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 クウサツ
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 空の上から見ないと姿や形がわかりにくいものがあります。ナスカの地上絵とか、校庭に描いた人文字とか、火山の火口とか。そういうものを見えるように撮影するにはやはり空撮でということになります。空撮はこれまでに一回だけやったことがありました。場所はアメリカの沙漠。赤茶色の沙漠の大地に建造された巨大なガラス張りの人工物を撮影するために、地上からでは全貌が見渡せないという理由で、カメラマンと二人でセスナ機をチャーターして飛んだのです。アメリカというお国柄、頻繁に利用されるためなのか、チャーター料は意外と安くて、こんなに気軽に飛べるのかと拍子抜けした思い出があります。

 今回は、奈良県にある古墳を撮影するのが主たる目的で、空撮をすることになりました。前方後円墳のかたちというのは、これもまたどうしても上空から見下ろすのではない限り、見えてこないからです。仁徳天皇陵(今は大山古墳と呼ばれるようですが)などは地上で真横から見ても前方後円墳であるのかどうかすら判然としません。私たちは前方後円墳と耳できけば、あの仁徳天皇陵のかたちが脳裏に浮かびます。しかしそれは空撮が可能になった現代の人々の感覚で、古代の人々にとっては、前方後円墳を地上でみる形だけが脳裏に刻まれていた、ということでしょう(測量技術があれば、もちろん上空から見る形は再現できますが、今考えているのは、あくまでも視覚レベルの話です)。

 乗ったのは四人乗りのセスナ機です。私はパイロットの右隣の席。副操縦士が座る席なので、パイロットと同じく操縦桿が目の前にあります。カメラマンはパイロットの後ろ側の席。二人掛けのシートになっていますが、機材を乗せるともういっぱいです。パイロットと私の座席の窓ははめ殺し。エアコンなどありませんから搭乗したとたんムッとする空気に包まれます。「夏はサウナ状態です」とパイロットは笑顔で言います。後ろの席はA4サイズを横に二枚並べた程度の窓が扉のように開く仕組みになっています。カメラマンはこの窓からカメラを地上に向けることになります。セスナ機の操縦パネルには液晶画面のようなものはありません。計器はすべてアナログでした。つまり操縦は管制塔からの指示とパイロットの感覚と技術だけがたより。不安なような、かえって安心のような、複雑な気分です。

 離陸はあっという間でした。ジャンボジェットのときのような、巨大なものが重力に逆らって地表を離れてゆく重苦しい感覚はなくて、まさにふわりと浮かぶあっけなさ。それでも地表を離れてゆくスピード感は似たようなものでした。晴れた暑い日で、空には入道雲が。目に見えぬ上昇気流が地表から吹き上がっていたはずです。しかし激しく上下することもなく、十数分で目的地上空にたどりつきました。

 見える見える! 人家やビルや国道に囲まれたなかに、ぽっかりと残された緑の部分。天皇陵として正式に指定されることなく、長らく全体を管理されずにきたために、「前方」の角の部分を国道が横切ってしまっている状態がはっきりと確認できます。仁徳天皇陵のように周囲にお濠がないため、誰でも古墳の上にのぼっていける状態であることもよくわかります。後ろからは何度もシャッター音が聞こえてきます。パイロットと事前に相談していたとおり、カメラマンからオーケーが出るまでは、被写体の上空をぐるぐる旋回し続けることになっていました。前方後円墳の形を360度それぞれの角度から見下ろしていると、その都度目に見える印象が変わっていきます。被葬者のたましいは、上空がなんだか騒がしいと感じているでしょうか。

 奈良県のこのエリアには、他にもたくさんの古墳があります。カメラマンのオーケーが出ると、パイロットは膝の上に置いた地図にしばらく目を落として(これがけっこう長々と見下ろしているのです。「前を見なくて大丈夫ですか?」と聞きたくなってくるほど)、次の目的地に向かいます。目的地上空に達すると、翼を左に傾けて旋回に入ります。視界がググーッと斜めにかしいで、右側の窓からは上空の青空だけが、パイロットの座る側の窓には地表面だけが見えます。旋回ってこんなに機体が傾くのか、と今さらながらにびっくり。こんなに傾いて失速したりしないのかな、とちらりと不安な気持ちに。

 飛行場を飛び立ってから40分を過ぎ、撮影も三分の二ぐらい済んだころでしょうか。目の奥のほうで、ふだんは静かにしている感覚がふつふつと怪しく、不安定な動きを開始するのがわかりました。めまい、のようなもの。そして胃のあたりが重い。小学校四年生の社会科見学で川崎の工場にバスで向かったときに経験した乗り物酔いの感覚が四十年ぶりぐらいで甦ってきます。ああ、このままでは酔ってしまう。たいへんだ、と思い、地表の古墳の確認はやめて、遠くの山並みに視線を移すことにします。「ここですね、よろしいですか?」とパイロットの声がすると、次なる被写体の上でまた旋回が始まります。ググーッと傾く機体。胃のあたりがクーッと縮むのがわかります。あー、駄目だ。見ていた遠くの山並みが25度ぐらい左に傾くのを見ているだけで、ぐらりとめまいがします。たまらず目をつぶりました。

 そしてさらに三十分ほど撮影は続きました。最後の被写体の上空に到達したときには、私はからだを右のドアにもたせかけ、頭も右の窓におしつけて、目を閉じたまま、ひたすら撮影が終わるのを待って耐えていました。こみ上げてくる唾液をこく、こくとのみこむばかり。(誰だ、空撮をしようなんて言ったのは! ……オレだ)と自分で自分につっこみを入れながら、「もう古墳なんてどうでもいいから早く帰ろうよ」と頭のなかで呟いていました。もう完全に乗り物酔い状態です。手足にもしびれが出始めて、動かすのもしんどい。(離陸する前に機体整備の人が「エチケット袋はここですから」ってカメラマンにだけ説明してたな。あれはどこにあるんだろ。窓も開かないし、子どもじゃないんだから席を汚すわけにいかないしなあ)──頭のなかではいろいろな事態を想定してぐるぐると言葉がめぐりますが、からだは縮みこむばかりで動こうとしません。目を開けていられない。額には冷たい脂汗。「すみません! もう一回、まわってくれますか!」パイロットに大声で話しかけるカメラマンの声。同僚の声をこれほどうらめしく思ったことはありません。(あともう三回旋回することになったら、駄目だな)と覚悟を決める心境に突入していました。

 しかし、その最後の旋回でなんとか撮影は終了しました。鼻から大きく息を吸い込み、お腹からゆっくり息をはきだします。目の前の景色は平らに変わり、飛行場へと引き返す空路に向かっているのがわかると、こみ上げてくる吐き気は少なくともこれ以上は悪化することはないはずだ、と自分に言い聞かせます。腹式呼吸を続けながら、(もう大丈夫。あと十分ぐらいで空港だ。大丈夫だぞ)と、胃だの目だの耳だのを司っている神経細胞に話しかけます。

 空港が視界に入ってくるとまもなく、またしてもあっという間にふわりと着陸。このパイロットは操縦がうまいんだな、と他人を認める気持ちがよみがえってきます。あーよかった。最悪の事態はまぬかれた。神様ありがとう。それでも乗り物酔いは回復しないままです。セスナ機がとまり、ドアをあけて地上に降りたつとき、崩れ落ちないように踏ん張るだけで精一杯の状態でした。なかなか降りてこないカメラマンが重い機材を引きずり下ろしながらセスナ機の反対側から出てくると、顔面が真っ青です。「大丈夫?」「いや、だめです。気持ち悪かった。やられました」「ほんと? ぼくもげろげろだよ」なんだ、彼も酔っていたのか! 口もききたくなかったはずなのに、仲間を見つけた気持ちに豹変し、自分の声が妙に弾んでいるのがわかりました。「もう前半が終わったあたりから駄目でした」顔色のないカメラマンも、私と同じタイミングで酔っていたようでした。

 カメラマンは乗り物酔いをしても、仕事がある限りやり続けるものなのですね。仕事として満足できるまでは「もう一回、まわってくれますか?」とまで言えてしまう! すごい。いやあ、あっぱれです。負けました。「もう古墳なんてどうでもいい」と心のなかで叫んでいた自分の、なんというプロ根性のなさ。

 乗り物酔いでぐったりした二人は、航空会社の受付のソファを借りてしばらく休んでいました。航空会社の営業の人はなんだかとてもうれしそうに、旋回中はどういう姿勢でいれば酔わないか、ということをしきりに説明してくれていましたが、力無く頷きながら耳はなにも聞いていません。(もう二度と空撮はしませんからけっこうです)と私の心は力無くうなだれるばかりでした。セスナの旋回はおそろしい。どうか皆さん、空撮にはくれぐれもご注意ください。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)