12歳で日本を離れ、そのまま海外でピアノを学び、ピアニストとしてデビューした内田光子さん。内田さんは子どもの頃から大変な読書好きでした。「他人と自分の感覚がどうしてこんなに違うのか」と自問しながらも、誰にも干渉されない読書と、ピアノを弾くことによって、少しずつ自分の世界を築き上げ、守り、広げていきました。その末に発見したこと。それは、「音楽の目的は、美しい何かを人と分かち合うこと──」。録音よりも実際の演奏活動を重視する内田さんは、毎月、世界のどこかの舞台で、ピアノを弾いています。今回はシカゴでの仕事の最中にお邪魔して、二回に分け、三時間以上にわたってお話をうかがうことができました。

 内田さんは大変なインタビュー嫌いである、意に添わない質問をするとやりこめられる、音楽以外のことを聞いても答えてくれない、プライベートな質問はやめたほうがいい……シカゴでのインタビューに応じてくれることになった後、嘘か本当か確かめようのない様々な噂がどこからともなく耳に届くようになりました。初めてお会いする人へのインタビューはつねに緊張を伴うものですが、今回は、いつも以上に張り詰めたものになるのかもしれない。インタビューの日程が近づくにつれ、不安にならなかったといえば嘘になります。

 まったく見ず知らずの人間が、自分のことについて話を聞きに来る、ということ自体、考えてみれば、普通のことではありません。有名な人であればあるほど、そのような事態にさらされることが日常化することもあるでしょう。しかしそれは、その人にとって最も大切な仕事より優先されることはあり得ないのだ、ということは、考えてみればあたりまえのことなのです。私たち編集者、取材記者はインタビューすることを日常的なこととしてとらえ、深く考えることはありませんが、しかしインタビューは「受けて当たり前」というようなものではないのかもしれない。今回あらためてそのようなことを考えました。

 内田さんは、その日、その時、その場所で、一回限りの演奏をすることを大切にしている方でした。何よりも大切だからこそ、世界各地での演奏会が年間で五十回以上にならないように調整することが大変らしいのです。そのようなスタイルを貫かれている内田さんにとって、インタビューのための三時間は、おそらく特別に捻出した時間なのだろうと思います。

 お会いして、そして、お話をうかがいはじめるうちに、これほど刺戟的な答えが次々にかえってくる人も珍しいと感じました。言葉のひとつひとつが、内田光子という音楽家の人生と同じように、くっきりと明確な輪郭をともなって立ち上がってくるのです。まっすぐに伸びた姿勢と同じように、曖昧さというものがない。一回限りの演奏に集中するように、こちらの質問の意味をしっかりと受け止め考えながら、正面から答えようとする。12歳で日本を離れたことがそうさせるのか、インタビューに答える内田さんの日本語は、私たちが失いつつある日本語のニュアンスを豊かに含み、懐かしいような美しさも湛えていました。

 ここに引用したくなる発言は山ほどあります。しかし、全体の流れのなかでぜひ読んでいただきたいものばかりなのです。今回はインタビューに答えてくださっている際の、内田さんの表情のみを紹介させていただくことにします。内田さんの発言については、ぜひ、本誌でご一読くだされば、と思います。