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 すき間をどうする
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 電車に乗っていると、車内広告の種類が近頃さらに増えていることに気づきます。吊り革にも広告が入るようになって驚いたのはずいぶん昔のような気がしてきます。最近ではドアの窓の上部の狭いスペースに横長のシール状の広告が登場しましたし、この前は吊り革が並んでぶらさがっている横に伸びるバーにも小さなシール状の広告が貼られているのを発見して、驚きました。

 私は牛乳パックに印刷されている文字も熟読してしまう活字中毒なので、電車に揺られながら中吊りを読んだり、窓に貼られたシール状広告を読んだり、ついつい文字に目がいってしまうタイプです。だから手を替え品を替えの広告を読みながら、「へえ、こんな商品があるのか」と思うことがないわけではありません。ただ、なんというか、一歩さがって見ると広告だらけの車内はあまりたのしい眺めではありません。このまま進んでいけば、関係者には電車の床まで広告スペースに見えてくるかもしれませんし、「車内放送にも音声広告を」とどこかで提案されているのではないかと心配になってきます。

 すき間家具、というものがあります。すき間産業、という言葉も最近はよく耳にします。どちらも、まずはアイディアありき、ですが、そのアイディアじたいが「きりがない」ものなのでは、と思うのです。家のなかにある「すき間」はそれこそ「椅子の下だって」「床の間だって」「トイレのなかだって」すき間だらけじゃないか! という話にもなってくる。家じゅうが「すき間家具」でいっぱいになって身動きがとれない、なんていう究極の光景も思い浮かびます。車内広告もこの「すき間家具」感覚と似ています。あらたなスペースを「発見」しては、新手の広告展開を実現させる「すき間広告」は、極端に言えば、もうどこにも広告を打てない、というところまで可能性があるわけです。

 都市の成り立ちも「すき間」感覚なのかもしれません。見る人が見れば、林や野原のままになっている場所があれば「空き地がある!」と考えて「ビルが建てられる」と思い、建物の高さの規制があれば「地下があるじゃないか」となり、横はもちろん上にも下にも、どこまでも「すき間」を探して人工物が建てられていくのです。都市を動かしているのは経済の論理なのかもしれませんが、「あ、あそこが空いている!」と思う生理的な感覚が開発の見えざる原動力にもなっていると思います。

 ……などということを考えていた過日、営業部の雑誌担当者と、「考える人」バックナンバー常備店の「空白区」である横浜の書店めぐりをしてきました(なぜ横浜の書店にバックナンバー常備店ができないのかは担当者氏にとっても謎らしく、「ちょっと今回はがんばってみましょうか」と声をかけられたのです)。両手には最新号のポスターとポップ(雑誌が平積みになっているところに、はがき大の小さな広告を浮き立たせる針金台付きのものをポップと呼びます)を入れた紙袋をさげて出かけました。

 回った書店で雑誌担当の方にご挨拶した後、「考える人」の平積みのコーナーにポップを立てたり、書店員さんにお願いしてポスターを店内に貼らせていただいたりしました。そうこうするうちに、次の書店にたどり着くと、まずはポスターを貼る壁があるかどうかを目で探す癖がついてきました。「あ、この柱に貼ってもらえるんじゃないの?」「お、ここのスペースが空いてる空いてる!」などと、私たち二人はほとんど自動「すき間」探しマシーン化しているのでした。なんだ……自分だって一皮むけば「すき間」探しにやっきになっている。

 そしてその数日後。ポスターを貼らせていただいたり、ポップを立てさせていただいたりした書店から、営業担当者氏に連絡が入りました。「いただいたポスターがきれいだったので、効果があったようです。入荷分は売り切れてしまいました。×冊追加注文します」というファックスの文面。うーむ。やっぱりすき間を探し求めて広告を展開しただけの「成果」はきちんとある……。

「見て! 見て!」という溢れるほどの広告から、距離をおいていたはずの私でしたが、気がつけば同じ流れのなかを漂っていました。消費者と生産者の間を結ぶものはやっぱり、まずは広告ありき、なのでしょうか。いずれにせよ「考える人」の広告予算は微々たるものなので、あちこちのすき間を求めて広告を大量に送りつける、などという事態はありえません。やはり読者のみなさんの満足を得られる誌面を編集して、広告スペース不要の「口コミ」で雑誌の評判が広がっていくことを祈るばかりなのです。


「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)