科学と宗教には対立の歴史があります。地動説を支持したガリレオ・ガリレイは、宗教裁判で「異端審問」にかけられました。近代の社会科学をリードしたカール・マルクスは、若かりし頃「宗教はアヘンである」と、宗教を批判しました。一時テレビでも、霊やUFO(これは宗教の問題ではありませんが)の存在をめぐって、科学者と宗教者がプロレスのような議論を交わす光景がよくみられました。例を挙げればきりがないのですが、科学と宗教は、両者を成り立たす前提からして、根本的に相反するものとしてとらえられてきたように思えます。

「考える仏教」では、お坊さんと脳科学者に対話していただきました。「お坊さん」は、厳しい修行を続けながらこれまで仏教あるいは禅の思想をラディカルな言葉で説いてきた、「語る禅僧」こと南直哉さん。「脳科学者」は、「クオリア」なる概念を引っさげ脳科学界に颯爽と登場した、茂木健一郎さんです。

 南さんは「私の言っていることは、曹洞宗の中では異端中の異端ですよ」と語ります。茂木さんも、最近では脳科学に限らず、文学や芸術などのジャンルを横断しながら刺戟的な活動をしています。それぞれのジャンルでは「異端」のお二人が、仏教の真髄について、釈迦の思想について、科学の問題について、大いに語り合ったのが、「仏教と科学の対話[前編] 終わりなき『問い』をめぐって」です。

 対話の一部を以下に抜粋します。
「坐禅をしていると、クオリアというものがよくわかるんです」(南さん)
「(釈迦の思想って)ものすごくタフでシビアな話ですね」(茂木さん)
「仏教と科学は、方法としてシンクロするところがあるかもしれない」(南さん)
「生や死といった人間の究極の問いに、(略)直面する気概は、科学にはありません」(茂木さん)
 初対面、異ジャンルの人間同士の会話とは思えないほど、二人は意気投合、真摯に仏教や科学について語り合っていきます。

 もしかしたら、絶望的な溝に阻まれていた科学と宗教(仏教を「宗教=religion」と呼べるかどうかというのはまた別の興味深い問題なのですが)にブレイク・スルーを起こすことができるのではないか、そんな大げさな期待さえ抱かせるような、異分野の才人の衝突を、ぜひご覧になってください。
([後編]は「考える人」2005年春号(4月4日発売)に掲載予定です)