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おかぽん先生青春記

2019年5月23日 おかぽん先生青春記

そして俺の指導教員、ボブ・ドゥーリング 1

著者: 岡ノ谷一夫

 これまでメリーランド大学における俺の恩師たち(中にはハチャメチャなのもいたが)を紹介してきたわけだが、そろそろ俺の指導教員、ボブ・ドゥーリングについても紹介しようと思う。俺とボブはもう36年の付き合いで、これまで言いたいことを言い合ってきた仲だから、少々のことは許してもらえると思う。最初に言っておくが、俺はボブを恩師として尊敬し、大学院生として受けた教育、そしてその後の同僚科学者としての付き合いに、非常に感謝している。これは本当に本当だよ。さて、ここまで感謝しておけば、あとは何を言っても良いだろう。
 俺がボブのところに流れついた経緯は何度か書いたかも知れない。慶應義塾大学の大学院入試に失敗した俺は、「別人28号」になるつもりで米国留学を目指した。俺は卒論でカナリアの音楽知覚について研究したが、そのような研究の基礎となる鳥の聴覚研究をしていたのがボブだったのだ。ボブはメリーランド大学に赴任する前は、鳥の歌の科学の創始者とも言えるピーター・マーラー先生のところのポスドク(博士研究員)をやっていたのだが、ちょうど俺がアメリカの大学を探している段階で、メリーランド大学に赴任してきていたのだ。俺がアメリカに行ったころ、ボブはまだ着任2年目、40前の若造教員で、俺が3人目の大学院生だった。
 アメリカでは大学院生には給与が出る。この給与は大学側から出る場合もあるが、3年目以降は指導教員の研究費から出さなければならない。だから、教員は注意して大学院生を選ぶ。学生と師の関係ではあるが、同時に従業員と雇用者の関係にもなるからだ。採用をお願いする手紙で、俺はボブに小鳥のオペラント条件づけに成功したことを伝えてあった。小鳥を使って、餌をご褒美にして、聴力測定をするような技術である。これには小鳥がつつける小さなスイッチと、小鳥にご褒美の粟粒を1つずつやる仕組み、聴力測定のためのテスト音を出す仕組みが必要だ。そしてこれらを全部自動的に制御し、小鳥の成績を記録するコンピュータインターフェイスとプログラムが必要だ。ボブは俺のこれらの技術を評価して俺を採用してくれたということだ。
 ボブについてひとことで言うと「図体はでかいが、ケチでスケベで怠け者で猜疑心が強くて寂しがり屋」ということだ。何も良いところがない。でもそれでも付き合い始めて10年目くらいから、これらが良いところに見えてくるから不思議だ。以降、これらについて述べてゆく。
 まずケチについて。ボブがあまりにケチなので、俺は、慶應の学生だったころ秋葉原に通って組み上げた偽物アップルIIを日本から送ってもらって、実験に使用せねばならなかった。半年ほど経って実験がうまく行き出すと、彼はしぶしぶ本物のアップルIIを買ってくれた。が実はそのころは、IBMがいわゆるPC(現代のほとんどのPCの祖先である)を販売し始めたころで、俺は愛機アップルII偽物と別れをつげ、IBM-PCに鞍替えして実験を続けるようになった。ボブはケチなのでIBM-PCなど買ってくれない。当時、IBMが大学に大口寄付をしてくれており、俺はPC用の心理学実験デモプログラムを書いた功績でIBMから1台もらっていたのだ。
 ボブは、俺を働かせるために2ドルのオニオンスープやドーナツの穴と呼ばれる丸いドーナツを報酬としていたことは前にも書いたと思う。しかも、2ドルのスープの領収書をとっていたのだから、あれはきっとボブではなくNIH(国立衛生研究所)の研究費から支出していたのに違いない。欧米はそのへんおおらかで、大学院生を働かせるためのドーナツ代を研究費から支出することに問題はないようだ。
 ボブにはそのころ乳飲み子がいて、俺はよくその乳飲み子の子守をしていた。キャサリンというこの子は、夜は基本的には寝ていたので楽であった。ボブは土曜の夜に俺を自宅に連れて行き、妻と一緒に夫婦の絆を強めるための行事に出かけて行った。俺には冷蔵庫にある冷凍ピザを適当に食べるようにと言ってくれた。当時の俺は純粋で貧乏だったので、ありがたかった。ボブと妻は3-4時間後に帰ってくると俺に10ドルをくれた。俺は純粋で貧乏だったので、これがうれしかった。ロイ・ロジャースでハンバーグを4回食える金額であった。このことを同僚のトムに言うと、「う、おまえ、すごく搾取されているぞ」と言うのだが、当時の俺は純粋で…以下略す。
 次にスケベの話だ。でもケチの話も混ざる。ボブは年に1度だけフロリダの学会に連れて行ってくれたのだが、研究費を節約するため、俺はボブと同室であった。ボブは寝てしまうとイビキがすごいので、出来れば俺はボブが寝る前に寝たかったのだが、この男、寝る前にスケベな映画を見たがるのだ。ところが、フロリダあたりの学会会場になるようなホテルでは、それほどスケベな映画はない。あるとき俺たちはマイケル・ダグラス主演の「危険な情事」という映画を見ていた。ボブは「もっとスケベなのはないのか」と言いながらも映画を見ていたが、俺たちはほぼ同時に眠りに落ちたようだ。チェックアウトの際、ボブは「危険な情事」4回分の代金を請求された。これはさすがに国立衛生研究所に支払ってもらうわけには行かなかったようだ。ボブはしかし、「私は1度しか見ていない。あとの3回は寝ていたから払わない」と主張し、ホテル側が折れた。俺としても、自分の指導教員がホテルのフロントでスケベ映画の代金を値切るのを見るのは忍びなかった(嘘。面白かった)。
 今回はケチとスケベだけになってしまったが、また次回。ボブにはこういうエッセイを書いていることを正直に伝えておく。たぶん原稿料で食事をおごらねばならないが。

 

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

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金寿煥

著者プロフィール

岡ノ谷一夫

帝京大学先端総合研究機構教授。1959年生まれ。東京大学大学院教授を経て、2022年より現職。著書に『「つながり」の進化生物学』『さえずり言語起源論』などがある。

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