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 国際文化会館
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 2006年冬号の「編集部の手帖」ですでに書いたことですが、東京・鳥居坂にある国際文化会館は、現在は修復保存工事の真っ最中で閉館しています。前川國男、坂倉準三、吉村順三、という日本を代表する三人の建築家が、今から半世紀前に協同設計した国際文化会館は、竣工の翌年に日本建築学会賞も受賞した昭和の名建築として知られています。三人の協同設計は後にも先にもこの一度だけ。そもそも名のある建築家が協同で設計することは大変珍しいことです。

 半世紀を経ていますから、おのずと老朽化の問題が浮上して、一時は取り壊され新たな建物に取って替わられる再開発計画も進んでいたようです。しかし、保存を望む声が各方面から寄せられて、日本建築学会が修復保存計画のプランを提示し、取り壊しは一転して中止されました。

 保存を望む声はもちろん名建築を残そうという気持ちから発せられたものですが、その声をもう一押ししたのは国際文化会館の庭園の素晴らしさだったかもしれません。国際文化会館は旧岩崎弥太郎邸があった場所に建てられており、京都の庭師が大変な手間をかけて完成させた名園が、ほぼ当時のままの状態で残されています。前述の三人の建築家が当初それぞれに提案した設計プランは、いずれもこの庭園には手をつけないものだったそうです。それほどの魅力のある庭園は、さらに半世紀にわたって、ここを訪れる人々を魅了してきたというわけです。建物が取り壊されて再開発されてしまうと、あの庭園も消えてしまうのではないか、と不安に思った人も少なくなかったはず。

 この庭園の面白さはその回遊性にあります。国際文化会館の入口ロビーから左手奥に向かって歩き地階への階段を下りて行くと宴会場があって、この宴会場のフロアからは、段差のない状態で庭園へ歩み出ることができるようになっています。庭園に設けられているなだらかなアップダウンのある散歩道をゆっくり右手へ歩いていくとふたたび建物に近づいていくのですが、たどりつくと最初のロビーと同じフロアレベルに戻っていることに気づきます。つまり、地階から歩み出たはずなのに、いつの間にか一階に戻っているのです。

 次号特集の「直して使う」では、この国際文化会館の修復保存工事をめぐっての物語をお伝えする予定でいます。何度か工事中の国際文化会館に足を運んだのですが、昨日は、この工事をデジタルカメラで撮影し記録している担当の方にお会いしました。昨年の春から開始された工事を毎日のように記録している写真は大変興味深いものばかりです。外部の人間が取材するために撮影するものと、どこか視点が違うところがあるのです。それはたとえば、庭園の草花などを四季折々にカメラにおさめているところでしょうか。担当の方にうかがったところ、「工事中であっても、花はいままでどおり咲いている、ということを記録しておこうと思ったんです」と笑顔で答えてくださいました。

 なかでも目をひいたのは、工事中の区画を立ち入り禁止にする、黒と黄色のまだらのロープの上にトンボがとまっている写真でした。シオカラトンボもとまり、アキアカネもとまっている。庭園には池もありますから、彼らにとっては産卵の場所でもあったに違いありません。東京タワーも、六本木ヒルズも間近に見上げることのできる庭園には、東京とは思えない自然が残っています。これを傷めないように進められている工事ではあるものの、どこか息を潜めているようにも見える。庭園はしかし、生命力を維持したまま工事の終了を待っているのでしょう。

 そもそも鳥居坂のこのエリアは、話題となった中沢新一氏の著書『アースダイバー』所載の地図で確かめてみると、縄文海進期にあっても海に没していなかった地域であり(鳥居坂をくだった麻布十番のあたりは海だったようです)、縄文遺跡が出土してもおかしくない場所にあります。まだきちんと確認したわけではありませんが、国際文化会館の道路に面した側の石積みはおそらく江戸時代のお屋敷の姿をとどめていると思われ、その上に築かれている瓦つきの土塀は、旧岩崎邸の面影をそのまま遺しているのではないかとも見えるのです。

 国際文化会館の修復保存を丁寧にたどっていくと、それは岩崎弥太郎の時代へ、さらにその前の時代へと無理なく遡ることができる。担当の方との打ち合わせを終えて鳥居坂に出ると、小さな傘をさしたセーラー服の小学生たちが三人四人とグループをつくって下校するところでした。鳥居坂を麻布十番にむかって降りてゆく彼女たちが大人になって、この場所を懐かしく思う頃、このあたりはどう変化し、あるいはどう変わらないのだろうか、と思いつつ、その小さな後ろ姿を見送りました。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)