┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 雷
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

 次号の特集は「子どもをめぐる耳よりな話」です。すでに原稿が届き始めています。著者の個人的な出来事に触れる原稿を読んでいると、子ども時代の経験で心に残るものは、何十年経っても色褪せることなく、あるいは一層輝きをまして、その人の奥深くに存在し続けるものなのだ、とあらためて思います。夏休みを子どもと一緒に過ごしていると、この子のなかでどのような出来事がどのように記憶されて残っていくのだろう、とつい考えてしまいますが、しかしそれは、本人が意識して記憶にとどめておくことができるようなものではなく、否応なく、おのずと「残ってしまうもの」なのでしょう。

 小学校の六年生の夏休み、一年生から三年生まで三年間担任だった男の先生に声をかけられて、もうひとりの男の子と三人で尾瀬を旅したことがあります。その男の子はその旅で初めて出会う子でした。もちろん同じ小学校ではありません。聞けば、銀座にある老舗の息子で、私よりもたしか二歳年下でした。先生が私と彼を旅に誘ったのは何故なのか。彼は一人息子だったので、この旅をきっかけにして、私に兄のような役柄が期待されているのかもしれない──小学生だった当時の私はそんな予想をしていました。だとすれば、もう少し兄貴分的にふるまうことのできるクラスメートは他にいましたから、なんとなく「買いかぶられている」ような不安な気持ちと、少し晴れがましいような気持ちとが微妙に交錯していました。

 私は小学生の頃から人見知りでした。年下の彼も内気で静かな少年でしたので、宿に着いてもなかなか打ち解けません。先生はいろいろと気を遣って、宿のテーブルでスリッパを使って私たちに卓球をやらせたりもしたのですが(どこからピンポンの玉が出てきたのか? 先生が持ってきた?)、それでも打ち解けるまでにはなりません。先生は笑顔でしたが二人の様子を見てなんとなくじりじりとしているのがわかりました。私のほうが年上だから自分がなんとかしなければと思うものの、どうにも楽に自然にふるまうきっかけがつかめません。

 なんとなく薄い膜のようなものをまとった二人の小学生を連れて、先生は翌日の朝から鳩待峠を出発し、至仏山を登って尾瀬ガ原に下りて行く、というコースを歩き始めました。小学生にとってはそれなりにきつい道のりです。それでも山登りの間は言葉少なであっても苦にはなりません。宿にいたときの気まずさから解放されて、私はふだんよりも積極的に山登りに取り組む気持ちになっていました。

 山道の周囲から徐々に背の高い樹木が姿を消し、岩場と灌木と高山植物が目につくようになります。そして山頂には間もなくという頃、突然天候が変わりました。冷たい風が吹き、雷が鳴り始めたのです。そう思う間もなく、いままで聞いたこともないような雷の音が耳をつんざきます。ゴロゴロという前触れもなくいきなり「ピッシャーン」と何かを叩きつけるようなものすごい音と光。先生の顔つきが見たこともないものに変わっています。子ども心に「大変なことになった」と思い始めています。先生は灌木のそばで立ち尽くす私たちを引きずり出すようにして大きな岩陰へと急がせます。「頭を伏せて!」と叫ぶ先生の声。ふたたび大音量の雷鳴と目がくらむような光が同時にあたりを包みます。激しく降り始めた雨が先生の声にかぶさります。他に登山者も見かけないなか、雷は私たち三人をめがけるようにして容赦なく次々と落ちてきます。

 先生もこういう顔になるときがあるんだ──今は雷を避けることだけ考えていればいいものを、岩場に身を寄せる先生の表情を盗み見るようにしていた私は、雷の危険におびえることよりも、先生の様子にびっくりし、もしこれで自分たち子どもが雷に打たれでもしたら、先生は大変なことになってしまう、と考えています。自分が死ぬ恐ろしさよりも、もっと恐ろしいことがある、という不思議な感覚に襲われていました。

 雨は一層激しくなり、しかし雷はいつしか私たちに関心を失ったように、山の麓へと去って行きました。先生は寡黙でした。とにかく下山することになり、大雨のなか私たちは出発しました。それでも大きな危険が去った安心感で私は自分の足取りを観察する余裕も出てきました。尾瀬ガ原へ降りてゆく山道はすでに雨水を集めて小さな泥の渓流のようになっており、登山靴のなかにも水はたっぷりとしみこんでいます。山道を下っているのが自分の意志なのか、傾斜と重力にただひっぱられて下ろされているのか、わからない奇妙な感覚のなかで、不思議なことに私はすべてがずぶぬれのまま歩いていることをどこかで楽しんでいました。

 しだいに傾斜も緩やかになり、湿原の風景が間近になってくると、雨は嘘のようにぴったりとやみ、先生の声も聞こえるようになりました。湿原にたどりつくと、いつも通りの先生の笑顔と、「いやあ参ったねえ」という声が私たちの上にふりかかります。老舗の息子は、ニッという笑顔で先生を見上げて、私にも同じ視線を向けてきました。

 その後のことはほとんど覚えていません。宿で衣服や靴を乾かす作業が面倒だったこと、ぐらいがわずかに記憶の底に残っている程度で、先生と彼との間でどんな会話があったかも消えてしまっています。尾瀬ガ原の山小屋でどのように過ごしたのか。何を食べたのか。その後は彼とどんなやりとりがあったのか。光景として記憶に残っているのは、湿原の上空を飛ぶ、少し大柄で滑空のスピードも速いアマツバメの姿ぐらいです。東京の家に帰ってきてから、親に雷の話をしたのかどうかすら、怪しい。

 彼と会ったのはそれが最初で最後になるはずでした。しかし、私が大学生の頃のことです。家族と都内のホテルの中華料理屋で食事をしていたとき、私がトイレに向かう途中でちょっと印象深い彼の名字を呼ぶ声が背後から聞こえ、あれ?と思うままトイレに入ると、彼が友人と二人で笑いながら私の後から入ってきたのです。鏡に映る顔は、明らかにあの時の面影を残していました。友人といるせいか、快活さも身にまとい、たくましくなった印象です。

 結局私は、彼に声をかけることはできませんでした。あの雷のことを彼がどんな思いで記憶しているのか、これからも聞く機会が訪れることはないでしょう。考えてみれば、先生がいまどこで何をされているのかも知るすべはありません。私は間近で大きな雷の音を聞くたびに、至仏山と尾瀬ガ原のことを思い出すのです。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)