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 草刈り
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 田舎で草刈りの手伝いをしてきました。軍手をはめて、タオルを首にまき、日よけの帽子を目深に被っての完全装備でした。炎天下しゃがみこんでの作業を覚悟したのですが、用意されていたのは草刈り機。肩からベルトを下げて、両手でハンドルを握り、小型エンジンで高速回転させるナイロンコードカッターが草を刈り取る、見たことのある機械です。おそるおそるエンジンをスタートさせ、回転し始めたナイロンコードはあっという間に草を刈っていきます。しゃがんで手で摘み取っていたら一時間はかかるであろう範囲を、五分もかからないできれいにしてしまいます。

 半時計回りにナイロンコードは回転しているので、草を刈り取るロータリーの部分を右に傾けると、刈り取られた葉っぱは前に飛び散っていき、ロータリーを左に傾けると、今度は刈り取られた葉っぱは私の足もとに飛んできます。たとえば小さな石に当たったりすると、ロータリーの傾き加減によっては足もとにもの凄い勢いで石が飛んでくる。これが危ないといえば危ないところです。安全のためにゴーグルが用意されていますが、慣れた人はゴーグルをはめて作業をしたりはしないようです。私は眼鏡をかけているので、それがゴーグルがわりだと思っていましたが、何度か、小さな破片が頬に当たって、痛い思いをしました。

 これが想像以上に面白い作業なのです。自分を軸にして、前方の約六十度ぐらいの範囲を草刈り機を左右に動かしながら前進してゆくと、あたりは見事に刈り込まれている。机の上をきれいにしたときの清々しさのようなものが、もっと大々的に実現する感じといえばいいでしょうか。清々しさといえば聞こえはいいのですが、その気持ちの奥に目を凝らしてみると、もう少し「征服欲」のような怪しい気配も漂っているのがわかります。

 ベテランから聞いた注意事項は「ハンドルをがっしり握りしめ過ぎず、腕に力を入れないように」というものでした。しかし、耳もとでかなり大きなエンジン音がしてハンドルを握る手に振動が伝わり、もの凄い勢いで草が刈り飛ばされているのを見ていると、どうしても手や腕に力が入ってしまいます。肩が力んで持ち上がってしまい、歯も知らず知らず食いしばっているのです。ところが、いったんエンジンをとめて先達の作業をする姿を眺めていると、身体のどの部分にもほとんど力が入っていないのがわかります。肩から草刈り機を下げていなければ、鼻歌でも歌いながら畑に種を蒔いてでもいるような姿です。

 作業を開始して二時間ぐらいが経過すると、さすがにだいぶ慣れてきます。肩から力を抜くこともできるようになってきます。しかし、慣れれば慣れたで、今度はやっかいな感情が芽生え、支配されていきます。それは、どこまでもどこまでも刈り進んで行きたい、という抑えがたい気持ちです。この情動に歯止めがかからなくなってくるのです。昔、「草刈り十字軍」という言葉をよく聞きましたが、「十字軍」というのはこういう気持ちのことを指していたのか、と合点がいきます。どこまでも拡大していきたい。行く手を阻むものは刈り倒す……。草がぼうぼうに生えていたところが、ゴルフ場の芝生のような状態に平らかに刈り込まれていくときの、視覚的な満足感も麻薬的。ぼうぼうに伸びていた長髪が五分刈りにされたとき、思わず手で撫でさすりたくなる感じ、とでも言えばいいでしょうか。

 カッターが刃物ではなくナイロンコードなので、草がはびこって隠れて見えなくなっているような石垣でも、刈り取ることが可能です。ローターをどんな角度に曲げればうまく刈り込めるかというコツもつかめてきて、草刈り機初心者のくせに、上級コースに挑戦しているような気分になります。そして、それまで見えなかった石垣が姿を現すと、小さな遺跡を発掘したような気分にもなってきます。アンコールワット発見の喜びとはかくなるものか。

 昼休みになり、木陰でお昼を食べながらお茶を飲んでいると、自分の目線はどうしても刈り込まれ済みのエリアへと伸びてしまいます。何とも言えない満足感、達成感がこみ上げてきます。自分がきれいにしたという気持ちがこんなにいいものなのか。妙に腕に力を入れていたので、腕も肩もパンパンにはっていますが、まだまだ続けたい、次ぎはどこだ、よし今度はあのあたりに刈り込んでいこう。食休みもそこそこに、また一刻も早く「現場」に向かいたい気持ちがふつふつと湧いてきます。

 手作業による雑草取りでもこれと同じような満足感は得られます。しかし、いかんせん決められた時間内でここまできれいにすることはできません。おそるべし、エンジンの力。ただ、おそらくは草刈りにともなって草むらに潜んでいた虫たちもだいぶ犠牲になったに違いありません。それに、手作業だったら抜かないでそのままにしていたかもしれない、花の咲いている名前のわからない草も、一緒くたに刈り飛ばしてしまった瞬間もあります。ぎりぎり手加減して、刈らないでおく、という草刈りには、やはり機械よりも手作業がふさわしいようです。どんどん、がさつに作業が進んでしまう分、申し訳ないようなことも同時に起きているのです。

 結局、午後も二時間以上草刈りの作業を続けてしまいました。そして日の傾き始める夕方、草刈り機についた草の破片をぬぐって納屋に片付けてから、刈り取った草を集めて堆肥置き場へと運びます。エンジン音がやんだあたりには、ヒグラシの鳴き声が響き渡ります。小刻みにふるえる手でシャワーを浴び、畳の部屋にごろりと横になると、草刈り機で草を刈っている手ごたえとエンジン音がいつまでもありありと頭のなかに響いていました。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)