シリア北部の都市アレッポは、男っぽい街です。旧市街の中央には、アレッポ城が聳え、その周囲には深い空壕があります。城の下には、巨大なスーク(市場)が拡がり、それに抱きかかえられるように715年にシリアを征服したムスリムによって建てられた大モスクがあります。

 アレッポ城の「玉座の間」のある要塞(個人的には「天守閣」と呼んでみたいのですが……)は壕に張り出して、攻めてきた敵を「落とせるものなら落としてみろ」と挑発しているような気もします(……とはいうものの、このアレッポ城、難攻不落のように見えて、二度も落城したことがあるようです)。この要塞も、元はと言えば、紀元前一〇世紀にネオ・ヒッタイト人が作った神殿があったところ、十字軍に対する拠点として建て直され、その後、モンゴル、チムールの猛攻も受けました。大モスクもキリスト教の教会が転用されて建てられました。ところがこの前、初めて知ったのはこの場所にローマ時代はアゴラがあったこと。スークのメインロードも、昔はローマの列柱道路でした。

 中東都市は歴史の深さにおいては世界有数ですが、特にアレッポは「世界で一番長く人が住み続けている町」と呼ばれているように、有史以来、東西陸上交易の中継地として栄えてきました。トルコからオリーブオイル、エジプト特産の綿、アレッポ特産の石鹸や織物がここを行き来し、十六世紀から十七世紀にかけてはイギリス、フランス、ヴェネツィア、オランダが領事館を開いています。オスマン朝時代は、イスタンブール、カイロに次ぐ人口を抱え、現在も約二百万を擁するシリア第二の都市として発展し続けています。

 今回の特集で取材をしたアミーリーさんは、その旧市街に住む土木エンジニア。しかし副業として自分の先祖と同じように貿易商もしています。アミーリーさんは、自分の祖先がアレッポに住み続け、自分もまた「ハラビー」(アレッポっ子)として生まれたことを誇りに思っています。アミーリーさんの家族に伝わる話の触りをご紹介しましょう。
「今から三百年前、オスマン朝の時代。アミーリー家の資金で建てた隊商宿(ハーン)の庭に、身なりの貧しい若者が倒れていた。アミーリー家の当主、つまり私のご先祖様は貧しい人、困っている人、旅路にある人は喜捨(ザカート)して助けなければいけないという聖典コーランの教えに従って食事を与えた。聞けば、商売がうまくいかず、隣国ペルシャから夜逃げをして流れてきた商人だと言う。話を聞いてみると、なかなかしっかりとした青年だったから、私の先祖は、ペルシャ商人が仕事をやり直す資金を渡した。七年後のある晩……」

 アレッポで取材したもう一家族はアブドゥッ・ラッザーク・バナーナさんの一家。旧市街から二・五キロほど西に向かったサイフ・ダウラー地区に住んでいます。この辺りは二十年ほど前に開発されたので、巨大なサッカースタジアムが近くにあり、碁盤の目状の街区には、六、七階建て程度の中層住宅が並んでいます。どの住戸もベランダを縞模様のカーテンで覆っていて、強い日差しが遮られて、暑い夏でも快適に生活できるようになっています。
 さてバナーナさんは敬虔なイスラーム教徒。信心深いイスラーム教徒の女性にとって、自分の家族以外に顔や体の線を明かすことはタブーですから、取材前から、家にいる奥さんと二人の娘さんにはお会いできないことがわかっていました。それでもお宅にお邪魔して接待を受けていると、姿を現さない彼女たちの存在感がひしひしと伝わってきました。その訳は? 詳しくは本文を御覧下さい。