ニューヨーク・タイムズの著名なコラムニストであるトーマス・フリードマンは、『レクサスとオリーブの木』『フラット化する世界』などの著作で「世界が平らになっている」現象=グローバリゼーションを鋭く分析していますが、彼が記者として実質的にデビューしたのは1979年から84年までの内戦直下のベイルート、つまり「世界で一番でこぼこな場所」が取材の初舞台ということになります。

 彼の処女作『ベイルートからエルサレムへ』(一連の報道でピュリッツァー賞受賞)を読むと、エルサレムでタクシーの運転手に料金をぼられそうになり、逆に「警察に突き出してやる」と言われたフリードマンは、同乗していた妻とともに、「自分たちがどこから来たか教えてやろうか、泣く子も黙る、地獄の果てのベイルートからだぞ」と凄み、運転手を後にするエピソードが登場します。日本から見ると危険そうな印象のあるエルサレムから見ても、ベイルートは「ホッブスの言うジャングル」というイメージだったようなのです。

 しかし、実際のベイルートに足を踏み入れてみると、その先入観は崩れ去って、コスモポリタンで洗練されていると感じます。地中海の一番奥に位置するこの天然の良港は、気候も穏やかで、フランス統治下で町が整備され、「中東のパリ」とも呼ばれていました。洗練されたレバノン料理や新鮮な魚を味わえるベイルートは、中東赴任の日本人サラリーマンにとっても憧れの場所でした。また、車で30分ほど北に走れば、マロン派キリスト教徒の町ジュニエには豪華な賭博場「カジノ・ドゥ・リボン」もあり、南仏の保養地のような町並みが広がっています。

 現在のベイルートはかつての華やぎを取り戻し、今年夏のイスラエルによる侵攻の後も復興の流れは変わらないでしょう。海岸通りをジョギングする市民を目にしますし、ゴーストタウンとなっていた中心街は再開発が急ピッチで進み、パリの街角に立っているような錯覚に陥るほどだし、海岸沿いの道路には、奇抜なデザインの高層建築が林立しています。高級住宅街は、そのまま切り取って田園調布に置いてみたら、逆に東京の町並みの方がみすぼらしく見えるような気もします。

 そのベイルートでランドリー・チェーン店を営むムハンマド・マホムッドさんは、「お互いを尊敬し合うのがイスラーム。私は異なる宗教の信者が周囲にいても全く気にしない」と宗教の寛容さを力説する穏健なイスラーム教徒スンナ派です。そんなムハンマドさんが、週三回、夕方に通う場所があります。それが自宅近くの支店の目の前にある地元のモスクです。でも、それは礼拝のため訪れるのではなく、ここで開かれるエアロビクス教室に参加しているというのです。
 ――モスクでエアロビ?
 この疑問から、実際に近所のモスクを訪れたことから、取材は意外な方向へ……。