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 迷うとき
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 編集長の仕事の中身はいろいろとありますが、いちばん多いのは「決める」仕
事です。特集を何にするか。表紙をどうするか。どの写真を選ぶか。何ページで
まとめるか。タイトルをどうするか。「決める」と聞けば、能動的で、黒白はっ
きりつけて方向を指し示す、きっぱりとした語感しかありませんが、私の場合は
なかなかそのようにはいきません。会議や打ち合わせで「じゃあ、こうしよう!」
と勢いよく結論を出したものの、その日の晩、風呂に入りながら「でもなあ、あ
れでよかったかなあ」とぐずぐず、ああでもない、こうでもないと、ぐるぐる頭
のなかで巡り始めるものがあります。私はこのようにして、自分でもあきれるほ
どよく迷います。

 雑誌のつくり方には正解などありません。ですから雑誌は編集長が替わると表
紙や判型がかわったり、編集方針の軌道修正が行われたりもします。売り上げ不
振が続けば、編集長が替わらずとも誌面がガラリとかわる場合もあるでしょう。
雑誌は生身の人間がつくっていますから、編集部員がひとり入れ替わるだけで誌
面の雰囲気が変化することもあります。一人の若い実力ある編集者によってぐい
ぐいと雑誌の顔つきがかわっていくことだってあるでしょう(どちらかと言えば
私はそういう変化が感じられる雑誌のほうが好きです)。

 新潮社の各誌の編集長の顔をそれぞれ思い浮かべると、舵取りの方法もたぶん
様々で、それぞれ違う感じがします。編集長が替わってから、だいぶ顔つきが変
わった雑誌も少なくありません。わたしが若い頃に所属していた雑誌も、編集長
が替わることでだいぶ雰囲気が変わり、「なるほどな」と思ったことを覚えてい
ます。一般企業で部長だの課長だのが替わって部内や課内の雰囲気が変わるのと
おそらく同じなのでしょう。

 つくづく編集長というのはおっかない仕事だと思います。迷わないココロがあ
れば、これほど面白い仕事もないのかもしれません。しかし一切迷いのない編集
長というのはどういうものなんだろう。「新潮社の陰の天皇」(?)と呼ばれた
故・齋藤十一氏の言動を聞き及ぶと、齋藤氏はどんな場面でも迷わなかったよう
な気もし、ある作家の原稿を読んで「貴作拝見、没」と返事を出したなんていう
伝説にいたっては、私には「ほんまかいな」と言いたくなる、遙か五万光年も遠
くに思えるようなエピソードです。

 齋藤十一氏のことを思い出すと、編集長に向く血液型、向かない血液型なんて
いうのもあるのかなと、ますます弱気になってきます(そういえば、私が入社試
験を受けた頃は、「志願カード」になぜか血液型を書かされたことを思い出しま
す。今は廃止されたようですが、あれは何かを判定していたのだろうか……)。
しかし、同じく齋藤十一氏の伝説のおそるべきセリフ「頭はいらない。手足を集
めろ」が発せられたとき(これ、編集部員の集め方の指示をしたときのセリフだ
そうです)、「じゃあ集めた手足は将来、ちゃんと頭になるんでしょうか?」と
誰も心配しなかったのかなあ、と私などは思い、手足としてかきあつめられた人
の不幸を思うのです。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)