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 ギャラは同じ
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 昨日の朝日新聞の夕刊に、こんな見出しの囲み記事が掲載されていました。「働きアリ、2割は働かず 北大助手らが研究」。北海道大大学院農学研究科の長谷川英祐助手(進化生物学)の研究によれば、「巣の外にエサを採りに行く」「卵や女王アリをなめてきれいにする」「ごみを捨てる」といった働きアリの仕事をほとんどしない個体が約2割いると判明したそうです。

「百人のうち働かない人たちが十人いたとする。その十人に辞めてもらうと、いつのまにかまた、新たに十人の働かない人たちが現れるものだ」とはよく言われることです。そういえば、「働かない社員」を嘆くことしきりの某出版社の役員に、司馬遼太郎さんが「××さん、そうカリカリしなさんな。新入社員を十人採用して、そのなかで一人でもよく働く優秀な人がいればそれだけで儲けものと思ったほうがいい。全員がばりばり働くなんて、そもそもあり得ない話なんだから」と柔らかく諭した、と聞いたことがあります。

「おめでとうございまーす」の一声で有名な太神楽(だいかぐら)の曲芸師、海老一染之助・染太郎も、「働く人」「働かない人」の対比を笑いのツボにしていました。口にくわえた棒の上に急須をのせてバランスをとったり、傘を回転させながらその上でボールだの升だのを回す曲芸をやるのはもっぱら弟の染之助で、兄はかけ声や解説、小道具を手渡す役回り。「これでギャラは同じでございますぅー」と嘆きながら傘をクルクル回す弟・染之助の表情が笑わせました。兄の染太郎さんは昨年亡くなり、あのギョロリとした目をみられなくなったのは寂しいかぎりです。

「居候」(いそうろう)という言葉も最近はほどんど聞かなくなりました。「他人の家にただでおいてもらうこと。寄食すること。また、その人。食客」(大辞林)。「居候、三杯目にはそっと出し」などというシチュエーションがどんなものなのか、想像もつかない人も多くなったのではないかと思います。「居候」でなくとも、何を職業にしているのかよくわからないのに理屈抜きで「面白いおじさん」というような人が昔はいたように思います。彼らはいったいどこへ行ってしまったのでしょう。

 そもそもサラリーマン社会というのは、それほど大昔からあったわけではありません。漱石の小説には、親の資産があって働かずとも良い「高等遊民」的存在がよく登場しますが、漱石の時代はまだ現在ほど「完成した」サラリーマン社会が世の中を覆いつくしていたわけではないのです。おそらくそれは、戦後まもなくの1950年代から、地方の中卒高卒の若者が製造業などの会社に「金の卵」として吸い込まれていった頃にその土台がつくられ、60年安保の岸内閣に続いて成立した池田勇人内閣が提唱する「所得倍増計画」が、その「棟上げ式」になったのではないかと思います。

 毎回引き合いに出してしまいますが、小津安二郎の映画に時々登場する会社のオフィスの光景や、煙を吐き出している工場の煙突のショットには、どこかに初々しさが漂っています。それは、新築の家に引っ越してきたばかりの晴れがましさと似ているような気がします。ほんの四、五十年ほど前には、「会社で働く」ということに何か人をわくわくさせるような、慣れない新鮮な出来事のような、ピカピカとした雰囲気が満ちていたのではないでしょうか。植木等が「♪サラリーマンはー、気楽な稼業ときたもーんだッ♪」と歌う映画「ニッポン無責任時代」が公開されたのは1962年7月のこと。小津安二郎の最後の作品「秋刀魚の味」が公開されたのは、その四ヶ月後です。

 それでは、最初にご紹介した「働かない『働きアリ』」の存在価値とは何なのでしょうか? 前述の朝日新聞の記事によると、研究者の長谷川さんは「働かないアリは一見、役に立たないようだが、コロニーにとっては意味があり、役立っているとしたら興味深い。年を取って働けないのかもしれない」と話しています。つまりまだ詳しいことは何もわかっていないようなのです。しかし私は、「働かないアリ」にはなんらかの役割、あるいは意味があるに違いないと考えています。たとえばアリの遠い親戚にあたる(?)蜂の世界では、同じ巣のなかに女王蜂が二匹現れると女王蜂同士で殺し合いが行われて、敗北した女王蜂は働き蜂に運ばれ捨てられるというドキュメントフィルムを見たことがあります。働かないように見える「働きアリ」も、ほんとうに何もしていないとしたら、そのままでいられるはずはないのです。

 ここで思い出すのは、クラシックのオーケストラのこと。しばらく前にテレビで取り上げていたのは、こんな素朴な疑問でした。「交響曲の演奏中、『ほとんど働きづめのヴァイオリン奏者』と『ほとんど出番のない打楽器奏者』では、ギャラは同じ額が支払われているのか?」。テレビは実際に東京交響楽団を訪ねて聞き取り調査をします。皆さんはどう思われますか? 答えは、「ギャラは同じ」。

 現在発売中の「考える人」最新号の表紙をご覧いただけたでしょうか? ジャン = ジャック・サンペの絵は、演奏を終えた交響楽団が聴衆の拍手を受けながら、その演奏の「功労者」を手を差し出して示すシーンを描いています。お気づきの方も多いと思いますが、指揮者から出発する、それぞれの演奏者の差し出す手は矢印のようにつながっていて、最後にたどり着く演奏者がいるのです。それは「ほとんど出番のない打楽器奏者」その人。目を伏せて拍手を受け、手を差し出している楽団員たちの表情がなんともいえず私は好きです。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)