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 二十数年ぶりの柔道
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 以前にも少し触れましたが、高校時代になんと言っても苦手だったのは、剣道と柔道の時間でした。私の通っていた私立の男子高は“文武両道”を謳い、進学指導はもちろん、体育の授業にも力を入れていたので、剣道場も柔道場も完備されており、どちらも必修の科目だったのです。

 剣道が嫌いになったのは高圧的な教師の態度に第一の理由があったのですが、それよりも何よりも「臭い」のがイヤでした。竹刀はもちろん防具もすべて共用で使っていたのがその原因です。胴着や面はまだしも、籠手の共用というのがなんとも……なのです。激しい動きをすれば冬でも手に汗をかきます。皮の手袋の内側は汗でぐっしょり。次々に使い回すわけですから汗が乾く暇もありません。

 夏に籠手のなかがどうなるかはご想像にお任せしますが、空気の乾燥する真冬でも籠手の中は冷たく湿っていて、手を入れた瞬間にゾッとする感触。籠手の向こう側には、妖気漂う異次元の世界が広がっているようでした。籠手が並んで置かれてある場所に近寄るだけで、なんとも形容のできない臭気が怪しく漂ってきます。剣道の授業が終わった後、石鹸でごしごし手を洗っても、手に残った匂いはどうにもとれませんでした。

 柔道の記憶はといえば、「寒い」と「痛い」でした。真冬の柔道場はもちろん暖房などありませんから戸外とほとんど気温は同じです(ちなみに学校全体にも当時は冷暖房がありませんでした。真冬は授業中に吐く息が白くなりました)。畳の冷たさというのがこれほど「痛い」ものか、と初めて知りました。氷のように冷たい畳の上で、スカスカの柔道着を着た私たちは、まずは受け身の練習を嫌になるほど繰り返します。走りながら自分で体を畳に投げつけて、着地と同時に腕と手でパーンと畳を叩く瞬間、冷たさと痛みがセットになってじーんと脳天にまで響きます。

 列をつくって次々に受け身の練習をした後、少しからだがぽかぽかしてくると、今度は二人一組で技のかけあいに入ります。実はこの練習はそれほど嫌いではありませんでした。ただし私が相手にかけられる技はたった二つ、「大外刈り」と「体落とし」だけ。苦手なのは寝技。……うーん、やっぱりよくよく思い出せば、柔道も嫌いだったな。

 ……という日々が今からもう三十年近くも昔。今は強制的な運動はもちろん自主的な運動もなく、会社の階段を駆け下りるだけでも、加齢とともに備蓄された皮下脂肪がふるえます。今はちょうど校了作業の真っ最中なのですが、先日の土曜日は忙中閑ありの休日でした。あまり気温も上がらず曇りがちな天気だったので、自宅玄関脇の階段に面した背の高いフェンスにからみつき、伸び放題になっていたテイカカズラ(定家葛)を刈ることにしました。

 このテイカカズラは初夏に小さな白い花をつけると甘く清冽な香りがします。つやつやとした小ぶりな葉っぱを繁らせるツル植物なのですが、さすがにツル植物だけあってぐんぐんツルが伸びます。春から初秋までは毎月のように剪定しないと、頭髪が蛇のメデューサ状態になり、可憐な印象が少しまがまがしいものに変わってしまいます。

 なぜテイカカズラという名前がついたかは諸説ありますが、面白いのは以下の説。──藤原定家が後白河法皇の第三皇女式子内親王に人目を忍ぶ恋をしたものの、ふたりは結ばれることなく、式子内親王も生涯独身を通し、四十九歳で亡くなります。亡くなっても静まることのない定家の思いが蔦葛と化して内親王の墓にからみついた……この物語は謡曲にうたわれており、テイカカズラという名前の由来は、どうもそこから来ているらしい(『新日本古典文学大系57 謡曲百番』西野春雄/校注 岩波書店、『週刊朝日百科 植物の世界 85』 朝日新聞社より)。

 テイカカズラの茎を切ると切り口にミルクのような白い樹液がふくらんで、やがて垂れ始めます。見ているとなんだか痛そうで、申し訳ないような気持ちになってきます。しかしテイカカズラには呼吸困難や心臓麻痺を起こすトラチェロシドという毒性が含まれているらしい。白い小さなプロペラ状の可憐な花にしては、その由来といい、毒性といい、なかなかあなどれません。

 剪定作業は約二ヶ月ぶりでした。フェンスの一番高い見上げるところには葉とツルが密集していて、からみつく先を求めて四方八方へ、空をつかもうとするかのようにツルの先が伸びています。私はフェンス脇の階段ののぼり口に脚立を立てかけて、伸び縮みする剪定バサミを抱え、脚立に足をかけて作業開始。最初は楽に手の届く低い部分から徐々に切り始めます。一段のぼってはその上を切り、届かなくなるとハサミを伸ばして切り、とだんだん上のほうへと進んで行きます。ふたつ折りの脚立をよっこらしょと開いて縦に伸ばして、さらに上のほうへと登っていきました。

 だいぶ作業が進んで、いちばん手の届かない部分にさしかかってきました。脚立の上の方にさらにのぼって、ハサミの柄の部分も長く伸ばし、さらに私の腕もぐいっと先へ伸ばした瞬間でした。私の荷重とフェンスの支点がテコの作用を働かせ、脚立が下から持ち上がり、私のからだは地面に向かって投げ出されたのです。ハサミを持ったまま私は真っ逆さまに。「あ、しまった!」と思った時には「すでに遅し」。

 人が何かの事故に遭遇すると、目に入る映像がスローモーションのようになる、と聞くことがあります。私の場合もまさにそれでした。地面に向かって落ちながら、1)このまま頭から落ちたら大変 2)頭を打たないように背中を丸めよう 3)受け身だ!……というようなことを矢継ぎ早に考えていたようです。実際の時間は一秒もなかったはずですが、今でもそのスローな映像が甦ります。くるりと一回転して地面に着地する瞬間、私の腕と手は二十数年ぶりの柔道の受け身のかたちをとっていました。

 しかし三メートル近い高さから落ちたのです。ドスンという衝撃を感じた瞬間に、1)あ、骨折ったかも 2)校了どうしよう? 3)誰か見てたかな?……といくつかのことが同時に脳裏を駆けめぐりました。履いていた靴は両方とも飛ばされて脱げ、ジーパンもポロシャツも泥と葉っぱの模様付き。「あーやっちゃった」と恥かしく心のなかで呟きながら、テイカカズラの幹で擦り剥いた左腕が赤黒くなっているのを発見。不幸中の幸い、着地点はほとんど土の地面だったので、怪我はそれぐらいでした。立ち上がれば少しふらふらするものの、骨が折れてぶらぶらしているところはなさそうです。頭も打っていないはず。

 腕の傷を水道で洗って、消毒をして、それからふたたび作業を開始しました。切り落としたツルや葉や茎を掃き集め、ゴミ袋に入れて、と作業をしながらも、どこか落ちたことのショックで頭は上の空。心臓もまだドキドキしています。私が転落した瞬間には通りには誰もいなかったようで、一人で勝手に落ちて一人で勝手に復活した、という図でした。近所の人が通りがかりに「きれいになりましたねえ」「精が出ますね」とのんびりした声をかけていきます。

 妻と娘はちょうどその頃、駅近くの商店街で買い物をしていたので留守でした。片づけ終わった頃を狙いすましたように電話が鳴り、「夕ごはん、外で食べない?」と妻。私は手短に転落の顛末を告げました。「大丈夫? それで出てこられるの? 家で作って食べようか?」と妻は言いますが、私の怪我は結局腕の擦り傷だけなので、出かけられないという理由はありません。私は泥のついた服を着替えて自転車に乗り、待ち合わせ場所へぎっちらぎっちらと漕いでいきました。

 私を発見した娘が手をふって近づいてきます。自転車を降りた私を見て妻が言いました。「あら、なんだかさっぱりした顔してるわね……落ちた瞬間に憑きものでも落ちたんじゃない?」え、憑きもの? さっぱりした、と言われれば、確かにさっぱりしたような気持ちもしてきます。「きっとそうよ。顔が違う」妻は断言します。私は娘に尋ねました。「パパが落ちたのは5時半ぐらいなんだけど、その頃、何か胸騒ぎのようなものはなかった?」娘はしばらく考えて「5時半ぐらい? うーんと……ソフトクリーム食べてた。ママのぶんのコーンももらって、ばりばり食べてた」。ソフトクリーム。ばりばり。うーむ。「何にも感じなかったわけね?」娘は少しだけすまなそうな顔をしながら「うん」と頷いて、パッと笑顔になりました。

「考える人」の秋号は、連休明けの来週火曜日、無事校了になる予定です。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)