです。欧州はイタリアから生まれました。欧州人なら誰もが一度はイタリアを訪れてきた。ゲーテ然り、モンテーニュ然り。欧州議会を作った核心メンバーだったのに、今ではイタリアはバックライトに降格してしまった。欧州中央銀行は、ローマに設置されたのですよ。ところが現況はどうでしょう。イタリアの悪政の端は20年前に発し、現政府はとうとう難民排斥の新法まで通してしまったではありませんか!」
 すべてイタリア語で行われた。口調は激していたけれど、「わたくしの愛するイタリアとイタリア人」を憂慮し悲しく、また悔しさに満ちた、親身な演説だった。
 国外でこれほどに絶望視されているのか、と驚いたイタリア国民は多かったのではないだろうか。

 イタリアの現政府は、ポピュリズムの旗手として突然、民間から選出されたルイジ・ディ・マイオ(新左派か、いや新右派か、いやどちらでもいい、か)と民族主義者のマッテオ・サルヴィーニ(超右派)二人の副首相の連立政権で成り立っている。2018年3月の総選挙では二人がそれぞれに率いる市民運動グループと政党は、それまでの政権だった中道左派を大敗させたものの、どちらの組織、党も単独では過半数を占める議席を獲得できなかった。連立するかしないか、喧々諤々。長らく組閣にいたらず、宙ぶらりんの状態が続いたあと、大統領が間に入って折衝しようやく2ヶ月後に<渋々の>現政権誕生となった。
 ディ・マイオには政治経験がない。次々と発案する政策には、調査も分析も論拠も視野も展望もない。低所得者層の生活改善策として、「大幅に税金を下げる」「<市民カード>を新設し配り、買い物券として使えるようにする」「ワクチンは廃止」等々。
 イタリアの膿を出す、と現行の税法や前政権が取り掛かっていたインフラ事業などをすべてご破算とし、「これまでのイタリアを解体していく」のがスタイルだ。
 もう一人の副首相サルヴィーニは、「イタリアには難民を入れない」と早々に断言し、ついに昨年末には新法を制定した。上陸してくる難民を保護するための収容施設をすべて閉鎖してしまう。厳寒の中、収容中だった難民は路上に放り出されてしまい、イタリア海域内に漂流してきた難民を乗せた船を入港させなかった……。

 難民問題は、欧州諸国の難題だ。
 地理的に欧州圏の端に位置するイタリアやスペイン、ギリシャは、他国と比べると難民の受け入れ数が圧倒的に多い。欧州圏にはダブリン規約があり、最初に入った国で難民は自分にとってのアサイラム(統治権力が及ばない避難所。保護域)の申請をしなくてはならない。しかしアサイラム認定をした国からもしその人が他国へと移動した場合、その他国は認定した国へと難民を強制送還できる、としている。
 イタリアには、毎日のように難民が押し寄せてくる。過酷な条件で海を渡り、乳幼児や妊婦、老人、病人も多々いる。上陸した難民を逃げてきた祖国へ送還してはならない、という原則がある。諸事情の弱者を庇護する権利がある。しかしイタリアが多数の難民を受け入れアサイラムの認定をすれば、以降ずっと難民の人生を引き受けることへとつながる。
 「なぜ困窮するイタリア国民を差し置いてまで、難民を救済するのか」 
 「過酷な国に生まれたのは、その人の悲運だろ」
 「素性も知れない輩でしょ。夜に出歩かないよう、外出禁止にして見張ってもらいたいわ」
 生活苦で不満を持つ国民は、サルヴィーニの難民政策に賛同した。難民は犯罪者ではない。未知のもの、異なるものへの増悪感は、この数ヶ月で急増している。
 「すべて人道主義とかを掲げてきた、これまでの左派政治のせいだ」

 端に位置するイタリアは、これまで難民の玄関だった。数百あまりの人々が船の縁にぶら下がったり、あるいは数人乗りのゴムボートに20人近くが折り重なって漂流して打ち上げられるのを待つ人たちがいる。これまではイタリアの海域に入れば、イタリア海軍が救助し保護するのが当然だった。人間として。
 欧州の中央や北部にある他国は、やってくる難民はイタリアに比べると断然少ない。それでもドイツのメルケル首相が難民受け入れに積極的だったのは、ユダヤ人迫害の過去への自戒があってのことだった。
 圏外からの外国人が、いったん<欧州国>の難民としての認定を受けると、シェンゲン協定を利用してどこまででもいける。テロリストが紛れて入ってきても、追跡し警戒するのは非常に難しい。ダブリン規約があっても、見逃されたケースは多い。そもそも協定や規約に不備がある、と難民救済のために有用な改正をするための討論が欧州議会で繰り返されている最中の演説だった。
 古代からイタリアは侵攻の道だった。異教徒に踏みしだかれて、それでも絶えることなく、むしろその歴史をバネに豊かな文化を生み出してきた。時に境界は不毛であることを、身に沁みて知る人たちではなかったのか。そのイタリアが、自ら孤立の道を選んでいる。
 イタリアよ、どこへ行く。

ミラノ運河地区にて。優れた風刺壁画アートが多く生まれている。 最新話題作が、この連立しながら同調しない<イタリア副首相二人>。