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 やせ我慢の校了について
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 今週の月曜日に、やっと次号の校了作業が終わりました。夕刻の六時にはすべてを終えて帰宅しました。平日の夜に家で食事をするのはほぼ三週間ぶりでした。

 私はこれまで「小説新潮」「SINRA」「波」と三つの雑誌の編集部を経験してきました。「波」の校了は一日だけで終わるので例外でしたが、他の二誌は一週間弱の校了期間があり、なかなか手ごわい日々でした。原稿を入手し、レイアウト作業を終えて、校閲部のチェックを受け、やっと入稿したのもつかの間、入稿したものはゲラ(校正刷り)となって印刷所から出てきます。それをまた同じようにチェックし、修正しなければなりません。校了までの手順はなかなか煩雑で長いのです。

 そして「これでもう、印刷を始めてもらっても大丈夫」という状態に持っていくのが校了なのですが、その頃には疲労がピークに達しています。と同時に、その「辛い作業」からまもなく解放されるという独特の高揚感にも包まれます。部員やデザイナーと一緒に会社の近所まで食事に出かけ、早々に済ませて会社に戻るべきなのに、妙に盛り上がってしまい、かえって作業が遅れ気味になることもあります。

 部員の間に小さな叫び声や意味不明の笑いが漏れるのもこの頃。疲れてくると、デスクで思わず独り言を呟いたり、自分の失敗に気づいて笑ってしまったり、冷や汗をかいたりします。「あー、気がついて良かった!」ということも少なくありません。そんな時には声をあげてしまうこともしばしばです。ゲラを点検しすべて大丈夫と見えても、自分の犯しているかもしれない過失の可能性について漠然とした不安を抱く時期でもあります。

 私が校了でいちばん嫌いだったのは、とにかく大前提として深夜まで会社にいなければならないことでした。印刷所からゲラが出て、まず校閲部に回り、担当編集者に戻ってくるのが夕刻以降になれば、校了できる時間帯はどうしても遅くなる、と理屈はわからないでもないのですが、でもやりようによっては、普通の時間帯に校了にする方法もあるはず、とずっと思っていました。深夜の残業は効率も悪いですし、間違いも起こりやすくなります。

 電車などとうに終わってしまった夜の町を、タクシーで帰宅していると、タクシーの無線が他社の編集部の名前をアナウンスしています。「あー、どこも同じなんだなあ」と半覚半睡の頭で聞いていました。気がついてみれば、今日は一六時間働いていたなあ、二日分も会社にいたんだなあ、なんていう日も校了期間では珍しくありませんでした。

 自分の担当範囲ということで言えば、例えば五日間ある校了期間のうち、自分の担当した頁は初日にすべて校了してしまうことだってあります。それでも、残りの四日間も同じように午前一時や二時まで会社に残っていなければなりません。校了期間は何があるかわからないし、雑誌の編集部員というのはある種の運命共同体のようなもので、「担当以外の頁は何も知りません」では対外的にもおかしい、といった暗黙の前提がありました。

 新人の頃はまだ見習い期間で、担当作家もそれほどいないので、自分の作業は
早々に終えて他の頁のゲラを読んでいました。その日の校了ゲラをとっくに読み
終えたはずの編集長も、なんだかんだと会社に残っていて、いちばん下っ端だっ
た私が「お先に失礼します」とはなかなか言い出せず、帰りにくいということも
ありました。校了期間というのは、大事な作業期間であると同時に、どこか我慢
くらべ、やせ我慢の様相も呈してきます。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)