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おかしなまち、おかしなたび 続・地元菓子

 うちわ餅の話をするには、初めて弘前に行ったときの話から始めねばならない。

 津軽半島の付け根に位置し、北東北の要諦として発展した弘前は、古くは弘前藩の城下町であり、明治大正期の西欧化を経て、今は昭和の名残をも併せもつ都市である。その街のよさについては、出身者や在住の人たちによく聞かされていて、前々からぜひ訪れてみたい街であった。

 食についても気になるものがあって、そのひとつがうちわ餅であった。若菜さん餅好きだから、弘前にはうちわ餅というのがあるからぜひ食べてみて下さいと言われ、いつか食べるのを楽しみにしていたのだ。しかし気軽に行くには弘前は少しばかり遠い。みちのくの名峰岩木山に登りに行った帰りに初めて弘前を訪れたのは、七年ほど前の初夏であった。

中央弘前駅から出た弘南鉄道は土淵川沿いに走る
中央弘前駅から出た弘南鉄道は土淵川沿いに走る

 うちわ餅というからには、うちわのように丸くて大きなお餅なのだろうか。いや、それは単に誇張したネーミングであって、うちわと同じ形ではべろーんと大きすぎて食べるのに厄介だろうし、まあいいとこ、お相撲の行司の持つ軍配くらいのものではないだろうか。もう少し小さいかな。私はひとりで楽しい想像をしながら、街の和菓子店をのぞいて歩いたが、うちわ餅なるものは置いていない。勝手に名物だと思っていたが、どうやら決まったお店だけが作っているお餅だと気づき、慌てて所在地を調べて店に向かった。

弘前城址のお濠端は初夏、桜の緑陰となる

 その日は土曜日の夕方で、たどり着いた先は繁華街から離れた住宅地の一角の、ガラス戸を立てた小さな店であった。戸田うちわ餅店と白地に黒字の看板がひっそりとかかっている。そしてガラス戸の内側には白いカーテンがかかっていて、その前に「本日休業」の札がぶら下がっていた。

 土曜日定休か、それとも売り切れて早じまいしてしまったのか。あきらめきれずに翌日も行ってみたが、前日とようすがまったく変わっていない。人の気配が感じられないのだ。どちらかというと定休日で休みというよりも、閉店の雰囲気である。

 呼び鈴を押そうかとも思うが、躊躇していると、向かいの家から庭を箒で掃く音がした。これ幸いと、生け垣の合間からあのうと声をかけると、掃除をしていたのは眼鏡をかけたやさしそうなおばさんで、すみません、向かいのお店はお休みされているんですかと聞くと、「うちわ餅さんね、しばらくの間、二、三年はお休みするそうよ」と教えてくれた。なんでも年明けの一月にご主人が亡くなられて、息子さんが継ぐことになったそうだが、まだ修行中なので再開するには時間がかかるだろうとのことだった。

 おばさんは庭を掃いていたので、初め向こう向きでこちらにお尻を向けていたのだが、声をかけると、生け垣から顔をのぞかせて親切に答えてくれた。「(遠くから)わざわざいらしたんでしょう」と、こちらの気持ちを慮って同情してくれる。かく言うおばさんも、うちわ餅が食べられなくなって、心なしか残念そうである。

住宅地にひっそりたたずむ戸田うちわ餅店

 それから四年後の秋、私は再び弘前を訪れた。当然、うちわ餅訪問は最優先課題である。私は失敗のないように事前にお店の再開を確認し、定休日も調べて午前中に店に向かった。うちわ餅は変わらず地元の人に人気で、午前中で売り切れることも多いと聞いたからだ。

 ところがお店の前まで行くと、見覚えのあるガラス戸はまたしてもぴったりと閉まっていて、白いカーテンも閉まっていて、「本日休業」の札が下がっていた。これはいったいどういうことだろうか。急にまた閉店してしまったのだろうか。もはや向かいの家の庭におばさんはいない。おそるおそる近づくと、ガラス戸にここ数日間の臨時休業の貼り紙がしてあった。

 うちわ餅は白いお餅に黒いごまだれがたっぷりかかった串餅で、平たく四角い餅に串が刺さったようすがうちわに似ていることから名づけられたそうだ。決してうちわのように大きくはなく、むしろ小ぶりでひとくちで食べられる大きさである。現在は六代目の息子さん夫婦がお店を続けておられる。

 息子さんの代になってからも質素な店構えを変えず、近隣の人たちを相手に、決まった種類のお餅を、その日作れる分だけ手作りで作っているという。そういうお店のお餅がおいしくないわけがない。おいしいに決まっている。お餅に関して私の鼻は利くのである。

二度目の弘前の旅では、岩木山の上に秋の雲が踊っていた

 弘前に行くという人がいると、弘前とてもいい街だからと、私は知っているかぎりの情報を伝える。弘前は城下町でもあったので、老舗の菓子舗も点在している。それらも決して敷居は高くなく、地元の人たちの暮らしに寄り添った、温かみのある店が多い。なによりもいいのは、青き名峰岩木山を近くに望み、吹く風は心地よく、少し古びた街全体がおっとりとして大らかな空気に包まれていることだ。

  私が伝えるなかでも、むろんとっておきはうちわ餅である。これまで何人のひとが、弘前から帰ってきて「うちわ餅おいしかった」と教えてくれたことだろう。なのに私はまだ食べていない。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

若菜晃子

1968年神戸市生まれ。編集者。学習院大学文学部国文学科卒業後、山と溪谷社入社。『wandel』編集長、『山と溪谷』副編集長を経て独立。山や自然、旅に関する雑誌、書籍を編集、執筆。著書に『東京近郊ミニハイク』(小学館)、『東京周辺ヒルトップ散歩』(河出書房新社)、『徒歩旅行』(暮しの手帖社)、『地元菓子』『石井桃子のことば』(新潮社)、『東京甘味食堂』(本の雑誌社、講談社文庫)、『街と山のあいだ』『旅の断片』(アノニマ・スタジオ)他。『mürren』編集・発行人。3月に『岩波少年文庫のあゆみ』(岩波書店)を上梓。

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