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 こんなもんでいいだろう
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 先日の土曜日は家で仕事をしながら、NHKのテレビ放送50年記念番組をつけっぱなしにして、ときどき面白そうな場面になると仕事の手を休め、画面を見ていました。我が家では、ニュースや気に入った特定の番組を除いてふだんはあまりテレビを見ません。一日中テレビがついていたのはちょっと異常事態だったのですが、やはり時代の記録としてのテレビということになれば、どんな番組が放送されるのかとしばらく前から注目していたのです。

 ドキュメンタリー以外でもうひとつ楽しみにしていたのは「ひょっこりひょうたん島」のコーナーでした。小学生時代、ほんとうに毎日熱中して見ていた番組でした。いまだに劇中歌のいくつかは歌詞を覚えていますし歌えます。なんであんなに夢中になって見ていたのだろうという謎のひとつが、このコーナーを見ているうちにわかったような気がしました。

 それは、人形の制作にあたった方と、人形の操作の演出を担当した方のお話からでした。「ひょっこりひょうたん島」をスタートさせるにあたって、人形を作る上での基本方針があったそうです。それは、いわゆる「かわいい」人形ではないものを作ろう、というものでした。それまでの人形劇の人形は「かわいさ」が必須の条件だったのだそうです。

 しかし彼らは、「かわいさ」を前提にしない新しいモダンな人形を作りました。たしかに、それぞれの人形は40年近い時代を経ても古びていませんし、今見ても「モダン」です。記念番組全体のシンボルにもなっていた「ドン・ガバチョ」のフォルムなどは、ロシア・アヴァンギャルドのポスターの中に描き込まれても違和感がないのではないか、とさえ思われるほど、いわゆる「人形のかわいさ」とは無縁です。

 放送開始当初は、人形に対しての不評の声が少なくなかったそうです。井上ひさしさんによれば、番組じたいも当初はそれほど人気が出なかったといいます。しかし、ほどなくして子供たちが「ひょっこりひょうたん島」の面白さを発見し、誰に強制されるわけでもなく夢中になっていったのです。ドン・ガバチョの劇中歌を聴いて一家心中をやめる気持ちになった、という父親からの手紙が番組に届き、井上さんたちの「ひょっこりひょうたん島」に対する熱意がさらに深まったというエピソードも披露されていました。

「ひょっこりひょうたん島」の台本も、いわゆる「子供向け」ということを平気で逸脱するのが魅力でした。「いつもニコニコ現金払い」のトラヒゲデパートが登場したり、子供たちの大人顔負けの現実主義的態度も描かれる。世の中がきれいごとだけでは進んでいないのだ、ということも、劇の進行とともにさりげなく描いていたように思います。

 子供たちは「子供向け」の猫なで声で呼びかけられても、それが本当に面白いかどうかを見抜く力があります。当時小学生だった自分を振り返ると、「ひょっこりひょうたん島」に熱中したのは、この人形劇が自分たち子供を「子供扱い」していない、ということに無意識のうちに気づいていたのではないか、と今になって思うのです。

 一ヶ月前の成人の日に、ニュースではディズニーランドでの成人式を報じていました。大人になる記念の日に彼らを「子供扱い」して平気でいることに驚きました。ディズニーランドはたしかに大人でも楽しめる場所です。しかしそれを「成人の日」の式典の場に選ぶというのは悪い冗談としか思えません。「受け手」も「送り手」もそのことを疑っている様子がないのです。あるいは、「ちょっとどうかと思うけど、ディズニーランドはディズニーランドだし」と多少は苦笑いして参加した人もいたのでしょうか。

 しかしディズニーランドでの成人式だけが特に驚くべき事態ではないのかもしれません。「受け手」を低く見積もる傾向は、あらゆる場面でどんどん広がっているように思います。銀行が次々に合併する少し前、どの銀行も横並びで、預金通帳のデザインに子供向けのキャラクターを競うように使っていたのを思い出します。深く考えることもなく「他行もそうしているようだし、うちもそうするか」というような「大人たち」の会議の様子が目に見えるようでした。

「子供相手のものなんだから、こんなもんでいいだろう」と「ひょっこりひょうたん島」の関係者が思っていたら、あの人形のデザインは生まれなかったでしょうし、物語もありきたりのものになっていたでしょう。「受け手」の私たちも、彼らが「こんなもんでいいだろう」という姿勢だったのならば、それを敏感に察知して、番組に熱中することはなかったはずです。

「ひょっこりひょうたん島」もそうでしたが、同じスタッフによる「ネコジャラ市の11人」も面白かったなあ、大村麻梨子さんのナレーションが、実に「子供向け」じゃなかったなあ、などと次々に思い出すことばかり。懐かしがってばかりいる父親を、小学校二年生の娘がちょっと不思議そうに横目で見ていた土曜日でした。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)