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 どこでもどうぞ
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 自分の机はない。電話は携帯電話。紙の書類は回さない、つまり伝票も企画書もすべてパソコンの画面上で処理する。このようなスタイルのオフィスが増えているようです。会社支給のノートパソコンと、会社支給の携帯電話が仕事の道具のすべて。机がないと言ってもそれは個人用の固定された机がないということで、広いオフィス空間には四人から五人用のテーブルがランダムに並んでいる。どこに座るかはその人の自由。朝出社して、ノートパソコンをポンと置けば、そこがその日の自分の机になる、というシステム。仕事上でおつきあいのある方がその最新式オフィスで働いていて、この前ちょっと見学させてもらったのです。

 共有テーブルには引き出しはありませんでした、たぶん。でも個人用のロッカーがあったので、爪切りだの常備薬だの置き傘だのは保管できるのでしょう。でもお茶を淹れるマイポットはどこに置けばいいんだろう(そんな人はあんまりいないか)。何種類もある辞典類はどうすれば。いや、辞典類はCD-ROM版を買ってパソコンにインストールすればいい。しかしティッシュボックスは共有テーブルではどことなくおさまりが悪いし……と、個人用机で四半世紀仕事をしてきた自分の身の回りを考えると、新しいスタイルのオフィスに移行してしまったら、適応するまでにはかなりの時間と心の入れ替えが必要だということがわかります。

 そんなことをつらつらと考えていると、今のご時世からすれば編集の仕事はきわめて「古くさい仕事」なのかもしれない、と気づきます。校正用紙に印刷されたゲラが出校し、そのゲラをもとにチクチクと赤ペンで校正をする。ゲラを著者にお届けする。場合によっては著者と横並びに座ってゲラのチェックをしていくこともある。そもそも出来上がってくるものは昔と変わらない紙とノリとインクで作られた本であり雑誌なのです。途中の工程にはデジタルの要素はたくさん入っていますが、入口と出口はかなりアナログといっていい。

 写真はデータで受け取ってデータを入れる場合も増えました。しかし私のかかわる「考える人」と「芸術新潮」はカラーポジの割合がまだ9割近く。数年前に、大手広告代理店のクリエイティブの方にうかがったところ、デジタルカメラを使用する割合はこちらとまったく逆で、「ほとんどデジタルカメラですね」ということでした。最近は記者会見にでかけて行くと、その場でノートパソコンで原稿を打ち、デジタルカメラのデータをそのままメールしている人もめずらしくありません。新潮社は全般的にかなり遅れているのかもしれません。

 などと考えながら、新潮社の食堂で昼ごはんを食べていたところ、「なんだ、最新式オフィスって、食堂なんだ」と気がつきました。食器を自分で運んできて、座ったところが自分の席。食事が終わったら自分で片付けて出て行く。そうか、この前に見せてもらってびっくりした最新式オフィスって、食堂と同じと思えばいいんだ。

 新潮社の社員食堂はもちろんどこに誰が座ってもよいことにはなっています。が、営業部の人はだいたいこのあたり、校閲部の人はあのあたり、編集部はあそことここ、というように、なんとなくの棲み分けができています。もちろん営業部と編集部が同じテーブルにつくこともありますし、いろいろではありますけれど。

 私の場合も、30か40ぐらいあるテーブルのうち、3つか4つのだいたい決まったテーブルにつく傾向があります。同僚とお互いに時間の折り合いがつかず、食堂で昼ごはんを食べながら仕事の相談をしようという場合には、いつもと違った奥まった席に座ることもあったりします。席が変わると景色も変わり、なんとなく落ち着かないものの、ちゃんと話をしようとする気分になるから不思議なところです。

 と思っていたら、タイミングよく最新式オフィスで働いている人から電話がかかってきました。「オフィスの机ですけど、どうですか、もう慣れました?」「もう大丈夫ですよ」「何がいちばん良かったですかね?」「書類の山から解放されたのが何と言っても気分がいい」「……」「編集の仕事じゃ、こういうわけにはいかないでしょうけど(笑)」「まあそうなんですけどね。今日座っていらっしゃる席って、昨日と違うところですか?」「え? 同じですよ」「同じですか?」「そうそう。だいたい同じ席に座っちゃいますね、そういえば」「だいたい部署ごとに座るんですか」「そうですね。ウチの部署は同じテーブルです」「ははあ」「そういう意味では、なんか面白くないかもしれませんね」「あははは」「同じ顔ぶれで同じ仕事をしているのもねー」「ふむふむ」

 最新式オフィスのスタイルは、アナログかデジタルかで分ければやっぱりデジタル。必ずしも昨日と今日が連続的につながっていなくてもいい、という考え方です。それではと、手元の大きな「大辞林」で「デジタル」をひいてみたら、「物質・システムなどの状態を、離散的な数字・文字などの信号によって表現すること」とありました。「離散的」をひいたら、「連続的な集合の部分集合が、ばらばらに散らばった状態であること」。わかったようなわからないようなですが、要するにデジタルって「ばらばら」なんですね。

 ところが人はなんとなく集まって一緒になってしまう。いつもと同じ場所に座る。それはすなわち人間の保守性にすぎないのかもしれません。でも見方を変えればアナログは意外にも無言のうちにデジタルをねじ伏せる粘り腰の持ち主なのか、という気もしてきます。十人ぐらいの会食の席で、お互いに曖昧に遠慮しながら席が決まっていく感じがそれほど嫌いではない私としては、パッパッと無意味に席が決まるより、それはそれで落ち着くなあと思うのです。アナログはしぶとく味わい深い。

「まあまあどうぞ」「いやいや」「どこでもいいじゃないですか?」「そうですかね」「そうですよ」「へへ、じゃとりあえずここに」

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)