┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 後味の悪い話
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

 昨日は発売後恒例の書店めぐりに出かけていました。私鉄沿線の限られた地域を回ったのですが、その地域担当になった今年入社の新人Оさんと、毎回一緒に回っている雑誌担当者Tさんの三人で、地下鉄、JR、徒歩を使って移動しました。その移動の途中で、こんな話になったのです。

 営業部の若手としてひときわ笑顔がさわやかな、新潮社らしからぬ(?)キャラクターで人気を集めていた「太郎くん」が、新雑誌「旅」に異動して編集者として活躍し始めたのですが、彼が異動後しばらくして営業部の人にこう言ったそうです。「雑誌の編集部に移ったらタクシーに乗る機会が増えたんですけど、このタクシー代はいったい文庫本を何冊売らないと稼げないかと考えると、やっぱり電車に乗らなきゃって思っちゃうんですよ」。「旅」の名誉のために申し添えると、「旅」の編集者がばんばんタクシーを乗り回している、ということではありません。編集部の仕事はどこでも不規則かつ突発的な動きをとることがあり、ふだんは電車を使っていても、いざとなるとタクシーをとばす、ということがどうしても出てくるのです。それは「考える人」とても事情は同じです。

 太郎くんの感覚はしごく真っ当です。太郎くんならずとも、同じように考えている編集者も少なくないはずです。しかし、しかしなのです。そういう感覚がまったくない人、もなかにはいるのです。

 ここからは表題にあるとおり、ちょっと後味の悪い話になってしまいます。そういうことはあまり公に書かないほうがいいよ、という声が私のなかからも聞こえてくるのですが、どうも虫の居所が悪いらしく、どうしても書かずにはいられない気分になってしまいました。太郎くんの真っ当な行動を聞き及び、私のなかのちょろちょろと燃え続けていた口火にどうやら点火されてしまったようです。もう二年も経った出来事なので、私の当時の気持ちが古びて、「まあ、そういうこともあるさ」と落ち着いてきてもいい頃なのですが、どうにもそうならないのです。私憤を晴らすだけじゃないか、という声も聞こえてくるようですが、書くことにします。

 雑誌ができると、執筆者、協力者以外のメディア関係の人(新聞社の学芸部、文化部など)にも雑誌を寄贈送本します。何らかのかたちで取り上げてくだされば、という思いがあってのことです。単行本も同じです。著者からいただいた寄贈リストをもとに送るものと、やはり書評を期待してのメディア関係への寄贈があります。ちなみに新潮社の場合、著者には10冊のみ見本として無料でお渡ししますが、それ以降は著者の方にも本は買っていただくことになっています。

「あの本、送ってくれる?」「あの話題の本、読みたいんだけど」という連絡が編集者に直接入る場合があります。もちろんその言葉のあとに「書評で書くからね」というケースも多いので、これもメディアへの寄贈と同じで、喜んでお送りするケースがほとんどなのですが、純粋に「ただ読みたいだけ」という人もなかにはいます。その人は、その編集者にとっていろいろとお世話になった人で、だからこそ直接電話もかかってくるのですが、しかしながら、送られた本を読んで世間に広く知らしめようとしてもらえるかと言えば、ほとんど期待できないのが実情です。もちろんお世話になった方で今後も具体的に協力を仰ぐことが想定される場合もあり、有形無形のやりとりの一環として、「ここは送っておいたほうがいい」と判断するケースもあります。

「考える人」が創刊される直前、同僚から声をかけられました。「あ、松家さん。××さんにパーティで会ったんだけど、『考える人』送るように松家君に言っておいてって言われたわ。お伝えしておきますね」と言われました。××さんは私のかつての上司ですでに定年退職されています。面倒をみてきた若手社員が編集長となって一体どんな雑誌を出すのか、注目しているよ、応援するよ、という意味なのかと思い、とにかく寄贈リストにその方の名前と住所を入力し、創刊号をお送りしました。

 その後、創刊第二号が刊行された頃のことです。とあるパーティでその人にポンポンと肩を叩かれました。雑誌をお送りしていることのお礼でも言われるのかと思い笑顔で挨拶しました。その方も笑顔でしたが、言葉はこのようなものでした。「『考える人』ぱらぱらと見たけど、こんなもん誰が読むんだって、さっきも社長に会ったからそう言ったんだけどさ、でも創刊号売れたんだってね」……その人のキャラクターはわかっていましたので、「まだまだ頑張らなければ駄目だぞ。でも、とにかく売れたみたいじゃないか。おめでとう」と解釈するのが大人というものなのかもしれません。しかし、その言葉を聞いたとき、私のなかで何かがプツンと音を立てて切れてしまいました。

 実はその頃、定期購読の担当をし、様々なアプローチで定期購読の読者を着実に増やしてくれていた編集部の心強い味方、パーソナル事業部の部長から「あ、松家さん、『考える人』を△△さんが定期購読を申し込んでくれてるの、知ってる?」と声をかけられていたばかりだったのです。その方も定年退職された元編集者ですが、私の直接の上司だったことはありません。しかし仕事上、話をすることも少なくなかった方なので、新鮮な驚きがありました。「定期購読させてもらっているよ」と連絡をもらったこともなく、黙ってとってくださったことが無性にうれしく感激したのです。その方には後日やはり別のパーティでお会いすることがあり、お礼を申し上げました。その際には、的確で具体的な批評もいただき、なかなか痛いところをつかれたので、現在にいたるまでその言葉が頭を離れないでいます。三年目に入ったところで、多少はその言葉に応えることができただろうか、とときどき思い返したりしています。

 もちろん、前者の方への送本はそのパーティの後で停止しました。幸か不幸か、その方とは以降すれ違うこともなく今日に至っています。在職時代学ぶところも少なくなかった方なので、残念な気持ちもないわけではありませんが、しかし、どうしても譲れぬ一線というものが私にはあります。

 まあ、人のことはいい。私が会社をやめたら、後輩の作った本、雑誌は必ず書店で買うことにしよう。このことだけは、必ず守りたいと今から思っています。一冊一冊「身銭を切って」買ってくださる読者の皆様にどう満足していただけるか、さらに真剣に考えるきっかけとして、苦いながらも自分にとってはいい経験だったと、今日このメールマガジンを書き終えたからには、そう思うことにしましょう。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)