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 選挙の不思議
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 町内のブロック塀に貼り出されるポスター。突然現れる選挙事務所(あれ? 事務所ができる前、ここ何だったんだっけ?)。選挙用の掲示板に並ぶ苗字がひらがなのポスター。ライトバンから名前の連呼。ちぎれそうなほど振られる白い手袋につつまれた手。「お騒がせしております」「あと一歩です」「ビルの三階からのご声援ありがとうございます」「○○候補の健闘をお祈りしています」……私がまだ子どもだった頃の選挙と、今の選挙のスタイルは何も変わりません。

 既成の政治の打破を訴える候補でも、たすきがけに闇雲な握手ぜめ、名前の連呼は既成の政治のやり方と同じ。そしてテレビ中継での当確の第一報に「万歳」三唱。「必勝」の文字。だるま。翌日事務所前に貼り出される「当選御礼」の紙。

 時代がこれほど変化しているのに、十年一日のごとく見事に変わらないものも珍しいのではないでしょうか? どれもこれも政治によってなされるべきこととは本質的に無縁の光景ばかり。

 選挙権、被選挙権に性別や学歴、納税額や財産、信仰などの制限を設けない「普通選挙」が始まってから半世紀以上が経過しています。「普通選挙」以前には、女性には選挙権が与えられず、昭和22年までは明治時代に創設された貴族院も存在していました。当時の「普通選挙」という言葉の重みは私たちの想像を超えるものがあったはずです。

 私が小学生の頃、NHKの人気番組「ふるさとの歌まつり」の司会者だった「おばあちゃん、おばんです」の宮田輝氏が参議院に立候補し、トップ当選を果たしました。子供心に、知名度から言えばそりゃあトップ当選するだろう、と思い、同時に「宮田さんは司会者としては能力があるんだろうけど、政治家としての能力はあるのかなあ」とも思ったものです。

「普通選挙」が始まった頃と較べれば、現在のテレビを中心とするメディアの力はあまりにも巨大です。戦争のあり様まで変えてしまったメディアを味方につければ、極論を言ってしまえば、政治について何を考えたこともない人間であっても政治家に「だけ」はなれるのです。弁護士も裁判官も官僚も、あるいはピアニストも建築家も、突然その仕事には就けません。しかし、政治家であれば可能なのです。これは果たして半世紀前に私たちが望んだ「普通」なのでしょうか。

 たまに国会答弁などを聞いていると、質問にもなっていない質問をしている議員がいます。かと思えば無闇に声を荒げて、下手な芝居のセリフのごときものを吐いて得意満面の議員もいる。言葉の浪費、時間の浪費、税金の浪費としか思えないやりとりを見ていると空しくなるばかりです。

 親の地盤を受け継いで当選、などという解説を当たり前のように聞かされると、今はいつの時代か、と思います。これでも「普通選挙」なのだろうかと疑います。しかし政治の世界のリアリティーには、どうやらこのような因襲的なものが含まれるらしいのです。

 その国の政治は、その国の民度に比例する、と言った小説家が昔いました。その視点からすれば、自分たちが選んだ議員の政治に失望したとすれば、それは自分たちに対する失望に他なりません。選挙運動に象徴的に展開されている旧態依然たるスタイル、方法論が変わらないのは、私たちがそれをどこかで「しかたないもの」としているからです。

 区議選の若い候補者で、自分で自転車を漕ぎ、たすきをかけ、のぼりを立てて走っている「素人くさい」候補者がいました。苦笑せざるを得ませんでしたが、しかし彼がもし当選して、議員になった後も同じようにたすきがけにのぼりを立てて区議会に通い続けたらどうだろう、と思いました。そして、区議会で何が議論され自分は何を主張したかを「素人くさく」毎月駅頭に立って話したらどうだろう、とも。それならば、ちょっと立ち止まって話を聞く気になるだろうか……そこで聴衆と議論したらどうなるだろう、と。

 しかし、それがもし大きな影響力を持つようなものに発展すれば、「衆愚政治」と呼ばれることになるのかもしれません。それならば、政治の旧態依然、無知蒙昧の野蛮さは必要悪として認めるしかないのでしょうか。「普通選挙」の穴を通って政治家になった「素人くさい」タレント議員の後ろには、老獪なプロの政治家、政党がついています。彼らが「素人」らしく暴れるように見える場面があったとしても、落ち着くべきところに落ち着くようになっている。それは「素人くささ」を装ったものにすぎません。

 十年、二十年と議員を続ければ、彼らには何かの役が回ってきて、元タレントだろうがなんだろうが「堂々たる態度」をまとい、「先生」と呼ばれるようになります。「長老」などという現実の世界ではほとんど死語になっている言葉が今も平然と生きている政治の世界には、もちろん「リストラ」などありません。

 2003年の現在における「普通選挙」とはどういう意味を持つのか。政治について考え出すと、どうにもこうにも気分が晴れません。しかしやがて私たちも、当の政治家さえも、選挙が終わればいつもの日常に戻り、本来の政治のあり方などどこかに置きざりにしたまま何かを忘れるのです。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)