朝、6時半に起きてアマンと共にアイマックを探し始める。

 アイマックの名前を叫びながら耳を澄まして、遠くの山や畑にいないか目を凝らす。アイマックは甲高くキーキーと鳴くので、鳴いていれば遠くにいても分かるはずだ。

 とはいえ、アイマックの行動範囲は果てしなく広い。15kmほど西のナリンまで行ってしまっていたら、もう見つけられないだろう。

 探すこと1時間。アマンが仕事へ行く時間になったので、捜索を打ち切ることになった。

 そして夕方も、アマンの帰宅後にアイマックを探したが、日没までに見つけることはできなかった。アマンによると昔は2羽のイヌワシがいたらしいが、アイマックでない方のイヌワシは今回と同じように逃げ出し、その後見つからなかったらしい。

 アイマックの自然界での狩猟能力がどれほどかは分からないが、アリシュ村は既に雪が積もる季節だったし、今後さらに寒くなる。哺乳類が少なくなって、食べ物の確保にも苦労するだろう。アマンの元へ戻れた方が安全に違いない。

 

 そして次の日、アマンは仕事を早退して昼ごろ帰って来たので、本格的にアイマックを探すことになった。

「Go! こいつを餌にしてアイマックをおびき出すから、逃げないように気を付けてくれ」

 アマンはそう言っておれに紐を手渡してきた。紐の先に繋がれていたのは、この前アイマックの餌にされかけた黒犬だ。何とか逃げられないかとぐるぐる動き回りながらか細い声で吠えている。

 なるほど、確かに餌があればアイマックが反応するかもしれない。が、空腹のアイマックが黒犬めがけて飛んできて「食事」を始めないかが心配だ。

 アイマックが見つかって欲しいような欲しくないような、複雑な気持ちだ。

 

 そして、当然のようにシロも付いて来た。シロはこのところ、おれが行く所はどこにでも付いて来るようになった。餌をやる時も、秘密基地と裏庭を繋ぐドアの所で待っているようになった。用を足す時まで付いて来るのは少し気まずいが、ようやくおれに懐いてくれたようで嬉しい。

 

 アマン、シロ、おれで手分けしたり固まったりして畑をかき分け丘を越え、アイマックを探すこと1時間。

 やはりアイマックは見つからない。半ば諦めムードになっている時、アマンのスマホが鳴った。

 アマンは10分ほど話し込んでいたかと思うと、電話を切って険しい顔でおれの方へ向き直った。

「アイマックが見つかった。川の対岸の村の人が保護してくれてるらしい」

「よかったじゃないか! で、いつ迎えに行くんだ?」

 対岸の村への橋は無く、ナリンを経由しないと行けないので距離がある。

「明日、兄さんに車を回してもらえるよう頼むよ」

 アイマックが見つかって喜ぶべき状況なのに、アマンの顔は暗かった。

 なぜかと聞いても答えてはくれなかったが、アイマックを保護した村人から見返りを要求されたのかもしれない。キルギスではイヌワシに数十万円の値段が付いているから、保護した村人が黙って転売してしまえば多額の現金を得られたはずだ。そう考えると、飼い主に返すという判断をした時点でそれなりの見返りを要求するのは当然だろう。

 

 その翌日の朝、おれが村の雑貨屋で買い物を済ませて秘密基地へ戻ると、アマンが外で待っていた。

「Go、こっち来て見てみろ」

 アマンと共に中へ入ると、そこには「ここが我が家!」とでも言いたげに落ち着き払ったアイマックの姿があった。

「おお、アイマックだ! アマン、良かったな!」

「……まあ、そうだな」

 せっかくアイマックが帰って来たというのに、アマンは浮かない顔でそう言った。やはり、アイマックを引き取る際に何かあったようだ。

 

 

 そして、アイマックが戻ってきてから数日が過ぎた。

 雪はますます積もり、靴の先から冷たい雪解け水が浸み込んで足がかじかむことも多くなった。

 しかしそんな中、シロはこれまでにも増して元気そうだった。キルギスで最も寒い地域だと言われているナリン近辺で生まれ育ったので、寒さに対しては耐性があるのだろう。

 秘密基地での居候は、あと数日で切り上げる予定だった。アイマックも見つかり、ここでの生活にも馴染んだ。そろそろ潮時だろう。

 次の冒険の下調べや準備が済んでいたので、早く出発したいという気持ちは日ごとに強まっていた。

「アマン。あと2、3日で秘密基地を出発しようと思う」

「そうか、行くのか。もっと長くここにいてもいいんだぞ」

「ありがとう。でもこのままここに居たらずるずる長いこと住んでしまいそうだし、そろそろ行く」

「まあそうだよな。分かった。また近くに来ることがあったらぜひ寄ってってくれ」

 その後、ナリンでアマンと食料を買っていると、アマンの友人グループと会ったため、急きょアマンの家で宴が開かれることになった。友人たちは護送車のような車を運転していて、後ろ側が檻のようになっていた。職業を訊ねると「マフィアだ」という返事が返ってきたが、どういった経緯でこの車を運転しているのかは分からずじまいだった。

 アマンの友人は3人ほどで、さらにその後別の男たちもやって来たので、秘密基地は定員オーバーになり、おれは廃倉庫の中でテントを張ることになった。

 気温は少し寒いくらいだったが、その代わりシロがいるので暖かい。最近シロはかなりおれに甘えるようになっていたので、くっついて暖を取るようにしたまま眠りに就く。

 秘密基地での生活はあと数日で終わり、シロともそれでお別れだ。

 おれがいなくなっても強く生きろよ、シロ。

 

 次の日、オオカミたちの檻を見に行くと、あの黒犬がいなくなっていた。

 ……嫌な予感がする。

「アマン! オオカミの檻に入ってた黒犬、いないみたいだけどどうしたんだ?」

「あぁ、オオカミたちが食っちまったんだ」

 と、アマンは事も無げに一言。

 やっぱり、そうだった。

 黒犬がこれまで生きていられたのは運が良かっただけなので、仕方のない事かもしれない。

 餌としての犬の命は、やはり軽い。悶々とはしつつ、おれにはどうすることもできないし、これが弱肉強食の自然な形でもある。

 そして、秘密基地を出発する朝が来た。朝食中、アマンが何でもない風にこんなことを言ってきた。

「あ、そういえばあの『シロ』な、飼うつもりはないけど、Goが来る前と同じように気が向いたら餌をやる。オオカミの餌にもなるからな!」

 アマンのその言葉に頭を抱える。

 おれが来る前と同じようにじゃダメだ。それは3、4日に1回食事をやるかどうかという意味だろう。実際おれが来た時、シロは今にも死にそうになっていた。当時はまだ雪が無く比較的暖かかったが、これからは厳しい寒さになる。食べ物が無いと体内で熱が作れず凍死、あるいは餓死してしまう可能性が高い。

 しかも、シロはオオカミの餌候補になっているらしい。あの黒犬と同じように、弱ってきたらオオカミの檻に入れられ、最後は食べられてしまうんだろうか。黒犬の次はシロの番ということだろうか。

 冗談じゃない!!

 アマンはおれが知る限り、キルギス人としてはかなり動物を大切にしていた。シロの事も「シロ」と名前で呼んでくれていた。……が、シロに対してはやはり餌としての認識しかなかったというのが、このアマンの言葉で分かった。

 餌になるにしろ餓死にしろ凍死にしろ、このままだとシロは来年を迎えることなく死んでしまうだろう。

 出会った当初、シロはガリガリに痩せていて、うつ伏せのまま全く動かなかった。初めて肉塊をやった時も、ほとんど動かず、しばらくは軽く肉を舐めるだけだった。

 今思えば、あれは絶食期間が長引いていたせいで噛めなかったのかもしれない。

 以前何度か絶食をしたことがあるので分かるが、歯は使わないとすぐに衰え、数日絶食した後の食事ではいきなり固形物は食べられない。

 もしかすると当時のシロは、うつ伏せになってただ死を待つだけの状況だったのかもしれない。

 そう考えるとより一層シロの事が心配になったが、シロをおれが引き取ることなんてできないんだからどうしようもない。

 去年モロッコでロバや犬を連れて冒険していた時、犬を日本へ連れ帰れないかと本気で考えたことがあった。しかし調べれば調べるほど、海外の犬を日本へ連れていくのはかなり難しいことが分かった。狂犬病のリスクを排除するには、半年以上の現地検疫所での滞在と100万円近い費用が掛かる。自分の貯金ですらもうマイナスに差し掛かっているというのに、そんな余裕はおれには無かった。

 だいたい、ここでおれがシロを引き取ったらおれ自身身動きが取れなくなるし、次の冒険にも支障が出てしまうだろう。

 キルギスに家を持っている訳でもなく、観光ビザの有効期限もあと10日ほどだ。時間もない。

 弱い者が淘汰されるこの世界において、アリシュ村でアマンに愛されることができなかったシロはそれ相応の扱いをされる。

 といっても絶対に死ぬわけでは、ない。何もできない以上、前向きに考えるしかない。

 シロ、強く生きろよ!

 そう念じながら自分を納得させ、シロに最後の挨拶をする。

 裏庭に入ると、おれを見つけたシロが嬉しそうに鳴く。しかし、こちらへは来れないようだった。シロを餌候補にするというアマンの言葉は本当だったらしく、この時点でシロは裏庭の柱に繋がれていた。

 シロをじっくりと撫でながらたっぷり餌をやって、立ち去る。しかしその時、シロは今までになく悲痛にキャンキャンと鳴き、暴れ始めた。

 今までおれが立ち去る時、シロはクーンと寂しそうに鳴くだけだったが今回はようすがおかしい。何か痛みを感じたり怯えていたりする時の犬の鳴き方だったので、急いで戻って外傷が無いか確認する。しかし、どこにも傷などは無かった。

 なぜかは分からないが、おれと会うのはこれが最後だと気付いているのかもしれない。おれが大きなバックパックを背負っているからだろうか。最後にしたハグがいつもより長かったからだろうか。何にせよ、シロはおれが思っている以上に現状を把握しているような気がした。

 シロの叫びに後ろ髪を引かれつつ、おれはタクシーにアマンと乗り込みナリンへ向かう。

 ナリン到着後、アマンと固く握手をしてお別れだ。

「Go、またな」

「ああ、またいつか」

 その後、アマンは仕事へ行き、おれはナリンの知人の家へ、預けていた荷物を取りに行く。

 こうして、アマンとイヌワシ、そしてオオカミたちがいる秘密基地での居候生活は幕を閉じた。

 

 その2時間後。

 おれはナリンの大通りでタクシーを止めて乗り込む。

「このタクシーは乗り合いじゃなくて貸し切りで頼む。金は出すからアリシュ村まで往復してほしい。ちょっと運びたいものがあるんだ」

 もう迷いは無かった。

 やっぱり、自分の本心には逆らえない。

 どんな困難な道になるとしても、後悔の無いように生きるべきだ。

 おれは、再びあの秘密基地へと戻って行った。

(第17回につづく)