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 アレルギー
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 以前にも秋の花粉症のことを書きましたが、「今年は快調。花粉症はなさそうだな」と思っていたところ、この週末に冷たい雨にあたったせいか風邪をひいてしまい、体力が落ちると同時に、月曜日から鼻の奥がもみじの紅葉を散らしたように充血し、そのひりひりのあたりからじわじわととめどなく鼻水が発生し、くしゃみもとまらない状態に突入しました。ただでさえ風邪でからだがだるく頭が重いのに、くしゃみという瞬発的な高速の動きが加わって、腰まで痛くなってくる。

 とくに朝がひどいのです。眠っているあいだは、なぜかくしゃみは出ないのに、起きたとたん、誰かが蓋をこじ開け、缶の中に入っている正体不明の白い粉を吹き飛ばされでもしたように、くしゃみの発作が始まるのです。顔の皮膚も咽喉の粘膜もくしゃくしゃになり、涙まで出てくる。ほんとうはアレルギー用のくすりはのみたくないのです。が、まともに動けなくなってしまうので、このままでは会社にも行けません。喉がからからになり眠くなることを覚悟して、とにかくくすりをのみます。そして症状がおさまるまでしばらくソファで横になって恢復を待ちます。三十分も待てば、気持ち悪いほど鼻の症状はおさまります。

 思い起こすと、いちばんアレルギーがひどかったのは、中学高校時代でした。その頃はくしゃみの出ない鼻炎でした。冬がとくにひどくて、両方の鼻がつまってしまうのです。鼻がつまれば口呼吸しかできませんから、四六時中ぽっかりと口をあけている状態が続きます。あまり人に見せられる顔ではありません。点鼻薬をスプレーすると、いったんはスースーと鼻が通るのですが、時間が経てば元の木阿弥。常用していると、使用頻度も使用量も増えて、薬が切れたときのリバウンドがひどくなります。いつも鼻の周辺が膨張しているような感覚になってくる。

 結局なぜ鼻づまりが治ったのかはわかりません。最後までしぶとくのんでいた漢方薬が効いたのか、体質が少し変化したのか、鼻づまりのもとになるアレルゲンがなんらかの理由で除去されたのか。しかしその後は突発的に目が痒くなる症状が始まって(就寝中に無意識にかきむしってしまうらしく、朝起きるとまぶたが開かないほど目がはれあがったりします)、ここ数年は秋のアレルギー。手を変え品を変え、アレルギー症状がつきまといます。

 高校、大学時代に吉行淳之介さんの作品やエッセイを耽読したのは、いろいろな理由がありますが、吉行さんがアレルギーの持ち主であったことも大きかったと思います。たしか吉行さんは、重いアレルギー患者が亡くなったとたん、アレルギーがおさまって、ただれていた皮膚がみるみるときれいになっていく、という幻想的な描写をされていたことがありますが、生きていることそれ自体がアレルギーの原因であることは間違いなく、そう考えると、なんとなく切ない気持ちになってきます。

 体調はあらゆることを左右します。思考力が落ちる。忍耐力も落ちる。感情の起伏が単調になる。他人に親切な態度をとることができない。人間の暮らしを保つ目に見えない約束ごとは、アレルギー症状ひとつで反故にされかねないほど危ういバランスの上に成り立っている──などと大げさに物事を考え始めたりもします。

 とりあえず生死の問題にまでは及ばないアレルギー症状ですら、これほどの影響を受けるのですから、重篤な病を得たら、いったいどんなことになるのか。修業が足りないなあと思います。しかし、アレルギーに対する修業と言われても、いったいどうしたら。今回は次号の小津安二郎の特集のことなどについてご報告を、と思いながら、ぼーっとした頭がなかなか整理がつかず、自分のことばかり書いてしまいました。ご容赦のほどを。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)