作家・吉田健一。明治45年、吉田茂を父、伯爵令嬢・牧野雪子を母として戦前の上流階級に生まれ、中国と欧州で幼年期を過ごし、ケンブリッジに留学。外国文学者、翻訳家、批評家、そして希代の酒豪、趣味人として1977(昭和52)年に没するまで傑出した存在でありつづけました。優雅な国際人のイメージが強い氏は、実は日本各地を旅することを好み、失われゆく旧き良き日本のおもかげと食について、愛惜にみちた文章を残しています。30年前に刊行された食エッセイ『私の食物誌』(昭和47年、中央公論社)に登場する各地の限定生産の食品は百あまり。吉田健一の語る「本当に旨いものとは何か」に耳を傾け、その中から今も変らぬ本物を実際に取り寄せて「吉田健一の『舌鼓』」を追体験してみたいと考えました。

 こよなく酒を愛した吉田健一は、灘、金沢、新潟など銘酒の故郷をはじめ、日本各地を友人とともに訪れています。

 雪の降る日に長浜でつついた鴨鍋。神戸に滞在したときの毎朝のパンとバタ。海から獲れたばかりの広島の牡蠣。六月の京都の蓴菜。信越線長岡駅でかならず売り子から買い求めた駅弁。十勝平野の夕暮れの記憶が甦る牛乳の滋味。

 舌で味わった美味だけではなく、そこに流れる時間、土地土地の風土や暮らしまで伝わってくる、なんとも幸福そうで、たまらなく旨そうなエッセイぞろいです。でも、30年以上も前の当時ですら、それら本物が壊れ、失われ、取り戻せなくなる危惧を、吉田翁が抱いていたことも事実です。それは、「美食を求めるものが押し寄せて」大量生産の結果、味が落ちたり、「どこででも手に入れることが出来る商品に変える」ことは、旬や土地の味わいを消滅させるだろう……まさに今日のグルメブームを予見していたかのようです。

 しかし、大量生産の食品こそが一般的な今、土地に根付いた旬の味覚はむしろ「限定生産品」としてわざわざ取り寄せるしかないのかもしれません。彼が体験した30年、40年前の味を守り続けていると思われる品々を取り寄せ、吉田健一の名文とともに追体験してみました。

新潟の筋子──「今でも新潟と聞くと筋子のことが頭に浮かぶ。それも粕漬けがいい。(中略)粕漬けだと筋子が酒に酔うのか他の漬け方では得られない鮮紅色を呈して見ただけで新潟の筋子だと思う。(中略)肴なしで飲める日本酒という有難い飲みものの肴にするのは勿体なくて食事の時に食べるものだという気がする。その上に白い飯の上にこの柘榴石のようなものの粒が生彩を放つ。」

氷見の乾しうどん──「これは実際に食べたことはないが京都の寺などで夏にやる米の食べ方に就て聞かされた話で、それは確か米を先ず炊いてから渓流の清水に浸して洗い落せるものは凡て洗い落し、その後に残った米粒の冷え切った核のようなものを椀に盛って勧めるというのだった。京都の酷暑を冒して食べに行ってもいいという気持にさせるもので、まだそれをやったことがなくても氷見の乾しうどんの味でその話が久し振りに頭に浮んだ。ただうどんの俤を止めるだけで他のものは一切なくなり、又その俤が滅法旨い味がするというそういう代物である。」

中津川の栗──「その甘味は栗のもので舌に触る粒が粗くて僅かに粘るのも栗を感じさせる。先ず旨い栗を食べているのに近くて栗というのは皮を剥くのが指に渋が付いたりして面倒であるが、これにはその心配もない。それでも菓子には違いなくてもこの菓子はつい箱を開けてまだ幾つ残っているか見たくなる。」

近江の鮒鮨──「その幾切れかを熱い飯に乗せて塩を掛けて食べるのであるが、それにはその頭の所が最も滋味に富んでいるというのか妙であるというのか、そう言えば大概の動物が頭が旨いのはやはりそこに一番いいものが集っているのだろうか。(中略)人間も含めて凡て動物というものの体の構造から鮒も頭が全体に比べて少ししかないのが残念に思われる。」

……等々。

 いずれも、確かに素晴らしい本物でした。時代に流されず生き延びたものだけに、時期を外れて注文できないもの、地方発送がなく足を運んで買い求めたものもあります。少しの不自由さ、手間がかかるからこその大切さもまた、味というものかもしれません。どうぞ、吉田健一の文章とともにお楽しみください。