「男たちの旅路」「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」など、70年代からテレビドラマのシナリオの名作を数多く書きつづけ、80年代中頃以降は『飛ぶ夢をしばらく見ない』『異人たちとの夏』(山本周五郎賞受賞)などの小説家、地人会や俳優座の舞台脚本家としても、素晴らしい作品を生み出している山田太一さん。
 30代以上の日本人で、山田さんの「言葉」と「文脈」にこれまで一度も触れずにきた、という人は、少ないかもしれません。そして触れたからには、その人がそれまでの人生で身につけた「言葉」と「文脈」に必ず何か「ゆさぶり」をかけられた思いをする、というのが、山田作品に接する大きな魅力だ、ということは、多くの人が感じてきたことだと思います。
 その山田さんも、(驚くべきことに)現在70歳。

 山田さんは、多く読み、多く見聞きし、多く考え、そしてその特徴ある力強い文字で(山田さんの原稿は全て手書き)本当に多くを書いてこられました。
 厳しい世界に生き、厳しい眼で常に自分も他人も見てこられたのだと思います。  
 そんな、「回想を好むタイプの人間ではないつもり」だった山田さんの胸に、この頃ふとした折に、「ワン・シーンもしくはワン・カット、残像といったようなもの」が立ち現われることがある。
 自分でも戸惑うような思いもあるのだけれど、それでもそのことをよく考えてみると、若い頃知って自分の骨肉となっているような「言葉」と「文脈」が、続けて思い出されてくる。

 大学入学頃から、松竹で木下恵介監督の助監督をしていた時代をへて、脚本を書き出す30歳前のころまでの10年ほど、山田さんは日記代わりに、読んだ本の引用をノートに写していたそうです。
 例えば、
「ひとたび生れて来たからには
 もうそれでおしまいなのだ」
 という山之口獏の詩「祟り」の一節を、久しぶりの知人との集まりで「自他の関係の頼りなさ」を思ったときに思い出す。
 そして続けて、助監督になったばかりの頃、愛用してきた「下駄を脱ぐ」ことになった、ささやかではあるけれど山田さんにとって少なからず「ゆさぶられた」出来事をありありと思い出す。
 するとさらに、また忘れがたい「引用」がよみがえってくる。

 山田太一さんという人が、これまでの人生をかけて選びとってきた揺るぐことのない言葉と文脈で織りあげられた、小さいけれど様々な色に輝いて見える、一片の美しい布のようなエッセイです。
 400字でたった10枚とは思えない豊かさと濃密さで、人が獲得しうる〈すごみ〉と〈寛容〉の素晴らしさを知らせてくれるエッセイです。
 ご堪能ください。