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 蚕(かいこ)に夢中
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 娘の通う小学校で「蚕を育てながら、観察し、絹糸をとる」という総合学習の授業が始まりました。飼育ケースに入った五匹の蚕を抱えて帰宅した娘は、最初のうちは「キモチワルイ」とやや引き気味。ところが、親は「へえ!」とばかりに飼育ケースを覗き込み、桑の葉を無心に食べ続ける蚕の様子を飽きもせず見つめています。

 娘もだんだん蚕の生態が面白くなってきたらしく、今は熱心に世話をしています。桑の葉に小さな半円を描くように上から下へ首を振りながら、黙々と続く食餌行動。「淡々と」という言葉と「一心不乱」という言葉が同時に頭に浮かんできます。飼育ケースにそっと耳を近づけると、しんしんと雪が降るような、ひそやかな音が聞こえてきます。

 先生から聞いてきた注意事項は、娘の言葉によれば「水が一滴でもかかると死んじゃうんだよ」というものでした。え? だって自然の中に生きていたら、水がかからないなんてことあり得ないんじゃない?と言いかけて、待てよと思い、百科事典で調べてみました。蚕は数千年にわたって人間に飼育されることで習性も生態も変化してしまい、今となっては人間の手厚い世話がなければ生きていけない、実に繊細な生き物なのだと知りました。

 四回脱皮を繰り返し、最後に一回だけ尿酸を多量に含んだ糞をすると、繭作りが始まります。朝いちばんで採ってきた新鮮な桑の葉を与え、蚕どうしが重なり合い桑が食べにくくならないようにそっと箸を使って位置を移動させ、室温は脱皮の時期によって微調整しなければなりません。

 蚕の生活には人間の配慮が相当に必要のようです。羽化しても飛べませんし、口(正確には「口吻」)は退化しているので何も食べられず、羽化した後は交尾をし卵を産んで約一週間で死ぬそうです。人間と何千年も付き合ってきた(付き合わされた?)ことの代償は半端なものではありません。

 蚕をめぐる「迷信」も、昔はいろいろと語られていたようです。喪中の家の人間は、他の家の蚕室には立ち入れないとか、養蚕中はタケノコを家の中に入れてはいけない、などなど。オカイコサマと敬称で呼ばれたりするほど蚕が大切にされるのは、ひとつの繭だけでも二キロメートル近い糸が取れる「集金力」あってこそのことでしょう。

 しかし、蚕をじっと見ていると、この一心不乱な姿が、次第にどこか神々しくさえ見えてきます。人間の絹糸を作るために生きている蚕が、自分の力で飛び立つこともない未来に向かって淡々と桑の葉を食べ続けている……けなげだなあ、というよりも、どこかおごそかな、畏怖のような気持ちが芽生えてきます。

 その世話をひたすら続ける人間も単なる欲ばかりではない、もう少し別の次元の気持ちがなければ、あれだけ手間のかかる生き物を、何千年にもわたって受け継ぐことはなかったのではないか、とも思うのです。

「考える人」に連載中の「阿部謹也自伝」によれば、十一世紀ヨーロッパの一人の司教が残した文章に、占いによる未来の予言や自然信仰を魔術とともに罪として固く禁じようとした内容が記されているそうです(このくだりは、7月4日発売の夏号に掲載されます)。中世まで人々に浸透していた自然信仰は、キリスト教の広がりとともに排除され始めたのです。しかし、私たち日本人は今もなお、ひとつの神を信ずるというよりは、森羅万象に宿る神々をどこかで意識してはいないでしょうか。

 日本だけを見ても、蚕をめぐる言い伝え、迷信のたぐいはたくさんありました。中世ヨーロッパにもおそらく同じようなことがあったはずです。しかし、中世の時代も、宗教改革後の近代も、そして現代も養蚕業は綿々と続いています。それぞれの時代に養蚕に関わったヨーロッパの人々は、時代ごとにどのように異なる感情を抱きながら、蚕の世話をしてきたのでしょうか?

 無心に桑の葉を食べ続ける蚕は、ときどき小休止をとって、石炭のミニチュアのような糞をします。そしてまた首を振りながら食べ続けます。やがて桑の葉を食べるのをやめると、からだが透き通るようになり、繭づくりが始まります。大事に育てた蚕のさなぎを殺して生糸を巻き取るとき、娘が何を感じるのか、その時に聞いてみようと思います。

※蚕については主に「日本大百科全書」(小学館)を参照しました。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)