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随筆 小林秀雄

 今年もまもなく、入試の時節に句切りがつくようだ。受験戦争に勝利を収め、四月からは大学生となる諸君にまずお祝いを申し上げ、そのうえで訊いてみたい、これまで諸君が行ってきたのは「学習」である、これから諸君が行わなければならないのは「学問」である、「学習」と「学問」、このふたつは同じではない、ということをご存じかと…。
 小林先生は、「本居宣長」の第三十五章(新潮社刊「小林秀雄全作品」第28集所収)で、こんなことを言っている。
 ―「言詞をなほざりに思ひすつる」ものしり人に、阿呆(あほう)という言葉の意味を問えば、馬鹿の事だと答えるだろうが、馬鹿の意味を問えば阿呆の事だと言う。彼等は、阿呆も馬鹿も、要するに智慧が足りぬという意味だとは言っても、日常会話の世界で、人々は、どうして二つの別々な言葉を必要としているか、という事については、鈍感なものである。
 「言詞をなほざりに思ひすつる」ものしり人、とは、言葉を通りいっぺんに理解してわかった気になっている文化人や知識人である。彼らは、日常会話の世界で私たちがどうして二つの似たような言葉を持っているか、必要としているか、そこを考えてみようとはしないと先生は言うのである。先生にこう言われて、ふと私が思い浮べたのが「学習」と「学問」だった。一般にこの二つの言葉は混用されている、ほとんど同義語としてさえ用いられている。だが、それでいいのか、「学習」は「学習」として、「学問」は「学問」として、それ相応の必要があって生み出された二つの言葉であったはずである。

 実は、この「学習」と「学問」についての問いは、大学生諸君に向ってはもちろんだが、私としては大学という枠は取り外し、大学を出てからの二十代、三十代、四十代、五十代、さらには六十代、七十代、八十代、九十代と、人生真っ盛りの諸姉諸兄に呈したいのである。なぜなら、「学習」も「学問」も、私たちがこの世で産声をあげたそのときから最期の息をひきとるまで、間断なく続く生きるということそのものだからである。
 言うまでもなく、私はこういう認識を、小林先生を読んで得たのだが、「学習」と「学問」の相違について私なりの結論を先に言えば、「学習」とは幼児、児童、生徒といった、これから独り立ちしていって社会の一員となり、やがては社会を支えていくニューフェースたちが、文字の読み書き、数の計算、道の歩き方など、人間社会を生きていくための基礎知識や決まり事を大人に教えてもらって習い覚える作業である。だから「習」である。それらの知識や決まり事は、すでに人類が知っていることである。
 これに対して「学問」は、人類がまだ知らないことを知ろうとする営みである。だから「問」である。もっともこういう言い方をすると、多くの人は自然科学の分野の相次ぐ発見を思い浮かべるだろうが、小林先生の言う「学問」は、そんな大がかりなことではない。先生は、学問とは、私たちの身の回りの、誰もが知っていることをより深く、より精しく知ってしっかり認識する、そしてそこに自分自身にとっての、また人間誰もにとっての人生いかに生きるべきかの糸口を見出す、そのための思索であると言う。具体的には去年の今頃、「『学問』の姿」と題して本居宣長の「石上(いそのかみ)私淑(のささめ)(ごと)」を引き、宣長が古来の和歌をつぶさに読んで、人間の心というものはどういうふうに造られているかを明らかにしたと紹介した第三十五回を参照されたい。
 この「誰もが知っていることをより深く、より精しく知る」こと、これを先生は「発明」という言葉で言っている。その「発明」も、ふつうにはエジソンが創り出した電球や蓄音機といった機械工学分野の功績に関して言われることが多いが、たとえば『大辞林』には、「それまで世になかった新しいものを、考え出したり作り出したりすること」という解説と併せて、「物事の意味や道理を明らかにすること。明らかにさとること」と説かれ、本居宣長の著作をはじめ宣長に学問の機縁をもたらした契沖や荻生徂徠の文章にも後者の含意で見えている。 

 そういうわけで、私たちは十八歳頃まで、ということは高校教育の課程を終える頃までは、専ら「学習」をしてきたのである。小学校に入って高校を出るまで、私たちが毎日のように課されていた試験というものは、すべてその「学習」が然るべき域に達しているかどうかを見るためのものであり、逆に言えば国語であれ算数であれ、それらの「学習」を然るべき域に到達させるための鞭だったのである。
 国語の試験には、漢字の読み書きとともに文章の読解問題があるが、これも本来は「学習」の一環だった。人間社会の一員として立ち働くにあたり、漢字は読めても文章が読めないのでは支障をきたす。他人の文章を手にしたときは相手が伝えようとしている用件、あるいは訴えようとしている諸事情、少なくともそこを正しく読み取ろうとする習慣を身につけさせる、それが文章読解問題の存在理由であった。
 ところがこれが、大学入試の帰趨を左右するまでになっておかしなことになった。次の文章を読んで後の問いに答えよとあって誰かの文章が掲げられ、そのなかに傍線が引かれていて問いが訊いてくる、傍線部で著者が言おうとしていることは次のうちのどれか、記号で答えよ…。こういう問題に対して、常に正解が選べる生徒は文章読解力があるとされ、生徒本人も読解力には自信があると誇らしげに言う。だがこれは、とんでもない誤解である。その生徒は、「学習」の学力という面からは秀才である、しかし、「学問」に必要な学力という面からは読解力ゼロであると言ってよいのである。
 これは、私が言うのではない、本居宣長に先立つこと約一二〇年、関ヶ原の戦いが終ってまもない頃の近江(おうみ)の国(現在の滋賀県)で近世学問の端緒をひらき、「近江聖人」と讃えられた中江藤樹が言っていると、小林先生が「本居宣長補記Ⅰ」(同第28集所収)で言っているのである。以下のようにである。
 ―先生の問いに正しく答えるとは、先生が予め隠して置いた答えを見附け出す事を出ない。藤樹に言わせれば、そういう事ばかりやっていて、「活溌(かっぱつ)融通の心」を失って(しま)ったのが、「今時はやる俗学」なのであった。取戻さなければならないのは、問いの発明であって、正しい答えなどではない。今日の学問に必要なのは師友ではない、師友を頼まず、独り「自反」し、新たな問いを心中に蓄える人である。
 「活溌(かっぱつ)融通の心」とは、他人の思惑に合せようなどとは毫も思わず、自分の感性と直観の命じるまま生き生きと縦横無尽に駆け回る心である。「問いの発明」とは、そういう自分自身の心が独自に著者の言わんとするところを読みあぐんだり疑ったりし、これはどういうことだと自分に問いかけ自分で答えを見出そうとする、そういう、今まで誰も試みたことはないであろう自問自答の発明である。これが学問の最初の着手である。ところが、入試問題に正答し続けていると、出題者という他人の思惑の中でしか物事を考えられないようになり、自分独自の発明力が硬直してしまう。ということは、大学にいる間も世の中に出てからも、他人に指示された「学習」しかできなくなるのである。
 では、どうすればよいか。入試に受かって進学先が確定すれば、大学入試は「学習」成果のチェック手段でしかなく、出題者がこれと決めた正解以外は正答と認めないという一方的な約束事の世界であるとはっきり認識し、少なくとも文章の読解力に関しては、「学問」に必要な真の読解力はあの問題の出題者より自分のほうが上かも知れないではないかというくらいの気概をもって出直すことである。大学生となった今日からは、これまでに蓄積した「学習」成果を存分に活用する、だがまったく新たに「学問」を始める、そのためには「学習」課程で身に着けさせられた受験技術という槍や刀はいっさい棄てて丸腰になる、そういう思考回路の切り替えが喫緊の大事である。

 小林先生は、中江藤樹の学問を語って「問いの発明」と言っていたが、その藤樹の学問はどういうふうに始ったか、「本居宣長」の第八章(同第27集所収)に精しく書いている。
 藤樹の父は仕官を嫌って近江で百姓をしていたが、伯耆(ほうき)(現在の鳥取県西部)の加藤藩に仕えていた祖父が藤樹の育成を望んで伯耆へ伴い、翌年、藩主の転封で伊予(現在の愛媛県)の大洲に移った。しかし、
 ―間もなく祖父母と死別し、やがて近江の父親も死ぬ。母を思う念止み難く、致仕(ちし)を願ったが、容れられず、脱藩して、ひそかに村に還り、酒を売り、母を養った。名高い話だが、逸話とか美談とか言って済まされぬものがある。家老に宛てた願書を読むと、「母一人子一人」の人情の披瀝に終始しているが、藤樹は、心底は明さなかったようである。心底には、恐らく、学問するとは即ち母を養う事だという、人に伝え難い発明があり、それが、彼の言う「全孝の心法」を重ねて、遂に彼の学問の基本の考えとなったと見てよいだろう。
 「学問するとは即ち母を養う事だという、人に伝え難い発明」と先生は言っている。先に先生は、学問とは私たちの身の回りの、誰もが知っていると思っていることをより深く、より精しく知ってしっかり認識することだと言っていると書いたが、それをここで思い併せていただければと思う。こういう「発明」の閃きは、大学入試の長文読解問題に正答する能力の対極にあるのである。
 人間は、生まれた瞬間から一人ひとりが本能的に学問を始める。それと同時に親や先生の助けを借りて学習する。十八歳くらいまでは学習の比率が圧倒的に高い、だが二十歳前後で入れ替わり、以後は学問の比率が年を追って高くなる。食べていくための生業を全うするには自問自答が不可欠になるからだ。その間も学習は止むことなく続けられるのだが、生涯の終りが近くなると学習の比率は極端に低くなって学問がほぼ一〇〇パーセントを占めるようになる。その生涯最後の学問のテーマは、自ずと人間にとって死とは何か、いかに死んでいくかになっているだろう。この問いには、出題者が隠している正解などはない、独りで自問自答するよりない。小林先生の「本居宣長」も、最後は死についての思索である。

(第五十四回 了)

★小林秀雄の編集担当者・池田雅延氏による、小林秀雄をよりよく知る講座

小林秀雄の辞書
4/4(木)18:30~20:30
新潮講座神楽坂教室

  小林秀雄氏は、日々、身の周りに現れる言葉や事柄に鋭く反応し、そこから生きることの意味や味わいをいくつも汲み上げました。2018年1月から始まったこの講座では、私たちの身近な言葉を順次取上げ、小林氏はそれらを私たちとはどんなにちがった意味合で使っているか、ということは、国語辞典に書いてある語義とはどんなにちがった意味合で使っているかを見ていきます。
 講座は各回、池田講師が2語ずつ取上げ、それらの言葉について、小林氏はどう言い、どう使っているかをまずお話しします。次いでその2語が出ている小林氏の文章を抜粋し、出席者全員で声に出して読みます。そうすることで、ふだん私たちはどんなに言葉を軽々しく扱っているか、ごくごく普通と思われる言葉にも、どんなに奥深い人生の真理が宿っているか、そこを教えられて背筋が伸びます。
 私たちが生きていくうえで大切な言葉たちです、ぜひおいでになって下さい。

4月4日(木)天皇/桜
5月9日(木)神話/伝説 ※第2木曜日
6月6日(木)表現/対話

参考図書として、新潮新書『人生の鍛錬~小林秀雄の言葉』、新潮文庫『学生との対話を各自ご用意下さい。

 今後も、知恵、知識、哲学、不安、告白、反省、古典、宗教、詩、歌…と取上げていきますので、お楽しみに。御期待下さい。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

池田雅延

いけだ・まさのぶ 1946年(昭和21)生れ。70年新潮社に入社。71年、小林秀雄氏の書籍編集係となり、83年の氏の死去までその謦咳に接する。77年「本居宣長」を、2001年からは「小林秀雄全集」「小林秀雄全作品」を編集・刊行した。

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