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 帯をほどいて
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 私が小学生だった頃、校門を入ったすぐ左手に木造平屋の図書館がありました。鉄筋コンクリートの校舎からは置いてきぼりにされて佇んでいるという風情でした。体育館のように渡り廊下で校舎とつながっていたわけでもありません。靴脱ぎのある図書館の入り口の外壁は風雨に晒されてだいぶ傷んでいましたが、中に入ると木の床もつやつやと光って、堂々たるものでした。卒業してだいぶ経った大学生の夏休みに、この小学校で夜間警備のアルバイトをしたときには、木造の図書館はすでに取り壊された後でした。夜間警備の始まる前日、職員室で教員が全員揃ったところで挨拶をさせられたときには、当たり前ながら知っている先生は誰も残っておらず、自分がこの小学校の卒業生だと自己紹介してもあまり反応もなく、寂しい思いをしました。

 私の頭のなかではこの木造の図書館は取り壊されることなく、今もそのままどっしりとその姿を保っています。校門の正面にのびのびと枝を広げていた大島桜の大木が、図書館の入り口の周辺に涼しい木陰をつくっていました。ゆるやかな傾斜の切り妻屋根の図書館の内部にはいつもヒンヤリとした空気が漂い、厚みのある木の床、小学生には抱え上げるのが難しいほど重みのある無垢の木の椅子、先生がひとりで押したとしてもびくともしない無垢の木の大テーブルが、しんとした空気の重しの役割も果たして、図書館の心地よい静けさをいっそう深く濃くしていました。

 毎週土曜日の読書の時間は待ち遠しく、入り口でスリッパに履き替えて図書館に入る瞬間は、何にも代え難いものでした。まだ週休二日制になる遙か以前の時代でしたから、土曜日の午前中に図書館に座って本を読んでいればいいという時間は、「明日は日曜日」という喜びとも混じり合って、まさに至福の時でした。誰に何の指示もされず本を読むことの面白さ、びっしりと本に囲まれた空間に漂う独特の気配と匂いが、私の本好きの度合いを強く確かな動かないものにしてくれたのです。

 図書館に並んでいる本じたいにも特別な感じがありました。白い貸し出しカードを入れる紙の袋が本の後ろの見返しに貼り付けてあることや、函や帯のたぐいは全部外されて、つるんとさっぱりした顔をして書棚に収められているところもそうでした。小学生だった私は、本のタイトルを読み、表紙を眺めて、どんな内容なのかを想像しました。目次を眺め、冒頭の数行を読んでみて、これにしようと決めることもあれば、たとえば「偉人伝シリーズ」の表紙に描かれた肖像画を見比べて、その人の「面がまえ」で選ぶこともあり(たとえばシュバイツアー博士などは、一目見ただけで勝負あり、でした)、自分なりの勘を総動員しての本選びは、人知れず小鼻のふくらむような作業です。

 もし小学校の図書館の本のすべてに、ものほしげな帯がついていたら、図書館の静謐な空間は台無しになっていたのではないかと思います。帯は「読んで読んで」とあたり憚ることなく声をかけてくる、「最高傑作」の文字も大安売りのように使われて、本をためつすがめつして本を値踏みする貴重な時間を奪ってしまったに違いありません。せっかくきれいな装幀なのに、似合わない色と騒々しい文字遣いの帯がぐるぐる巻かれていては、これもまた台無しです。本読みの愉しみのひとつは、「この本、面白いのかな」と自分なりに吟味するその手続き自体にもあるのです。その愉しみを、送り手の側からやいのやいのと言い募り、結果的に奪ってしまうことになれば、嫌気がさすこともきっとあるでしょう。

 これもまた以前に書いたことですが、翻訳書のシリーズ「新潮クレスト・ブックス」を企画したときには、私の「長年の夢」だった帯なしの本でスタートしました。ところが、何冊かを世の中に送り出した後で、まあ細かい話は省略しますが、要するに「帯をつけたほうがいいよ」という周囲からの度重なる説得に私が根負けしてしまい、とうとう帯を巻くようになったのです。そして……。シリーズ最大のベストセラーになった『朗読者』には、初版の段階から「創刊2周年記念特別作品」というコピーの入った帯がしっかりと巻かれてあったことも、やはり記しておかねばならないでしょう。

 そういえば、二年前に刊行された丸谷才一さんの書き下ろし小説『輝く日の宮』には、帯が付いていませんでした。和田誠さんの装幀に帯無し。実に堂々たるものでした。私は内心、いいぞいいぞと思ったものです。帯の是非については、名エッセイストでもある丸谷さんならではの論旨と話運びで、きっとどこかに書かれているに違いないと思いますが、残念ながら私は読んだ記憶がありません。

 ですが、先日の朝日新聞で、丸谷さんが街の景観と地震による落下物の危険性を結びつけつつ、ビルに取り付けられた看板や電柱電線の醜さに触れた文章を読み、丸谷さんも帯についてはいろいろとお考えがあるに違いない、と確信を深めました。帯は街に氾濫する看板やノボリ、標語のたぐいの遠い親戚なのではないか、とすら思えてくるのです。『うるさい日本の私』(新潮文庫)の著者である中島義道さんは、本の帯についてはどのようにお考えなのか、突然気になってきます。

 帯なしの『輝く日の宮』については、年長の編集者と話したことがありました。彼に聞いた話では、「せっかく数年ぶりの丸谷さんの書き下ろし小説なのに、帯がないと、数年ぶりの最新刊なんだ、という感じが店頭で伝わりにくくて困る、と嘆いていた書店があったそうだよ」ということでした。そうか、書店サイドではそういう見方もあるのか、と不意打ちをくらったような気もしました(このように思ってしまうところが私が「根負け」してしまう弱点でもあります)。ただ、まったく違うポイントで、帯について私が書店員の方と話したこともあるのです。クレスト・ブックスについて、ある書店の外国文学担当のベテランの方と話した際に、こう言われたのです。「帯がないのはありがたい。私たちは一日中本を運んだり並べたりしているので、帯でスッと指を切ることがあるんです。あれは本当に痛くてね」。なるほど。

 昨日は、営業部の雑誌担当のT氏と都内の書店にいました。大型書店は一歩足を踏み入れると、本のあまりの多さに毎回圧倒されてしまいます。「こんなにいっぱい本を作ってしまって大丈夫なのか」と送り手である自分の立場も忘れてしまうほど、本、本、本、雑誌、雑誌、雑誌……の光景に息がつまるような思いに襲われます。そして我に返ると、これだけの本と雑誌の洪水のなかで、自分たちが送り出す本や雑誌にどう目をとめてもらえばいいのか、なかば呆然とするような気分に陥ってしまいます。

 書店から出ようとしたとき、営業部T氏の携帯電話が鳴り、ちょっと足をとめて振り返ったところが、「新潮文庫の100冊」がずらりと並ぶコーナーでした。選ばれた100冊のすべてに、大貫卓也氏デザインの黄色い帯がいっせいに巻かれて並んでいるのは壮観でした。そこで私が何を思ったか──。帯はやっぱり嫌だなあと思った、のではまったくないのです。選ばれた100冊だけに巻いてあるというインパクト。統一してデザインされた帯の潔さ。こういう帯には、帯嫌いの私でもたしかに説得されてしまうものがあるなあ、と思ったのです。「夏の100冊」という企画には、このようにデザインの優れた帯であれば、なくてはならないものなんだ、と再認識してしまいました。

 帯はすべて不要という「原理主義」ではなく、しかし惰性や自己満足、あるいは誇大広告もどきの精神で作っているような帯はいらないのではないか、というのが、現在の私の心境でしょうか。書店を木造の小学校の図書館の雰囲気にまでする必要はもちろんないにしても、書店を訪ねて、本をじっくりためつすがめつしてもらう愉しみを残すような、そんな本作り、雑誌作りができたらなあ、と、自戒の念もこめて思います。

 今回は、月曜日に発売になった最新号の特集「『心と脳』をおさらいする」にあわせて、ちょっと「判じ物」のような仕掛けのあるポスターを作ってみました。もし書店員の方で、このメールマガジンを読んでくださっている方がいらしたら、雑誌とともにお届けしてあるポスターをぜひご覧になっていただけないでしょうか。……おっとっと……これでは私自身が、書店のある種の「騒音」にちゃっかり参加させてもらおうとしている一人に過ぎないじゃないか、と私の内面から厳しい叱責の声が聞こえてきました。

「巧言令色少仁」。きれいごとを書いたりしゃべったりしてもあまり意味がありません。編集の実際の現場で、まずは「自分のやれることからやる」しかないようです。私のなかの大切な木造平屋の図書館が、いつの間にか取り壊されてしまうことがないように。

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