発売されたばかりの「考える人」秋号では、「異文化都市『京都』を楽しむ・考える」と題した総力特集を企画しました。前回に引き続き、特集企画の中からピックアップしてご紹介いたします。

祇園祭と松原通の「ゆきあい」――杉本秀太郎の洛中散歩

 京都のビジネスの中心地というべき四条烏丸の交差点から歩いてわずか数分の場所に、間口20メートルにも及ぶ杉本家が、京格子・出格子・犬矢来などの端正なしつらえで建っています。寛保三年(1743)創業の京呉服商「奈良屋」が、幕末の戦火で焼けた家屋を再建したのが明治三年(1870)といいますから、現在の杉本家は130年の風雪に耐えたことになります。まさに文化財そのものという家に生まれ育ったフランス文学者であり、古都にまつわる数々のエッセイも絶品として知られる杉本さんが、幼いころから行き交い遊んだ洛中の「道」を案内してくださいました。
 出発地は五条坂。そこから、かつての五条通である「松原通」を東から西へ――菅原道真ゆかりの社が建ち、祇園祭の山鉾が通り、義経と弁慶が出会ったとされるなど、歴史と伝説と伝統が積み重なる「道」を、ぶらりぶらりと散歩気分でそぞろ歩いた半日。それはじつのところ「死」から「生」への道である、ということが散歩の後の「語り」であきらかになります。「祭」と「道」、そして「神」と「人」がゆきあうような、杉本流の「神遊び」に、ご一緒いただければと思います。

湯川秀樹の「京都」

 京都を「人」で考えるなら──この都は千二百年を通し《学問の府》でしたから、碩学は夜空の星のごとく。でも誰か一人というなら、湯川秀樹をあげたい。
「京都学派」は、ふつう西田幾多郎・田辺元に連なる哲学者を指しますが、京都という土地には、領域を超え次代の学問を育てようという独特で自由な風土があるように思います。生物学の今西錦司しかり、民族学の梅棹忠夫しかり。なかでも湯川秀樹は、未知の分野に俊英を導き、学問の発展を促したという意味で、紛れもない「京都学派」と言えましょう。
 湯川さんは、生後一年半で東京から移り住んで以来、京都の路地や庭に遊び、伸びやかな学風に育まれ、ほかの土地や海外にも暮らしたのち、やはり京都に戻ります。 そして、湯川さんは祭や四季のたたずまいを和歌に詠み、エッセイに綴っています。今号に再録した「ふるさと」は、湯川さんの人柄が偲ばれる滋味ゆたかな随筆。晩年を過ごした自邸の美しい庭は、垂見健吾さんが撮影。湯川さんが眺め、愛しんだ京都を垣間見ることができます。
 また、若き日々にその謦咳に接し、宇宙物理学を目指した池内了さんが書く「湯川秀樹と京都の学芸的風土」にもご注目を。あまり上手と思えなかった講義、周囲を驚かせる新しい物好き、青年たちを励ました「お茶の時間」……人を惹きつける個性。重厚な知性。人間・湯川秀樹の魅力が、いきいきと伝わってきます。

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