夜明けのニューデリー駅

 前回の寄稿、「満員電車の話をウガンダの友人にしたところ……」では、日本の満員電車を目の当たりにしたウガンダの友人が、「ウガンダだったらね、あの空間にあれだけの人がいたら、多分皆で歌っていると思うんだよ」と驚いていたエピソードを紹介した。
 読んで下さった方々からは、「海外の旅先でバスに乗ったら大合唱が始まったことがある」「インドから来た友人に、電車にあんなに人がいるのになぜお互いしゃべらないのかと聞かれた」と続々、ほっこりとする、あるいははっとさせられるような体験談を寄せて頂いた。
 電車といえば満員の車両以外にも、時間の正確さについて、国外から来た友人たちの言葉にはっとさせられることがある。
 以前カンボジアから来日した友人が、「日本の電車ってちょっと遅れただけで、なんで謝るの?」と不思議そうに尋ねてきたことがあった。例のウガンダの友人からは「ちょっと遅れただけであんなに謝るなんて、冗談言ってこっちをバカにしてるのかな?」なんて真顔で言われたこともある。そんな厳しい日本の電車事情をインド渡航時に友人にしたところ、「電車が来るだけいいじゃん」と笑って言われてしまった。確かに、以前インドを旅した別の友人から、乗るはずだった長距離列車が予定時刻から数時間経っても駅に来ず、挙句「今日はその列車は来ません」と言われた、という体験談を聞いたことが思い出される。
 2~3分の遅れにいら立つよりも、「今日も電車が来てくれた!」に感謝を積み重ねられる心のゆとりを持ちたい、と彼らの言葉に触れながら思う(それが実現するためにはもう少し、通勤時間や働き方を柔軟にしていく必要があるのだろう)。
 日常の中での時間の流れの違いに関しては、さらに次の回でも書いていきたい。

朝日の中、人々がニューデリー駅へと集ってくる