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 「ゴムデッポウ」限定上映会
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「考える人」創刊第三号の特集「エッセイスト伊丹十三がのこしたもの」の編集の際に、どうしてもその行方がわからず、誌面で紹介できなかった幻の映画がありました。伊丹十三さんの映画監督としてのデビュー作「ゴムデッポウ」です。1963年に東京・赤坂の草月ホールで勅使河原宏監督の「砂の女」と併映されたことまではわかっていたのですが、肝心のフィルムの存在自体がわからない。文藝春秋社で長らく伊丹さんの担当編集者だった新井信さんも、伊丹さんと数多くテレビ番組を制作した今野勉さんも、エッセイストとしてのデビュー作『ヨーロッパ退屈日記』の面白さを当時一番早く周囲の友人たちに喧伝した和田誠さんも、皆1963年に草月ホールで「ゴムデッポウ」を見ている。私は当時まだ5歳でしたから、もちろん見ているはずもありません。伊丹十三フリークを自認する者としては、ジグソーパズルの最後のピースが行方不明になって見つからないような、なんとも言えない悔しさ、もどかしさを抱えたまま、雑誌を校了にしました。

「ゴムデッポウ」は、伊丹さんが「北京の55日」の撮影を終えて帰国した1962年頃に撮影された短篇映画です。舞台は、当時伊丹さんが住んでいた麹町の住まい。そこで伊丹さんとその友人たちが実際にそのように過ごしていたであろう日常を、自らも登場人物として出演しながら映画ドラマとして再構築しています。自作のゴムデッポウ・ゲーム(ゴムデッポウと標的の仕組みが見もの)に興じる遊び仲間の無為な日常。当時まだ29歳の「若者」だった伊丹さんが、乾いたユーモアで描いた自画像は、60年安保後にぽつぽつと姿を現し始め、その後の高度経済成長期にじわじわと数を増やしていった独特なスタイルを持つ新しい「高等遊民」の姿を見事にとらえています。映画が公開された同年、伊丹さんは「洋酒天国」と「婦人画報」に「ヨーロッパ退屈日記」を発表し始めます。つまり、この映画には、エッセイスト伊丹十三のデビュー当時の姿がとらえられているのです。

 雑誌での「伊丹特集」の際に、取材が出来なかったもうひとつの大きな対象がありました。伊丹さんの湯河原の家でした。湯河原の家は映画「お葬式」の舞台としてご覧になった方も多いかと思います。「お葬式」以前からの熱心な読者であれば、湯河原の家はエッセイにもたびたび登場してきましたし、伊丹さんが自ら出演したテレビ・コマーシャル、「味の素」「西友」「ジョニー・ウォーカー」「一六タルト」などの作品でも馴染み深い場所として記憶されていた方も多いと思います。あの、湯河原の家をきちんと撮影しておきたい、と思っていたのです。しかしプライベートな場所ですし、伊丹さんが亡くなって以降ほとんど使われることがなかったらしく、撮影をするとなればそれなりの準備が必要でした。

 雑誌刊行後、特集の内容を喜んでくださった宮本信子さんと伊丹プロの玉置泰社長の全面的な協力も得られるようになり、いろいろとご相談させていただいた結果、「伊丹特集」を母体にして、さらに追加した取材の成果と、新たな発掘資料を盛り込んで、オリジナルに編集し単行本化することになったのが、『伊丹十三の本』でした。湯河原の家の撮影についても、宮本信子さんの快諾を得て、一泊二日をかけて撮影することになったのです。

 湯河原は温暖な気候の自然の豊かな場所です。したがって草木はぐんぐんと伸びる。しばらく訪ねないでいると、庭はジャングルのような状態になってしまいます。撮影の前に宮本さんは昔から懇意にしていた庭師に連絡をとり、伊丹さんが湯河原の家を使っていた頃の状態に「原状復帰」させてくださいました。家具の位置や本棚に並んでいた小物類には手を付けず、しかし長らく留守にしていた間に溜まった埃を掃除し、ガラス窓を拭き、これもまた当時の状態にまでしてくださったのは、宮本さんご自身と手伝ってくださった方のご尽力でした。私とカメラマンが到着する三日ほど前から、湯河原の家は大わらわだったようです(お手伝いできず、すみませんでした)。

 撮影の最中は、編集者のできることはそれほど多くはありません。次はどこを撮ってもらおうか、と考えながらも、たとえば本棚の撮影の最中には、そのすぐ横の本棚の前に立ち尽くして、伊丹さんの蔵書の背文字にじっと見入ってしまいます。レコード棚の前でも同じ。頭を90度傾けて、レコードの横文字タイトルを読み、自分のレコードと重なるものを見つけては密かに喜んだり。伊丹さんが出演した寺山修司演出の芝居「中国の不思議な役人」の、舞台で使われた合田佐和子氏の絵を一階の書斎脇で見たときには、三十年近く前に芝居を見に行ったときのことが思い出され、感無量になったり──。外見的には黙って静かに撮影を見守っていたように見えていたかもしれませんが、内心では「あ!」「おお!」「へえ!」と思わず声が出てしまうことばかりで、冷静ではいられない状態でした。

 この撮影で発見されたものがいくつかありました。伊丹さんが商業デザイナーだった時代に担当していた「漫画讀本」(文藝春秋)の中吊りポスターや、やはり文藝春秋の単行本の装幀を担当した際の版下、といったもの。これは本棚の下にある収蔵棚にしまわれているのを宮本さんが見つけ出してくださったもので、いったん東京に持ち帰って、新潮社の写真スタジオで全点撮影をさせてもらいました。これらの写真も『伊丹十三の本』には収録されています。

 そんな数々の発見のなかでも最大の収穫だったのが、幻の映画「ゴムデッポウ」のフィルムでした。フィルム缶に納められた状態で、それは湯河原の家の収納の奥深くで眠っていたのです。宮本さんも、湯河原の家に「ゴムデッポウ」のフィルムが保管されていたことをご存知ありませんでした。その後、宮本さんと玉置さんのご手配で、五反田のイマジカの協力を得て、このフィルムが果たしてちゃんと映るものであるのかを確かめる小さな「試写会」が開かれました。観客は宮本信子さん、そしてご子息の万作さん、万平さん、玉置さん、「伊丹十三DVDコレクション」を製作したジェネオンの担当者の方、そして私です。フィルムの保存状態次第では、再生中にフィルムが切れてしまう可能性もありました。二度と再生できなくなる可能性も想定し、上映しつつ同時にビデオにダビングする作業も行われました。

 フィルムは上映時間の半分ぐらいまでは完璧といってもいい状態でした。しかし後半はフィルムに多少の歪みが生じていて、画像が一部ピンぼけになる部分があるのと、音声が聞き取りにくくなる部分がありました。しかし、幻の映画「ゴムデッポウ」を初めて見る者にとってはそれは些細な問題に過ぎません。多少の瑕疵は、「冬眠」していた生き物が穴蔵からはい出てきたときの愛くるしい寝ぼけマナコの表情にも似ています。私は小さな試写室で「ゴムデッポウ」を見ながら、登場人物として画面に映る伊丹十三さんが、自分よりもはるかに若いことに不意打ちのような驚きを覚え、そしてこの若さで、しかも1962年頃に、このような映画を製作していたという事実に、あらためて伊丹十三という人の大きな才能に深い感慨を覚えていました。

『伊丹十三の本』には「ゴムデッポウ」の画面を一部採録し紹介しています。しかし、映画自体は現在どのような方法によっても一般の方に見ていただける状態にはなっていません。そんななかで、実は現在、伊丹氏の故郷といってもいい松山市で静かに進行中のプロジェクトがありました。詳しいことが決まり次第、何らかの形でご紹介したいと思いますが、エッセイ、映画など様々なジャンルで活躍された伊丹十三さんの仕事のすべてを保存し公開する「伊丹十三記念館」が2007年の春オープンに向けて準備中なのです。設計は「考える人」でもお馴染みの、そしてやはり熱烈な「伊丹フリーク」でもある中村好文さん。すでに大枠のプランと模型も完成しています。建築家・中村好文氏の仕事の集大成にもなりそうな、建築そのものとしても、大いに注目されるものになることでしょう。

 伊丹十三さんのエッセイ作品も新潮文庫で次々に復刊しています。若い読者も増えているようです。伊丹さんの仕事にふたたび光が当たる、新たな風が今あちこちで吹き始めています。そんな中で、とりあえずはたった一回限りの試みになりますが、「考える人」編集部主催による幻の映画「ゴムデッポウ」の限定自主上映会を開こうということになりました。日時は来たる年末の12月27日。場所は赤坂・草月ホール(初公開当時と同じ場所です)。チケットの販売方法などは未定ですが、決定し次第このホームページでもお知らせする予定です。当日は、「ゴムデッポウ」上映の前に、伊丹さんの担当編集者だった村松友視さん、新井信さんにも出演していただき、伊丹さんのとっておきの思い出話をたっぷりと聞かせていただく予定です。どうぞご期待ください。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)