┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 葉山の海。クオリアの海。┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

 シー・カヤックなど、海のアウトドア・スポーツに凝っている知人の家を訪ねて、先週末に葉山へ遊びに行ってきました。知人はふだんは東京でこつこつと働き、週末は葉山に借りている部屋に出かけて目の前の海で遊ぶ、という暮らしを四年ほど前から始めています。家賃は月に数万円。古いマンションの一室ですが、少しずつ自分でリフォームしてきたそうです。壁のペンキ塗り、玄関のタイル貼り、作りつけの家具もすべて自作。三階の部屋の窓からは海が見渡せます。なるほどこれなら毎週いそいそと足を運びたくなるはずだという絶好のロケーション。清潔な室内には海辺の光がいっぱい入ってきます。

 私は三十歳になるまでカナヅチ同然だったので、いまだに海に対する恐怖がぬぐえません。「海派」か「山派」かと問われればハッキリ「山派」です。ではありますが、浜辺に横たわって目ををつぶり、果てしのない潮騒を聞いていると、ふだんはきっちりと蓋がされている「たましい」の格納場所に息が吹き込まれるのでしょう、全身がゆるみリラックスした気分になります。頭蓋骨の裏側にも浜辺の太陽の光が差し込んでくるような感覚。山派の私としても、「海はいいなあ」と思う瞬間です。

 知人の部屋で短パン、Tシャツ、ゴムゾーリ姿に着替えて、いそいそと出発。午前中は雨模様でしたが、あっという間に天気は回復して陽も差し始めています。海へは部屋から徒歩一分。防波堤の一部にとぎれている部分があり、そこは海へと降りる階段です。降りきったところがそのまま海の磯辺。午前中に干潮となり、昼すぎの今はふたたび少しずつ水位が上がり始めたところ。まだ水深はほんの十五センチぐらい。浅瀬にゴムゾーリの素足をおそるおそるおろします。つ……冷たい! 足を入れた瞬間はそう思いましたが、ゆるゆるとその浅瀬のなかを歩き始めればじきに慣れてしまいます。

 落とし物でも探すように足もとに目を凝らしながら、あてもなくあちこちを歩いて見て回ります。踏み入れる場所によって潮の流れが変化し、太陽の光でぬるんだのでしょうか、なま暖かい海水にあたる場合もあるのです。にぎりこぶしぐらいの丸い石には岩のりが付着しています。立ち止まって目を凝らせば体長三~四センチの小魚がピリピリと動きながら群をなして泳いでいます。沖に向かって転々と散在する磯の岸辺には小さなヤドカリも。知人によればウミウシもいるということでした。

 近年は、海で遊ぶといえば沖縄でした。関東近県の海がどんな感じなのか、まったく意識の外にありました。葉山の海に入って思ったのは、関東の海も実はきれいなところもあるのだ、ということでした。東京から車で約一時間。海辺にはマンションや民家がひしめいている場所であっても、様々な生き物が活動している海がある、ということに新鮮な驚きを覚えました。沖縄の海はたしかにきれいですが、海水浴場として管理されていない浜には流れ着いたペットボトルや発泡スチロールの破片が散乱して、がっかりさせられるような場所もないわけでもないのです。しかしこの磯辺は自主的な清掃活動も行われているらしく、ゴミは見あたりません。

 もっとのんびりできる浜があるというので、もと来た階段を上がり、海辺の国道沿いをさらに十分ほど南へと歩きました。価格はおそろしくて聞けそうもない豪華な低層マンションが建っていたり、車庫には品川ナンバーの外国車の駐まる別荘が並んでいたり、海辺の町並みに思わず「へえ」とか「ほう」とか「ははあ」とか、ハ行の感嘆つきで立ち止まることしきり。なかなか前へ進めません。そんな別荘と別荘の間の道を海辺へと折れていくと、今度は太陽にあたためられた柔らかい砂浜が現れます。

 犬の散歩をさせている人がちらほら。飼い主が海に向かってボールを投げると、ばしゃばしゃと喜びいさんで海へと入っていくラブラドールレトリバー。全身をびっしょりと濡らしたままくわえてきたボールを飼い主の足もとにポトリと落とすと、全身をぶるぶるとふるって水切り。なんだか外国の海の光景でも見ているような感じです。やっぱりおのぼりさんのような姿勢で「ほう」と立ち止まり、飼い主と犬の遊びの繰り返しを遠慮なく眺めていました。浜辺には長い塀がずっと続いており、そこは葉山の御用邸です。塀沿いにはポリスボックスが立っていて、そのあたりから海へ向かって伸びる芝の植えられた小さな岬が続いています。

 小さな岬はピクニック・スポットらしく、何組かの家族連れがランチボックスを開けて遅めの昼ごはん中でした。芝生の広場もあり、洋犬の占有率の高い犬の遊び場になっています。そして上空にはランチボックスのおこぼれを狙うトンビが何羽も旋回中。「目を離していると、ハンバーグなんかとられちゃうよ」と知人。低空を旋回しているので、地表に目を凝らしているトンビと目が合うような感じでした。確かめるように首をかしげながら旋回しているのが可愛いようなずるがしこいような。

 さんざん海で遊ぶうちに眠くなり、岬の芝生の上で居眠りをしてしまいました。自分のいびきの音で目が覚めたらだいぶ時間が過ぎていたようです。太陽に当たっていた顔も足も赤くなっていました。どうしてこんなにリラックスできたかと思えば、日本の浜辺につきもののBGMや拡声器による放送がまったくないことでした。聞こえてくるのは自然の音と人々の声ばかり。簡単に居眠りができたのはそういう理由でした。知人に聞けば、夏になるとこの浜にも海の家が並ぶそうです。いわゆる昔ながらの典型的な海の家とは趣向が異なり、ちょっと洒落た店だったりするそうですが……。こういう浜辺にはたとえどんなにすばらしい音楽であっても、騒音雑音のたぐいでしかありません。自然音こそが最高の音楽。

 だんだん風が冷たくなってきたのでひきかえすことにし、ぺたぺたと国道沿いを歩きながら部屋に戻りました。着替えてからお茶を飲んで一息ついて、今度はちょっぴり早めの夕食です。その途中近所で釜揚げのしらすをおみやげに買ったりしながら、魚の定食を食べさせてくれる店にぷらぷらと向かいます。漁港の上空にはやはりトンビの群。目指す定食屋さんは順番待ちの椅子が外に置いてある人気の店でした。海草サラダやカサゴの唐揚げ、各種刺身などをつつきつつ、仕上げにシジミ汁付きのアジのたたき丼定食を食べる間、知人との会話も途切れがちでした。箸と口ばかり動かしながら、こころのなかでは「ア行」系のうなり声が。日帰りの海への旅は、それぞれの感覚器官がこれですべて、海関係のもので満たされたというわけでした。お風呂上がりのような気分で店を出ると、ちょうど日の沈む間際でした。

 海の向こうを見晴るかせば、夕焼けをバックにまるで影絵のような富士山が立ち上がっていました。海で遊んでいるときには富士山が見えるなんて一度も気づいていなかったのです。え? なんで富士山? 一瞬トリックでも見せられたような錯覚を覚えます。裾野から頂上まで、まるで小学生が描いたようにくっきりとした富士山の輪郭の内側は黒く、外側は朱色の盛大な夕焼け。太陽は富士山の向こう側に沈んでいったのです。今度はさすがに「ハ行」も「ア行」の出番もなく、ただただ声もなく圧倒されて、しばらく防波堤にもたれながらその景色に見とれていました。

 東京に帰ってきてしばらくしても、あの海の感触、目にした光景、風の匂いが私の深いところにとどまっています。その感触、感覚は、立ち去るどころかいっそう増幅されてゆく気さえします。脳科学者、茂木健一郎さんの著作で知った「クオリア」という言葉。脳が認識する、目で見たもの、手で触れたもの、心で感じたもののなまなましい「質感」というものを、旅を終えてしばらくした後で、あらためて実感し考えることになりました。

 ちょうど今日から、「考える人」の編集部員のひとりは、イギリスへの取材旅行に出かけます。イギリスで茂木健一郎さんと合流し、あるイギリス人を訪ねて「心と脳」についてのさまざまな興味深い話を聞くための旅です。彼らの旅ではどのような「クオリア」がそれぞれの脳裏に残されていくのでしょうか。次号の特集「『心と脳』をおさらいする」をどうぞお楽しみに。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)