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小さい午餐

 コーヒーと天丼という看板の店がある。看板にはUCCという文字も見え、だからつまり喫茶店というか珈琲店なのだが、でも外観の1番目立つところにコーヒーと天丼と書いてあるのだ。コーヒーと◯◯、の空欄にはおそらくケーキもピザもスパゲティもカレーも和風軽食と考えればおむすびやうどんなどもある程度自然に入ると思うのだが天丼、しかも「コーヒーと天丼」という並びには、天丼屋がアフターコーヒーに力を入れているわけではないという主張も感じられる。1度その看板を目にしてからずっと気になっていたのだがなんとなく入れず、今日は軽く意を決して行ってみた。平日の11時半ごろ、焦げ茶色の木製テーブルセット、トラノオやベンジャミンやポトス、ヤシ系統の何かなどの鉢植えが作り物と本物と混じって店中に置いてある。ごく普通の街の喫茶店という感じがする。看板を見ていなければ天丼が名物とは思わないだろう。私はドアに近い窓際の席に座った。窓際の棚に置かれたトラノオの鉢植えにはドライフラワーのスターチスと造花のカーネーションが差しこんであった。先客は2組3名、お揃いの青いジャンパーにシャツにネクタイ姿、中小企業か小さい工場の重役と管理職という感じの2人客は向かい合って座っているが会話はなくかつてあった気配もなく1人は漫画雑誌を手に持って1人はスポーツ新聞をテーブルに広げて読んでいる。傍にコーヒーのカップが見える。もう1人の客は白いポロシャツ姿のおじいさんで、後ろ姿の肩が丸い。厨房に1番近い奥の席に座って厨房の中の誰かと会話をしている。「じゃけ、今はハイボールなんよ」「ふーん。ハイボールか」「うすいけえ」「うすいんか」声からすると厨房の中にいるのもおじいさんのようだった。「ハイボール、うまいよ」「わし最近ウイスキー全然飲まんのよ。うもう(うまいと)思わんの。ビールもうもうない。苦い」「生は苦うないが」「生はね。ほんでハイボールか」「配合、自分でするけえ。毎晩ね、うすーく」
 60代くらいのエプロン姿の女性が私の席に水とおしぼりを持ってきた。私は天丼を頼んだ。「天丼ね」きれいに化粧をして髪もセットしてどこかマダム然とした女性は頷いて厨房に戻り天丼と伝え、すぐその足で私の席に戻ってきて卓上に2冊の女性週刊誌を置いた。表紙にジャニーズの誰それがどうとか皇族の婚約者がどうとか大書きしてある。私が顔を見るとマダムは「こういうの、あそこに置いてあるからね」と指差した。見ると、厨房前のレジ下が本棚になっていて漫画雑誌と週刊誌らしい雑誌、それから廉価版というのか、コミックスではないし文庫でもないサイズの角背の漫画本がぎっしり並んでいる。鬼平犯科帳、ゴルゴ13、バレーボーイズ、ドーベルマン刑事、はだしのゲン、白竜、知っているもの知らないもの想像がつくものつかないもの、多数のタイトルが見える。入り口のドア脇にある新聞立てにはスポーツ紙が入っている。そう言われてみれば、先客はみなそれぞれの前に新聞か雑誌を広げている。喋っているポロシャツのおじいさんも、読んではいないがスポーツ紙を卓上に広げている。なんというか、ここはそういう文化で、私は歓迎されたのか牽制されたのか心配されたのか……コップの水を飲んだ。卓上には砂糖壺と小さいメニューが置いてある。天丼のほかに天ぷら定食もある。ランチ、というメニューもあるし、ラーメン、焼きそば、うどん、ラーメンライスうどんライス、焼きそば定食、天丼一本やりというわけでもないのだ。カレーはない。スパゲティもない。喫茶店として当然ありそうなものがない。もちろんコーヒーや紅茶やレモンスカッシュやモーニングもある。ミルクセーキもあるがケーキやパフェ類はなし。店員はさっきの女性と厨房の中のおじいさんの2人、ふと気づくとポロシャツのおじいさんと厨房の男性の会話が途切れ油の音が聞こえていた。男性の方が調理を担当し、女性は接客担当と見えた。店内を見回すと壁に『うまい! 天丼』と書いた紙が貼ってあり、そこにはアンパンマンに出てくる「てんどんまん」のステッカーが貼ってあった。それを見て、子供の頃アンパンマンやカレーパンマンには1ミリも食欲を刺激されなかったのにてんどんまんにだけは激しい食欲を覚えたことを突然思い出した。
 ばいきんまんがてんどんまんの頭の蓋を取って中身を食べてしまう、そうするとてんどんまんは弱ってしまい、新たにご飯やえび天を入れねばならないのだが、その、ばいきんまんに食い荒らされている天丼が本当にものすごくおいしそうだったのだ。てんどんまんの天丼、子供の頃、家では天ぷらが夕食に出ることはあったが、天丼が出ることはなかった。天ぷらをした翌昼、天ぷらが余っていればそれを自分でご飯の上にのせて天つゆをかけて食べることはあった。天ぷらは当然しなしなになって、えびやちくわや味付け海苔はもう残っていなくて、皮の青が衣に滲み出たナスにオクラにサツマイモ、かき揚げ、チンして温めた天つゆ、自家製天丼もおいしかったがでもそれはてんどんまんの天丼とは違う。ステッカーのてんどんまんは両手にバチ(箸?)を持って片足あげて自分の丼(つまり頭)を打ち鳴らしながら踊るポーズ、てんてん、どんどん、てんどんどん。そうやっててんどんまんが歌い踊りつつ登場することも思い出した。私の子供はアンパンマンをあまり好まなかった。アニメを見せても嫌がったのでほぼ見ていない。だから私はてんどんまんの様子も声も歌もその存在も今、おそらく20数年ぶり、いやほとんど30年ぶり(ウィキペディアによるとアンパンマンのアニメ放送開始は1988年、だが広島でもそうだったかはよくわからない)に思い出している。その遠い幼い頃の記憶と食欲の鮮明さ、憧れ、私が1人感動していると角盆に載って天丼がきた。
 という上の文章は長々しているかもしれないが時間の感覚としてはすぐだった。天丼はできたてに見えた。黒い角盆の上には蓋なしの丼容器の天丼、味噌汁のほかに、冷奴、きんぴら、モヤシの和え物、カイワレの和え物、漬物の小鉢小皿がぎっしり並びプラスチックのしょうゆ差しまで乗っている。私は『うまい! 天丼』の張り紙を見た。卓上のメニューも見た。天丼(味噌汁つき)600円。これで600円? 税別だとしても648円、丼を持ち上げると容器越しに中身の熱さが感じられた。えびが2尾、青ジソ、ピーマン、サツマイモ各1切れ、衣に包まれてなにかよくわからないものが2つ、衣は厚いところと薄いところがあり、いわゆる天ぷらの名店的な軽い香ばしい儚い衣ではない。旅館の夕食のやたら硬くて均一な衣とも違う。細かい揚げ玉を作ってそれをくっつけ直したような派手なのでもない。片方のえびを持ち上げると熱いご飯に接していた部分の衣が緩んでくっついて剥がれてえびの半身がむき出しになった。全体に茶色い天つゆがかかっている。かじると果たして揚げたてだった。米と接していない方の衣はカリッとしている。天つゆがかかっているところはしっとりしている。米と接しているところはふやけている。米も熱い。天つゆは甘みが少なくかすかに日本酒の香りがした。なんというか、これが正統派天ぷら店の外観白木の内装白衣の料理人によって出されたらちょっと、え、と思うかもしれないが、この店のこの雰囲気の中てんどんまんステッカーを見つつだったら何も文句はない、ただただ充足し満腹するような味、青ジソはシソ部分と衣がそれぞれ逆方向に湾曲して内部に空洞ができていたがそれこみでサクッとしていてサツマイモも甘い、なんだかわからなかったものは1つがちくわ(おそらく長さを2等分したものを縦4つ割)で1つは皮をむいて棒状に切ったナスだった。味噌汁は油揚と木綿豆腐とワカメとネギ、きんぴらはかすかに生姜の風味がしてカイワレの和え物は上に白ゴマ、モヤシの和え物はひんやり冷えて甘酸っぱく、冷奴にはおかかと青ネギ、お新香はそれぞれ小さい薄いものが1切れずつだがキュウリと大根ぬか漬けとたくあん、細切りの白菜に昆布、家で母親が揚げたてできたてを出してくれたような天丼、常備菜を組み合わせた小鉢、熱い味噌汁、マダムが白い湯のみに入った緑茶を私の卓に置き水もコップに注ぎ足した。私の天丼を作り終えて暇になったらしい厨房のおじいさんはまた会話を再開している。
「あすこの2階の座敷とって、みなで集まってのォ」「オー」「ドイもきたし、ノザキも、オチアイもきて」クラス会だか町内会だかのような話だった。「ワキヤは?」「そうそうワキヤも。あいつ呼ばんでもくるけえ」「オーオー」「女はヨウコにカツヨとハルミと」女性は下の名前だった。「ほんでまあ大概きたわ。カタオカとヤマダがこんかったくらいだろ」「ああ、あいつらはのぉ。ムラヨシは?」「おったげなおらんげな」ポロシャツのおじいさんは後ろ姿で、厨房の中も見えない。だからどちらがどちらの声なのかわからない。どちらも楽しそうだった。「まあじゃあ、盛り上がったんよの」「盛り上がったいうて、ほんでもみなこの歳で……ドイの独り舞台よ。あいつはああなると上機嫌に誰彼彼誰、チャラチャラチャラチャラ喋りくさって」ハクトウワシのワッペンがついた野球帽をかぶった男性が入ってきた。座るより先にスポーツ新聞をとっている男性にマダムが天丼ね? と言った。男性は頷いて座った。会話が途切れ油の音がし始めた。
 もう少しいようと思い、私は片手を上げてマダムにコーヒーを頼んだ。「ホット?」はい。今までずっと無言だった工場ジャンパーの2人が立ってそれぞれ読んでいたものを棚に戻し1人がまとめて会計し出ていった。支払いの時も各々の雑誌を戻すときも店を出るときも完全に無言だった。あんなに会話がない状態で向かい合ってコーヒーを飲むのは気詰まりではないのか。むしろそれがいい、無言を楽しめる2人なのか。2人は今から仕事に戻ってどんなことをするのだろう。そこでは喋るのかその必要はないのか。運ばれてきたコーヒーにスプーンとフレッシュとともに個包装のアーモンドチョコレートが添えてあった。野球帽のおじいさんにも天丼が運ばれてきた。おじいさんは読んでいたスポーツ紙を卓の前方に広げたまま押しやってその前に角盆を置いて読みながら食べ始めた。
 おじいさんとその娘と思われる女性が入ってきて向かい合って座ってランチを注文した。女性は立ち上がると父親のためにスポーツ紙、自分のために女性週刊誌をとった。週刊誌を開きながら娘は「スープもう全部食べた?」と静かな声で尋ねた。父親は黙って頷いた。「冷凍のも?」また頷いた。娘はそう、と言った。中学生くらいの男の子と母親らしい女性が入ってきた。「いらっしゃい。もう治ったん?」とマダムが声をかけた。「うん、治ったァ」母親が答えた。「よかったねえ」「でも、4日もかかっちゃったァ……ふふ、天丼2つ」「2人とも、天丼ね」「朝から天丼なんて……笑っちゃう」母親はまたふふふ、と笑った。私は時計を見た。12時過ぎだった。男の子がどんな表情をしているかは見えなかった。背中の曲がったおじいさんが1人で入ってきてスポーツ紙をとって座りながら鍋焼きうどんを注文した。紫のスカーフを巻いた女性が入ってきて歌うように「ランチお願い」と言った。マダムが「あら、元気」「元気よー」「本当に元気そう」「そうよー」次々人がくる。想像していた以上の人気店だ。運ばれてきたランチは遠目に見たところ平たい白い皿にキャベツの千切りが盛りつけられ何種類かのおかずがキャベツに立て掛けるように置いてある。えび天やゆで卵、肉らしい茶色も見えた。それに皿盛りのライス、味噌汁、りんごとオレンジの小皿としょうゆとソースのボトルにアジシオの小瓶。ランチは天丼より100円高い。鍋焼きうどんを頼んだおじいさんは運ばれてきたうどんを箸ではさみあげると、水のコップに浸してから口に運んだ。
「あれはどこじゃったかいの、なんかあっちに縁があったろ」「オジーさんの嫁さんの里が、それよ。道ができたけ」「今アパート建てよる、言うて聞いたが」「オー。あのほう、儲かるかい」「知らんが、あがに建てよる建てよる言うて回るんは儲かるんじゃろぉのぉ。逆かの」「道ができたけえ」私はコーヒーを飲み干した。コーヒーの味についてはよくわからないが熱くて香ばしくておいしかった。「……ほいじゃ、雨が降らんうち、わし、帰ろう」ポロシャツのおじいさんがゆっくり立ち上がった。「降りげなか」厨房の声が意外そうだった。「なんとのぉ、空が暗ァわ」その言葉に、店の中にいた人々が一瞬、新聞や雑誌や料理やコーヒーから目を上げ窓の外を見た気配がした。私も見た。確かに薄暗くなっていた。男性は黒いダウンジャケットを羽織ってからマダムに支払いをすると、厨房に向かって片手を上げ「ほいじゃあ、また、元気で会おう」「オー」こちらに向かって歩いてくる姿は後ろ姿と声から想像していたよりも若い感じがした。私もなんとなく潮時と思われたので立ち上がり会計を頼んだ。店の奥のレジ前に立つと厨房の内情が見えた。揚げ鍋、小さい片手鍋、まな板の上にパック入りの木綿豆腐、炊飯器、中のおじいさんは手洗いにでも入ったのか姿が見えなかった。マダムが言った金額はメニューに書いてあったままだった。税別ではなかった。だから、あの天丼は648円ではなくて純粋に600円支払えば食べられる、すごいなあと思いながらごちそうさまでしたと言って店を出た。アスファルトに雨粒の跡がありみるみるうちに増えた。雨がばらばら降り始めていた。私はリュックサックから折り畳み傘を取り出した。油の匂いとコーヒーの匂いに濡れた道路の匂いが混じった。雨粒の跡はどんどん道路を埋め黒くしていった。黒いダウンに白いポロシャツのおじいさん、というかおじさんがクリーム色のスクーターに乗って私の目の前を走り去っていった。唇が口笛の形に尖っていた。

庭

小山田浩子

2018/03/31発売

それぞれに無限の輝きを放つ、15の小さな場所。芥川賞受賞後初著書となる作品集。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

小山田浩子

1983年広島県生まれ。2010年「工場」で新潮新人賞を受賞してデビュー。2013年、同作を収録した単行本『工場』が三島由紀夫賞候補となる。同書で織田作之助賞受賞。2014年「」で第150回芥川龍之介賞受賞。他の著書に『』『小島』『パイプの中のかえる』など。

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