┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 うれしいような意外なような
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

 営業部のTさんは私と同世代で、彼が雑誌の編集部に途中入社してからまもなく何かの機会で話すようになって、会えばなんとなく長話をしてしまう大切な同僚です。たぶん人間のタイプとしてはあまり似ていないんじゃないかと思います。彼の仕事はつねに緻密、私は緻密なところもあるけれど、ときにアバウト。彼は鉄道好き、私は鉄道に揺られると居眠り。彼は編集部時代からいつもスーツ、私はほとんどスーツは着ない。似ているのは汗かきのところぐらいでしょうか。そんな彼が紙をひらひらと持って私に近づいてくると、それはたいてい「考える人」の発売後の調査結果を届けにきたときで、その度に私の血圧は少し上昇します。

「よかったですね」とTさん。「……あ(絶句)、すごい」私は初日の実売率に目が釘付けです。Tさんニンマリ。「これ、『大人のための読書案内』の号より上回ってますよ」。最近の号で言うと、「大人のための読書案内」と題した特集の号がびっくりするぐらい売れたのですが、特集「クラシック音楽と本さえあれば」の最新号が、その数字を発売日からいきなり上回っていたのです。こういうときに、「ほらね、だから売れるっていったじゃない?」と胸をはって言いたいところなんですが、私が発売の一ヶ月ぐらい前の営業部との会議で言ったセリフはこういうものでした。「『考える仏教』ほどはいかないかもしれないけど、でもちゃんと売れると思います」──やや弱気ぶくみの、セールストークとしては押しの弱い発言でした。

 T「これは完売ペースですよ」私「うーん……だけどさ、クラシック音楽の熱心なファンがささーっと書店に買いにいってくれて、だから初速がいいってことかもよ。一週間ぐらいするとぱたっと数字が落ちるかも」T「どうしてそう弱気なこと言うんですか?」(Tさん苦笑い)、私「『考える人』はいつも一ヶ月ぐらいしないとわかんないところもあるじゃない。『考える仏教』の号だって、最初はそんなに凄い数字じゃなかったけど、途中からぐんぐん数字があがっていったでしょ? 今回はその反対のケースかもよ」Tさんちょっと真面目な顔をして言います。「うちの姉も買ってたんです」「え? Tさんのお姉さんってクラシック音楽好きだったの?」「いえ、ぜんぜん」「……じゃ、なんで買ってくれたの?」「仏教特集で初めて買ったら『考える人』が面白かったみたいで、だから最新号も買ったって言ってました」「へえー! ありがたいねー!!」「そういう人もいるんです。だから特集は大きいんです。今度の特集はぜひ『仏教とクラシック音楽』にしてください。えへへへへ」Tさん、去っていく。

 何が売れて、何が売れないかは、結局は出してみるまではわからない、と以前に書きました。もちろん、それは私個人にとっての「出版の原則」ですから、異論はあると思います。「考える人」も号によって実売率が変化します。その変動にはいくつかの理由が働いていると思いますが、結果が出た後でいろいろ分析するものの、どこか後付けの理由という感じも否めません。ただ、これまで12冊の「考える人」を編集してきて思うのは、特集が実売部数をかなり左右するであろうことは、ほぼ間違いないことのようです。土台をしっかりと築き上げてくれるのが連載で、そこへどれぐらい上乗せができるかが、「売れる売れない」的世界観から見た、「考える人」における特集の果たす役割とも言えます。

 雑誌によっては(たとえば月刊誌)、売れる特集の傾向を見定めると、そのテーマのヴァリエーションを一年に一回ぐらい繰り返す、というのもよく見られる方法です。それがうまくいけば「定番」特集に、うまくいかなければ「マンネリ」になり、読者に「またか」と飽きられてしまいます。女性誌の場合(よく知らないのでウカツなことは言えませんが)、この時期にはこの特集、とシーズンがテーマを決める場合も多いのでしょう。Tさんが「仏教とクラシック音楽」と言ったのは、そういう雑誌の実態をちょっぴりななめから眺めつつ、「売れたことを次にちゃんと生かしてくださいよ」という私への注文でもあるのでした。

「考える人」の特集は、今のところ「定番」はありません。次にどんな特集を組むかというのも、場合によっては「次号予告」の原稿の締めきり間際に最終決定することすらあります。昨日の昼も、次号の特集に関わってくださる茂木健一郎さんと編集部の打ち合わせがあったのですが、特集の組み立て方とか、取材の方法についての相談は、顔をつきあわせて話し合ううちに刻々と変化して、あるいは、あれよあれよといううちに決まったりもして、しかし特集の料理の仕方は毎回違っているために、いつもゼロからの編集になってしまいます。前方には「いつか来た道」が待っていてくれるわけではなく、手探りで道を切りひらく、というのが実態なのです。何が飛び出すかわからない。やってみなければわからない。そういうやり方は、まだまだしばらく続きそうです。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)