今月発売された「考える人」秋号では、「異文化都市『京都』を楽しむ・考える」と題した総力特集を企画しました。この秋は雑誌の世界で「京都特集」の一大ブームが起きているようですが、「考える人」ならではの知的でスパイスの効いた特集ができあがったのではないかと自負しています。前回に引き続き、特集企画の中から――今回はいずれも京都に生まれ育ったお三方による、なんとも京都らしい三本の企画をご紹介いたします。

井上章一「洛外からの『ざまあみろ』」

 ひとくちに「京都」といっても、大きく分けると洛中と洛外の二種類があり、「京都人」にとって、前者に属するか後者に属するかで、その後の人生あるいは人格形成に大きな差が出てくるとか。とかく「京都」という街は恐ろしい……。
『つくられた桂離宮神話』『パンツが見える。』などの秀逸な文化論で知られる評論家・井上章一さんは、花園生まれの嵯峨野育ち。つまり、洛中でなく洛外……。
 井上さんは幼少の頃から、京都に横たわる「うち」と「そと」の境界に直面し、ショックを受け、煩悶してきたそうです。そして、そうしたコンプレックスを怒りに変え、「中華思想」ともいえる「洛中絶対主義」にぶつけたのが、本稿「洛外からの『ざまあみろ』」です。
 洛中と洛外の差をからだで知っている「京都人」の方は、本稿に対して、おそらく「よくぞ言わはった!」あるいは「えらいお怒りですな」といった二種類の反応に分かれるでしょう。他地域の方は、「へぇー、そんな差があるんだ」と思うと同時に、次に「京都人」に会うとき、「京都は京都でも、どの“京都”ですか」と確かめざるを得なくなること(その場合、十分な配慮が必要ですが)、必至です。

入江敦彦「イケズの花道」

 京都育ちでない人にとって最大の京都の謎。それはおそらく「イケズ」でしょう。名高い「ぶぶづけ」的失敗をはじめ、僕はこんな目にあった、あれってやっぱり……とおぼつかない「被イケズ体験」を語るとき、外国の土産話のように誰もが少し嬉しげ。やはり、京都は異国なのかもしれません。だとすれば、そこには暗黙のルールがあるのか。そもそも何をイケズというのか。──京都人も争って読んだ快著『京都人だけが知っている』の著者・入江敦彦さんが、意味もわからず恐がられているイケズの正体をはらりはらりと読み解きます。とはいえ生粋の京都人である入江さん、イケズは意地悪ではない、と証明しつつ随所に織り込む「ミヤコの言い方」は憎らしいほどイケズです。

高橋マキ「裏京区へようこそ。」

「見つけられない人にはどうやってもたどり着けない店が、京都にはある……」という不思議な話を聞きました。マキさんは雑誌のライターとして休む暇なく駆け回る京都っ子。メディアの求める「京都らしさ」のステロタイプに辟易して語るのは、リアルな京都の意外な姿。いわく路地奥に潜むアーティストの集う料理屋、バラック建築の痛快な焼肉屋、アジアの空気が漂う店、人となりの迫力と濃密さでノックアウトされる店主(おかあさん、おとうさん)たち……。でも、この魅力にみちた場所や人々が、マニュアル頼りに「オモテの京都」を期待する人の目には入らないのだとか。なんて残念なことでしょう。さあ、ガイドを捨てて、見えない路地を辿り、裏京区へとまいりませう。

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