まずは、京都生まれの京都育ち、井上章一さんの「負ける仏教」から。

「京都は、寺が多い。僧侶も、たくさんいる。じっさい、街をあるいていても、お坊さんの姿はよく見かける。
 もう、十年ぐらい前になろうか。私は、どこかのお坊さんが、行列にならんでいる光景を、目撃した。見れば、クリスマス・ケーキを買うための行列である」

 そして当時、井上氏が非常勤講師として勤めていた神戸女学院の生徒に寺の娘がいて、きけば「毎年クリスマス・イブには、パーティをやっています。本堂に、クリスマス・ツリーをかざるんです」という事実まで判明します。いやはや、これはどう解釈すればよいものか。

 そしてもっと「衝撃的」なのは、プロテスタントの神戸女学院と対比するように、京都のある仏教系女子大を揶揄する言葉、すなわち「3B」と略されるものが陰で囁かれることがある、というのです。いわく「ぶさいく、びんぼう、仏教」……。いっぽう、ミッション系の女子大の場合は「3K」と略されるそうです(ますます実も蓋もなくなるので、何の略かはここでは省略いたします)。

 そして東京でも「3K」のイメージのあるミッション系の学校に、小学校から大学まで16年間通っていたのが『負け犬の遠吠え』の酒井順子さん。毎日の礼拝で聖書を読み、聖歌を歌い、かなりの影響を受けてもおかしくないはずなのに、今振り返ってみれば、キリスト教にはどこか馴染めないままでいる自分を発見しているようなのです。以下は特集のなかの酒井さんの文章「宗教と相性」より。

「キリスト教が私に何も影響を与えなかったわけではありません。キリスト教教育を受ける中で私が痛いほど理解したのは、
『私は悪人なのだなぁ』
 ということ。
 今でもよく憶えているのは、小学生の時、
『明日は学校に何を着ていこうかなー』
 とふとつぶやいたら(私服の学校だった)、先生に、
『聖書には、「何も働いていない野の花でさえ、神様は美しく装って下さっている。だから何を着ようかと思い悩むな」と書いてあります。そんなことは考えなくてよいのです』 
 と注意された。私は、
『はぁ』
 とか言いながら内心『だからってこの時代、今日と同じ服を明日も着ていくわけにいかないんだし。だったら制服作ってくれ』と思いつつ、『何を着ようかと思い悩まずにいられない私は罪深いのであるな』と理解した」

 そんな酒井さんはある時から仏教に興味を持ち、仏教系大学の通信教育に入学し、仏教の世界を逍遥するようになったと言います。

 井上さんと酒井さんの原稿は、キリスト教と仏教をそれぞれ反対側から照らし出し、思わず笑ってしまうエピソードが続々登場します。しかしその笑いの向こう側には、私たち日本人にとってそれぞれ異国の宗教であるキリスト教と仏教が、どのように受容されてきたか、その歴史と実態を明らかにする、鋭い視点を投げかけてくれます。

 井上氏の文章の表題にあるとおり、仏教は負けているのか、それとも負けるふりをして何かを勝ち取っているのでしょうか。