┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 サウジくん
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

 学問の世界で「クスクス笑い」を生む要素を持つものがあるとすれば、それは文化人類学ではないか、と思います。大学時代に西江雅之さんの言語学・文化人類学の講義を聴いていたときには、そんなことは気がつきませんでした。いや、うすうす気づいていたのかもしれません。なにしろ西江先生の授業は、語尾が笑い混じりになることが多いのです。当時は西江先生の話し方の癖ぐらいにしか感じていなかったのですが、いまになってみると、その笑いは、文化人類学や言語学に本質的に含まれるものの現れだったのではないか、と思います。西江先生はたとえばこんなエピソードを、実にうれしそうに話されるのです。

 ほぼ全裸と思われる姿で暮らしていたアフリカのカリモジョン族の村に、しだいに「文明」の波が忍び寄ってくる。Tシャツや短パンも、ヨーロッパやアメリカから彼らの手に届くようになる。しかし彼らは、Tシャツこそ喜んで着るようになったものの、短パンだけはどうしても穿こうとしなかった。かくして、上はTシャツ、下半身は裸、という中途半端な格好があちこちで見られるようになった。西洋人がある日、彼らの一人をつかまえてこう尋ねる。「どうして君はパンツをはかないのか?」恥ずかしそうに答えて曰く、「パンツをはくなんて、そんな恥ずかしいこと、できないよ」。

「文明」という視点でファッションを見ると、いろいろな素材とデザインで圧倒的な多様性を誇る西洋人のファッションのほうが何歩も先を行っているように思われます。しかし文化人類学の視点から見れば、「着る」という意味合いにおいてアフリカも西洋も等価だということになる。カリモジョン族はほとんど裸でしたが、木の三つ叉の部分でつくった素朴な小さな椅子のようなものをつねに手から提げて歩いていたそうです。どうやらその椅子も、実用性よりもからだの一部、つまりファッションのようなものであるらしい。だから彼らから椅子を取り上げてしまうと、とたんに所在ない表情になるというのです。

 そのようなエピソードを講義のなかで話すうち、西江先生の語尾には笑い声が混じってくるのでした。人間という愛すべき生き物が真面目な顔をしてとる行動のおかしさに、自然と笑いがわきあがってくる、ということだったのでしょうか。誤解のないよう念をおしておくと、それは「未開の人のふるまいを笑いものにする」という行為からはもっとも遠いものでした。西江先生はケニアの話をしたときに、なんと言えばいいのか、ちょっと心外そうな顔をしてこうも言いました。「いいですか、ケニアというと、ライオンやゾウ、サバンナだけと思っていたら大間違いで(笑)、ドストエフスキー全集もシェイクスピア全集もあるし、ハリウッドの最新映画の公開は日本より早いぐらいです」。

 西江先生はよく、「人間は、そのようにしか生きていけない」とおっしゃいました。つまり、パンツをはかないなんて恥ずかしい、という文化の下に生まれ落ちればそのように、パンツなんか恥ずかしくてはけない、という文化の下に生まれ落ちればそのように生きていくしかない。そこに生まれついたことが、そこに暮らす人間の価値観と行動の規範をつくる。パンツをはく、はかない、ひとつとっても、思いがけない違いが地球上には存在するのです。恥ずかしいという感覚も、絶対的なものではなく相対的なものに過ぎない。西江先生の笑いは、そのあいだで揺れ動く人間の、可愛らしいといってもいい両義性に呼び起こされたものではなかったか。

 ある作家の方が、サウジくんと命名した同僚がいます(社内でそう呼ばれているわけではありませんが、今回は私も「サウジくん」と呼ばせてもらうことにします)。サウジくんは父上が中東と共同で石油事業を営む会社に勤務していたため、たしか幼い頃から中学生くらいまでの間、サウジアラビアやロンドンに住んでいた、と聞きました。いわゆる「帰国子女」です。大学院では文化人類学を学んでいたらしい。サウジアラビアで育ち、中東はもちろん、海外諸国の諸事情にめっぽう詳しく、旅に出るのも好きというキャラクター。ということから「サウジくん」というあだ名がついたようです。

 このサウジくんがまた、実によく笑うのです。出版部の席や食堂の席で、溌剌とうれしそうな声で話し、しかも語尾にたどりつく手前あたりでさらに大きなボリュームで笑うので、知らない人から見ると、「ちょっとこの人、大丈夫?」と思われても仕方がないぐらいのよく「笑う男」なのです。食堂で一緒になると、彼の笑いに誘われて、私もかなり大きな声で笑います。食堂で大口をあけて笑う、あやしい中年男ふたり。

 10月4日にまもなく発売になる最新号の特集「家族が大事 イスラームのふつうの暮らし」はサウジくんが企画し、取材し、原稿を書いた特集です。旅慣れたサウジくんも、仕事となれば緊張感が増してくる。中東への出張ですから、万が一のことがあったら大変です。何よりもまず安全を第一に行ってきてください、と声をかけました。実際、彼が帰国してほどなく、イスラエルのレバノンへの攻撃が開始され、多くの死傷者が出ました。そのエリアは、取材した家族の住宅からたった四キロしか離れていませんでした。取材時期がずれていたら、現地に入ることもできなかったでしょう。

 私は「文明の衝突」という言い方がどうしても好きになれません。それよりも、サウジくんや西江先生の笑いの方をとりたい、と思うのです。表だって相手を笑ってしまうと、それこそ衝突を生み出しかねませんが、「こちら側」からその差異をうれしそうに笑う、というぐらいの毒消しはあってもいいのではないか。笑える場所さえ残しておけば、衝突へと向かう勢いを減じ、時間を稼ぐことができる。笑いは、ある種の愛情表現でもある。そう思うのです。

 サウジくんは多くを語りませんが、中東の家族を連日取材するなかで、彼らの歓待、すなわちご馳走攻めにあい、多少体調を崩した場面もあったようです。しかしおそらく、サウジくんは笑いながらそれらの「難局」を乗り切ったのでしょう。写真に写っているイスラームの人々も、柔らかい表情をしている。これは同行してくださったカメラマンの吉竹めぐみさんの功績も大きかったのだと思います。今回の特集の記事は、私にとっても大きな発見がいくつかありました。知らなかったことも多く、勉強にもなりました。ひとりでも多くの読者に読んでもらいたい特集になったと思います。来週水曜日発売の最新号をどうかご期待ください。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)