約300年前に製作された「名器」と呼ばれるヴァイオリン──と聞けば、ストラディヴァリウスを思い浮かべる方が多いと思います。そして名器であるからには、300年前に製作された状態をいかに維持保存するかが大変で、つまり重要文化財か国宝かというぐらいの手厚い扱いを受けているのだろう、と思われがちではないでしょうか。しかし、実態はまったくといっていいほど違うものらしい。手厚く扱う、というのは確かにその通りなのですが、“手厚く”分解し、“手厚く”ノコギリを入れる、というようなことが、実は珍しくないようなのです。

 東京・渋谷にあるヴァイオリン工房におじゃまして、そのあたりの事情についていろいろとお話をうかがいました。お話してくださったのは、佐藤正人さん。日本におけるヴァイオリン製作の先駆者・無量塔蔵六(むらた・ぞうろく)氏のもとで6年間修業の後、独立。1977年、ポーランドで開かれたヴィニアフスキー・ヴァイオリン製作コンクールで、ドイツ製作者協会から金メダルを授与された名人です。

「三百年ぐらい前に作られたストラディヴァリウスやグァルネリなどの名器は、誰にも弾かれずに博物館に収蔵されている場合は別として、製作された当時のままの状態で存在しているのは、とても珍しいケースだと思います。ヴァイオリンを左手で持つネックの部分は特に、オリジナルのままである場合は少ない。構造上の理由からほとんど途中で新しいものに取り替えられています。
 時代が比較的新しいヴァイオリンでもネックが交換されていることがあります。ネックはカエデの木で作られていますから、体温と汗のある手で長いあいだ擦られていると磨耗します。今修理しているチェロも演奏家の親指の跡に沿ってネックが凹んでいるのがわかります。楽器は思った以上に消耗するんです」

 写真は、そのネックを交換するための作業を撮らせていただいたものです(ただしこのヴァイオリンは、ストラディヴァリウスではありません)。大胆かつ繊細に、ゴリゴリとネックが切り落とされていく場面は、息をのむような緊張感がありました。写真ではわかりにくいかもしれませんが、実は親指の先ほどの大きさしかない、ミニチュアのような可愛らしい鉋(カンナ)も、佐藤正人さんが自ら製作した道具である、ということなども含めて、意外なお話をたくさんうかがうことができました。名器とよばれる楽器の陰で、このような名人の腕が存分に発揮されていることを知ると、音楽もまた少しだけ違って聞こえてくるような気がしてきます。