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 英米の兵士たち
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 1989年にニューヨークからサンフランシスコまで横断して、アメリカの作家10人にインタビュー取材をしたことがあります。そのうちの二人の男性作家は、兵役経験者でした。

 一人は、『カチアートを追跡して』が代表作のティム・オブライエン。マサチューセッツ州のボクスフォードの家は、森に囲まれた人家もまばらな別荘地のような地域にありました。文字どおり森閑とした家の前は、人の姿はもちろん、めったに車も通りませんでした。その時の彼の話。

「ヴェトナム戦争に従軍したのは二十二歳のときだ。まず二ヶ月間基礎訓練を受けて、それから戦地に入った。軍隊は悪夢のただ中にいるという感じだった。それまで武器のようなものは触ったことがなかったし、ボーイスカウトにすら興味を持てない男だったからね。ヴェトナムの戦地にいた十四ヶ月間は、怒りと混乱の日々だった」

「戦地に入って一月たった時のことだ。ヘリコプターがビールとコカ・コーラを運んできた。みんな列をつくって並んだ。ビールは一人一缶。僕は最後尾にいた。僕の前の男がビールをふた缶、取った。僕の分だよ。その一瞬、僕は彼の顔を殴って、鼻を潰したんだ。まったく反射的にね。たった一月でヴェトナムが自分を変えてしまった、ということに僕は気付いた」

 もう一人は『ウィンターズ・テイル』が代表作のマーク・ヘルプリン。ユダヤ系のヘルプリン家に生まれた彼は、ハーヴァード大学の中東研究所で学位をとり、プリンストン大学の大学院で比較文学を研究した後、イスラエル軍の歩兵として軍隊生活を経験しました。

「軍隊というところは、チェック・インはできても、チェック・アウトはできない。ゴキブリホイホイと同じだよ」と語る彼は、ユダヤ人の血を意識しながら、自ら志願して兵役に就いたのです。

「たとえば日本が、千年前に強大な国に侵略されて、日本人が世界中にばらばらに散ってしまったと想像してほしい。そして日本を再建する日が来たとする。その新しい祖国がふたたび脅かされたとしたら、日本人は皆結束して何とかしようとするはずだ。私がイスラエル軍に参加したのもそういう気持ちだった」

「夜は三時間しか眠れない。食器はアルミの皿がひとつ。それを洗う水がない。髭剃りも錆びている。十数時間立ちっぱなしなんてことはザラだ。軍隊には自分で何かを選択する自由なんてないんだ。私は人生はそもそもこういうものなんだ、と悟った」

 マーク・ヘルプリンが妻と二人の娘とともに住んでいた場所も、シアトル郊外の静かな森の中でした。仮に家に侵入しようとする者があれば、たちどころに強烈なライトが照らし出し、警報が鳴るシステムが万全にととのえられており、彼はインタビューの後、そのシステムを実際に稼動してみせてくれました。

 マーク・ヘルプリンも、ティム・オブライエンも、戦争や兵役の記憶から少しも解放されていない、それどころか、彼ら個人のなかで今もその記憶が研ぎすまされ強化され残っている──そんな気配がありありと伝わってきました。戦場や兵役の記憶から距離も時間も隔てられていても、彼らをどこまでも追ってくる記憶。物音ひとつしない森閑とした家が、逃げて逃げてやっとたどりついた場所なのかもしれない……彼らの話を聞きながら、そんなことを考えていました。

 湾岸戦争以来、ハイテク兵器の導入が戦争の質を変えたとしきりに言われます。今回のイラク攻撃にしても、中継基地には報道陣のためのプレスルームが完備されている様子を見ると、たしかにヴェトナム戦争の時代とは戦争の質が大きく変ったのかもしれません。しかし、湾岸戦争に従軍したアメリカ兵の戦争後に授かった子供には、異常に高いパーセンテージで先天性障害が現れたと言われています(毒ガス攻撃の予防のために飲まされた薬や注射が原因とする説や、劣化ウラン弾の影響を指摘する説もあるようです)。目には見えない心の問題まで含めれば、攻撃する側でさえ、個々の人間はやはり確実に傷ついているのです。

 昨日3月19日の朝日新聞朝刊には「『よし』『すぐだ』クウェート米兵に歓声」という見出しとともにある軍曹の勇ましい言葉が引用されていました。もちろんそれは事実なのでしょう。しかし、兵士全員が新聞の見出しでひと括りにできるほど、すべて同じように高揚していたのでしょうか。調査によれば、アメリカ国民の70パーセント以上が攻撃を支持する結果が出た、とも言います。しかし数字だけを見ていると、見失うものが必ずあります。人間はそれほど一律でも単純でもないからです。「すぐだ」と声をあげながら、(おれはこんな声をあげるようになったのか)と自分に驚いた兵士もそこにはいたのかもしれないのです。

 戦争というものは、しかける側も、しかけられる側も、人間のひとりひとりの個性や個人史や内面がひと括りにされて棚上げされる異常事態です。しかし戦争が終わったとき、彼らひとりひとりはふたたび個人の顔に戻り、日常へと帰っていきます。そこから先をどれだけ国家が保障するかといえば、答えは明らかでしょう。

 戦火にさらされるクルド人を含めたイラクの人々について、どれだけ想像しても想像しきれないものがあります。しかし、それと同時に、イラク攻撃に関わる兵士30万人という、統計と同じ数だけ存在し棚上げされている米英兵の「個人」についても、私は想像することを止めることができないのです。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)