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 選ばれない
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 演奏会の録音をレコード化することをかたくなに拒否していた指揮者、ルーマニア生まれのセルジュ・チェリビダッケは、演奏会を至上のものとし、録音されたものは音楽ではない、ととらえていたようです。「録音テープなんか、無駄で無意味で無価値である」というチェリビダッケの言葉が残されています。しかし1996年に亡くなってからは、ライブ録音のCDが発売されるようになり、演奏会の模様もDVDで見ることができるようになりました。それでは、チェリビダッケはなぜそれほどまでに生演奏にこだわったのでしょうか。

 チェリビダッケが注目されたのは、1945年8月にベルリン・フィルを初めて指揮し、大きな成功をおさめてからでした。2年後にはベルリン・フィルの常任指揮者に迎えられ、フルトヴェングラーとともにベルリン・フィルの再建と発展に大きくかかわりますが、1954年12月、フルトヴェングラーの後継者としてカラヤンが首席指揮者に迎えられたことを期に、ベルリン・フィルとは訣別することになります。

 カラヤンほど毀誉褒貶の激しい指揮者はいませんでした。しかし確実なことは、カラヤンほどクラシック音楽を大衆化した「貢献者」はいない、ということでしょう。カラヤンは録音や映像化に徹底してこだわりました。複製芸術としての音楽の可能性を貪欲に追求し、クラシック音楽を一部の愛好家に届けばよしとせず、「一人でも多くの人に」聴かせようとしたのです。

 チェリビダッケはあらゆる面において、カラヤンの反対側へと出て行った、と言えるでしょう。その負のエネルギーは、しかしチェリビダッケを自滅させることはなく、音楽の解釈や演奏に独特の世界を築き上げる原動力にもなりました。耳あたりのいい、スルスルと入りやすく、ときにわかりやすくドラマティックな音楽を奏でさせたカラヤンとは違う、チェリビダッケならではの音楽を実現し、またレコード化をかたくなに拒むことによって、ある種の伝説を生み、カリスマ的な人気を呼ぶことにも成功した、と言えるでしょう。

 ベルリン・フィルの現在の首席指揮者はサイモン・ラトルです。楽譜の分析力と解釈力、演奏への緻密な取り組み、ライブ演奏の勢いと独特の空気感が三位一体となった、傑出した実力派の指揮者であることはまちがいありません。バーミンガム市交響楽団の首席指揮者からベルリン・フィルへの大抜擢は当時大きな話題となりましたが、ラトルの人間としての陽性の部分がこの大抜擢によってますます明るく輝くようになったのではないかと感じます。

 カラヤンとはひと味もふた味も違う方法ではありますが、ラトルもラトルなりにクラシック音楽の大衆化を視野に入れていることもまた、間違いないことでしょう。それではカラヤンにとってのチェリビダッケに対応するような、ラトルに対抗する誰かが、暗い情念を原動力にして、もうひとつの孤高の芸術を生み、やがて頭角を現してくるとすれば、それもまた楽しみなことではあります。

 次号の特集「戦後日本の『考える人』100人100冊」を校了にしながら、この特集の企画をスタートさせた最初の頃のことを思い出しました。リストアップした候補者は当初、500人を超えていました。そこから執筆者との相談を重ねながら、段階を踏んで最終的に100人に絞りこんだわけですが、選ばれなかった400人が選ばれた100人にくらべて劣っていたのか、と考えれば、もちろんそんなことはありません。しかし編集作業を終えると、選び、選ばないということについて、あれこれ考えをめぐらせることにもなった特集でした。

 すべて物故者となっている100人の顔写真を見ているとしかし、100人に選ばれる、選ばれないということについての「煩悩」からは、はるかに遠ざかった人々の安寧の表情を見ているような気分にもなってきます。チェリビダッケも上空の世界から私たちの下界を見下ろしつつ、自ら指揮した演奏会のCD化やDVD化に怒り心頭に発しているかと言えば、なぜかそうとは思えないのです。「いやいや、ぜひ聴いてくれたまえ。きみが演奏会に来られなかったことはほんとうに残念だ。しかし録音を聴いてくれるのはうれしい。それに正直に言えばね、自分がどうしてあれほど演奏会にこだわっていたのか、いまとなっては理由がはっきりとは思い出せないんだ」と言っているような気もしてくるのです。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)