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 夏休み表、できました
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 今は公立小学校でも教室にはエアコンの涼しい空気が流れていて驚かされます。昔はもちろんそんなものはなくて、プール開きの前の、炎天下の体育の授業の後などは、教室じゅうが「ぱこぱこぱこ」とプラスチックの下敷きをうちわ替わりにあおぐ音でいっぱいになりました。「下敷きであおぐの止め!」と先生の無情な命令がくだると、赤い顔をした子どもたちはうんざりした表情をむきだしにしたものです。

 実家にエアコンが導入されたのは小学校の高学年の頃だったか。どんなに暑くても、午前中は我慢してエアコンのスイッチを入れないという決まりがあって、午後になり、晴れてスイッチを入れると(もちろんリモコンなんていうものではなく、本体についているものをカチャっとひねるタイプでした)、ドスンと音を立てて運転が始まります。「クーラーが入ったら宿題やろう」と思っていたのに、クーラーの風切り音とヒンヤリとした空気に眠気を覚えていつしか昼寝に突入し、結局一日何も進まなかった、というお決まりのコース。小さな後悔がやってくる夕方にはクーラーのスイッチも切られます。

 夕方にちょうどほどよい雷雨があって、父親が帰宅する頃にはウソのように涼しくなっている、ということが珍しくありませんでした。扇風機でことが足りていました。素足で畳を歩く「ぺしぺし」する音は、夏の音でした。

「日本の家は、風通しを工夫すればクーラー無用ですよね」と若手の建築家に同意を求められたさる高名な建築家は、「いや、日本の夏は湿気が強いから、クーラーは必要です」と答えたそうです。それは本当にそう思います。昔取材で訪れたアリゾナ州で気温42度のなかの木陰の下で感じたのは、「湿度がなければ案外平気なものだな」ということでした。気温と湿度で算出する「不快指数」を考えた人はおそらく湿気に弱い人だったに違いないと思いますが、ニュースや天気予報で「不快指数85%」などと言われるとそれだけでぐったりとしてきます。

 エアコンの快不快は明らかに男女差も個人差もあります。会社で寒い思いをしているのはたいてい女性です。新潮社の出版部の空調は、ビルが建てられた当時に(出版部は本館に入っているので、こちらは昭和三十年代の竣工です)あらかじめ設置されていた通気口から冷気が吹き出すタイプのもので、座席の位置によってはまともに冷気を浴びてしまう女性がいたりします。通気口から空気が流れ出す量を部屋のなかで調節するには通気口についている鉄製の羽根を手で一枚一枚開け閉めすることになるのですが、その開け閉めは「暑い派」「寒い派」のそれぞれ不在の隙を狙って挙行されることが少なくありません。夏の間は水面下での静かな闘いが続きます。

 しかし、夜は12時になると館内の冷房のスイッチがシンデレラの魔法のように切れてしまいます。風切り音がとまる直前に、「ひゅるるるるるー」とモーターの回転が止まるような哀しげな音がします。五分もしないうちに室内はムッとしてきます。それを機に仕事を切り上げる人、個別の冷房がついている会議室に逃げ込んで仕事を続ける人、じっとりと汗をかきながら自分の机で頑張る人、といろいろなタイプがいます。この「ひゅるるるるるー」を耳にした口数の少ない残業組は、この瞬間に、テレパシーを使って静かな連帯感を共有します。

 やっぱり暑い夏は夏休みだよなー。そう思うこの数日でしたが、昨日出版部の出入り口に庶務の女性が作ってくれた「夏休み表」が貼り出されました。名前を左側の縦軸に、左から右に伸びてゆく月日を横軸にした、横長のカレンダー状のもの。出版部ぜんたいがいっせいに夏休みに入ることはありませんから、各自がこの表の自分の夏休み期間を塗りつぶして「ここで休みますよ!」と宣言するわけです。誰も塗りつぶしていないまっさらな表に、最初に赤々と長い横棒を塗りつぶすのは少し度胸がいります。「へえ、この時期にね、一週間丸々休むって?ほおおお」「え? 一週間休みを二回取るわけね。いいご身分ですこと」なんていう幻の声におびえてぎりぎりまで表を塗り潰せない人もいるかもしれません。おびえているのは案外、上司だったりするのでしょうか?

「いやあ、暑い夏は涼しい会社で過ごすに限る。夏休みは人出の少ない初秋の平日にとるほうがいいよ」という同僚の発言になるほどと思いつつ、しかし今年の夏はちゃんと休もうと思っています(次号の特集担当者に「ちょっとちょっと先輩!」と横目で見られるかも)。いやそれでも……休むぞお!!

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)