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 お役所と先生
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 湘南に生まれ育ち、住み慣れた東京を離れて、長野県御代田の農村地帯に居を移した山川みどりさんの連載「六十歳になったから」の最新回を読んでいて、ハタと膝を叩いたくだりがありました(「考える人」06年冬号掲載 第15回「田舎で暮らすということ」)。別荘地に隣接するエリアではあるものの、よそ者はほとんど住んでいない農村地帯で一人暮らしを始める“都会人”の山川さんが、特に「下調べもせず、心の準備もし」ないまま、どちらかと言えば「能天気」な状態で引っ越してきたのを友人が心配しています──。

「引っ越して早々、手伝いに来てくれていた友は、そんな私を心配していたようだ。彼女は幼少時代を田舎で過ごしていた。ある時、役場に出掛けようとした私を、あわてて引きとめた。『だめよ、まさかそんな格好で役場に行くつもりじゃないでしょうね』 Tシャツとズボンという働き着姿の私はキョトンとして、『だって、車でちょっと書類出してくるだけだから』。 いつもは穏やかな彼女が引き下がらない。スカートにはきかえろ、口紅をつけろ、とうるさく言う。私はブツブツ文句を言う。『役場に行くだけなのに、なぜ気取る必要があるの?』」

 実は私の身近なところでも、つい先日同じようなことがあったのです。役所に相談ごとがあり、すでに八十歳を過ぎた父親とふたりで役所へ出向くことになりました。朝、私の家の三軒先にある父親の家に迎えに行ったところ、玄関先で待っていたかのように立っていた父親は少しあらたまった感じの服を着ています。ふだんはセーターに綿パンという気楽な格好が多いのに、その日の朝はネクタイこそ結んでいないもののツイードのジャケットを羽織っている。「どこへおでかけですか?」と声をかけたくなる風情。

 父親のゆっくりとした歩調に合わせて役所に向かって歩いていると、父親が「……いつもその格好で会社に行くのか?」と言います。私の格好はジーパンにセーター、オレンジ色のキルティング・ジャケットという組み合わせでした。一般企業としては考えられないラフな格好です。しかし私の父親にとっては20年以上も見慣れた格好であるはずなのに、今さら何でそんなことを? という疑問が湧きます。「状況によってはスーツで出かけるけど。今日は一日デスクワークの日だから」「……そうか」。「営業部や広告部はスーツ着用率100パーセントかな。編集者は50パーセントにも届かないかもしれない」「……そうか」。「ぼくだって必要とあらばいつでもスーツは着ていくけどね」「……うん」。

 私の住んでいる中野区には広大な警察大学校跡地があり、大きな再開発が予定されています。商業用の高層ビルが建つ計画もあるらしい。跡地の脇を通り過ぎながら、「高層ビルなんて建てる必要ないのにな。緑地公園にすればいいんだ。まったく役所は無駄遣いをする」と父親は腹立たしい口調で言います。私も同じ意見なので、何か付け加えたい気持ちですが、うまく言葉が見つからず「うんうん」とだけ頷きました。

 役所での相談ごとはたった五分で済んでしまいました。父親は腰が痛いはずなのに深々とお辞儀をし、「ありがとうございました」と言いました。私は内心「そんなに頭下げる必要なんてないのに。仕事なんだから」と思いましたが、口には出しませんでした。そして父親があらたまった服を着て、私のいつものラフな格好に言及したのか、そのときに気づきました。役所に行って話を聞くんだから、ちゃんとした服のほうがいい、父親はそう思っていたのです。

 病院についても、以前に同じようなことがありました。父親が入院する事態となったとき、病院の対応にやや不信感を抱いていた私は、場合によっては転院も考えたほうがいい、と言ったのですが、「いつも通っている病院だし、先生に悪い。いまのままでいい」と言うのです。恢復は意外に早かったので、結果として父親の判断に従って問題はなかったのですが、「先生に悪い」という言葉は、役所で深々と頭を下げた父親の姿と重なります。

「セカンド・オピニオンを他の病院で聞くのが常識の時代だし、それでどうこう言うような病院だったら、ますます移ったほうがいい」と説明しても、父親は納得した顔をしませんでした。やはり医師は「先生」であり、従うものだ、という力関係が80年のあいだにからだにしみついているらしいのです。「先生」という言葉には、ドクターという意味とは別のニュアンスがこもっている。それは弁護士や国会議員を「先生」と呼ぶ習慣と同じなのでしょう。まあしかし私自身だって、病院で医師に声をかけるときはやはり「先生」です。おととし取材ででかけたデンマークの小学校では、子どもたちは教師のことを苗字ですらなく、下の名前で気安く呼んでいたことを思い出します。

 相談があっけなく解決した父親は、役所を出るとさっぱりとした表情になり、会社に向かう私に「あんまり無理するなよ。からだを大事にしろよ」と言います。「わかってるよ」と私は答えました。私は役所の人に深々と頭をさげた父親と、高層ビル計画に憤慨する父親とがふたつ、頭のなかに不揃いのまま並んでいます。そうじゃないんだよお父さん、あのさ、「公僕」という言葉があるのを知ってるでしょ? と口から出そうになるものの、いやこれまでこうしてきた人の価値観に対して、相対的には等価値にすぎない自分の考えを無理矢理押しつけるのはどうか、と思い直します。会社に行く格好とは思えない私の、ラフな後ろ姿を見送った父親もまた、口には出さないでおいたことがあったのかもしれません。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)