第14回小林秀雄賞は、社会学者・小熊英二さんの『生きて帰ってきた男 ある日本兵の戦争と戦後』(岩波書店刊)に決まりました。

 戦争体験と戦後思想をテーマにした『〈民主〉と〈愛国〉』や高度成長期の社会や経済状況を扱った『1968』など、大著の印象が強い小熊英二さんですが、この受賞作は、実父・謙二さんの半生を聞き書きした作品です。

 謙二さんは1925年、北海道・網走に近い佐呂間村に生まれました。やがて母を亡くし、すでに東京へ移住していた母方の祖父母に引き取られます。先に引き取られた兄や姉が次々と病に倒れる中、ひとり残った謙二さんは44年秋に出征しますが、翌年、満州で敗戦を迎えたあと、シベリアの収容所に送られたのです。帰国後も過酷な結核療養や度重なる転職・転居などを経て、家族を得、いまは東京郊外で静かに暮らしています。

 実父のシベリア抑留体験や、終戦後に紆余曲折しながら生きていく様子を、小熊さんは感情移入することなく、非常に淡々とした筆致で書き進めていきます。むしろ小熊さんは受賞インタビューのなかで〈(父の)話の大部分は、どこにでもあるような内容です〉とさえ話しています。ではなぜこのように1冊にまとめるに至ったかと言うと、〈昔の生活の話が興味深いと思った。これはきちんと記録すると貴重な生活史になるのではないのかと思って、改めて聞き書きすることになったのです〉と答えています。

 小熊さんはこの本を書いて〈身近なものほど目に入りにくい〉ということを強く感じたそうです。「よくあること」「たいしたことないこと」と思ってしまいがちな物事でも、〈聞く側が想像力と聞く気を持てば〉、“普通の人”ひとりひとりが持つ〈貴重な経験と記憶〉を引き出せる。

 本書の魅力について、選考委員の関川夏央氏は〈「普通の人」の得がたい歴史〉と、堀江敏幸氏は〈ふつうではないふつうさの静かな力〉、そして橋本治氏は〈「淡々たる普通さ」と、その「勁(つよ)さ」〉と評していらっしゃいます。

 謙二さんの克明な記録が鮮やかに伝える、歴史の記録からこぼれがちな〈都市下層の商業者〉の暮らし。実の父の来し方に真摯に耳を傾け、〈生きられた20世紀の歴史〉を丹念にあぶり出した本書、ぜひお読みください。