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 出版社における「2007年問題」
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 再来年あたりから団塊の世代の定年退職が始まるそうです。団塊の世代が培ってきた技術、知識などが次世代以降の社員たちに継承されないまま大量の定年退職者が出てしまうと、製造業を筆頭とした企業では2007年以降に様々な問題が起こり始めるであろう――これが「2007年問題」について疎い私が知っていることのすべてです。それでは、出版社における2007年問題はあるのだろうか、と考えてみました。私は人の年齢を覚えることについて決定的な欠落があるらしく、社内では誰が2007年に退社するのかわかりません。なので具体的なイメージを想定しながら話を進めることができないので、一般論として、出版社で問題が起こるとすればどういうことがあるのかを考えてみることにします。

 まずは「技術」。編集者の技術、ということになると、まずは本の設計です。本文をどう組むかは編集者の「基本の“き”」。活字の大きさ、1行を何字詰めにするか、1ページを何行にするか、ノンブルの書体、大きさ、目次の組みはどうするか、奥付の組みはどうするか……。今書いていて思ったのは、「組む」という言葉です。原稿を一字一字読んで印刷工場の植字工が活字を拾って組んでいたから「組む」。今はほぼ100%組版工程はコンピュータによるものですから活字は使われていません。したがって、「組む」という言葉は死語になりつつある。それではどんな言葉に置き換わっているかというと、「本文デザイン」です。

 私が入社した1982年頃は、本文の組についてはすべて編集者が本の出来上がりを想定した上で、自分で考えて指定していました。新潮社では、装幀室が担当していたのは表紙、表紙カバーのデザインです。目次、奥付はもちろん、帯のデザインも編集者が自分でやるもの、もうちょっと踏み込んで言えば「編集者の本づくりの腕の見せどころ」でした。だからコピーから帯のデザインまで腕をふるって、出来上がったものを見て一人密かに「ほくそ笑む」のが編集者の醍醐味でした。帯のコピーを考え、デザインも考えて、自分で写植の指定をします。指定を間違えるととんでもなく不釣り合いに大きい文字が出来上がってきてしまい慌てて打ち直してもらったりすることもあり、あるいは、打ち上がってきた写植をカッターとペーパーボンドで切り張りし、さらに微調整する名人もいました。ところがコンピュータが導入されるようになり、いつしか帯のデザインは装幀室が担当するようになって、今は帯を自分の手作業でつくる編集者は新潮社においては一人もいなくなりました。

 あれができるのならばこれも、となるのが人情です。腕の見せどころは言葉を変えれば「面倒くさいもの」。目次の指定にしても、奥付の指定にしても、「できれば上手い人におまかせしたい」となるのは目に見えています。帯の次には目次を、奥付を、そしてついに「本文デザインも考えてくれる?」となるまでには時間はかかりません。今は本文デザインまで装幀室がやっているケースが飛躍的に増えています。「面倒くさいからまかせる」ばかりではもちろんありません。「新潮クレスト・ブックス」をスタートさせるときには、造本設計から本文デザインまですべて洗練されたものにしたかったので、ノンブルや柱の位置や書体など、細かいところまで神経の行き届いたものにするため、積極的な意味で装幀室にかかわってもらいました。

 編集者がまだ帯のデザインをやっている頃、すでに他の出版社では、「製作部
門」が出来ていて、編集者は作家と緊密に会ってコミュニケーションを深める役
割に徹し、持ち帰ってきた原稿は「製作部門」が受け取って指定から入稿、ゲラ
の管理まですべてやる、というシステムを採用するところが出始めていました。
これはこれでひとつの明快なやり方だな、とは思いましたが、私の好みとしては
どうも納得がいきません。生まれてきた子どもにどういう服を着せて、どういう
名前をつけるのか。最後まで面倒を見る、という精神が本づくりという地味な仕
事にはふさわしい気もするからです。しかしあらゆる世界で分業化が進んでいる
ように、編集者の仕事から昔ながらの「本づくり」の作業が失われつつあるのは
まぎれもない事実です。開高健さんの『ロマネ・コンティ・一九三五年』の単行
本の装幀(藤沢周平さんの『蝉しぐれ』もそうだったでしょうか)で知られた文
藝春秋の編集者、萬玉さんのような人、つまり自分の本の装幀は自分でやってし
まう編集者は、もうこれからは現れないでしょう(みすず書房は今でも編集者が
装幀をしていると聞いていますが……)。それは雑誌の世界でも同じです。雑誌
の文章ばかりではなく、カットも、デザインも、すべてこなした花森安治さんの
ような雑誌編集長は、もはや伝説の領域です。ついでに言えば、文藝春秋の池島
信平さんは「雑誌の広告は編集者がつくるべきものである」という考え方を明確
に持っていた方だそうですが、これもまた、もはや昔話になってしまいました。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)