┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 鍵はかけない
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

 映画監督・小津安二郎を特集した最新号が年末に発売になり、ちょっとホッとしたところで、久しぶりに小津安二郎の遺作「秋刀魚の味」をDVDで見ることにしました。映画公開は1962年。小津が亡くなる一年前の作品です。すでにカラー作品となって六作目。映画の冒頭は赤白ツートンカラーの煙突からもくもくと白煙がのぼっていく光景が描かれています。日本は高度経済成長の上り坂の途中にあり、東京オリンピック前の世の中はあちこちが工事中であった騒々しくも埃っぽい時代。しかし映画の紅白煙突は公害を予感させるどころか、清潔で明るい未来を暗示するような光景に見えてくるところが不思議です。

 その煙突のけむりが会社の窓からも見える場所で働いているのが、元海軍の駆逐艦艦長で今は真っ当なサラリーマン(役員クラスか?)の笠智衆。仕事といえば書類を見てハンコを押すことぐらい。仕事はおだやかに進行し特別の問題はない様子。しかし悩みの種はあって、それは自分の娘(岩下志麻)がまだ結婚していないこと。妻に先立たれたので、笠智衆の身の回りの世話やまだ大学生の次男の世話を、長女である岩下志麻が、妻がわり母親がわりになって引き受けているらしい。

 長男(佐田啓二)はすでに結婚し(相手は岡田茉莉子)、狭い団地の部屋で、最新型の冷蔵庫を買いたい、上等なゴルフのクラブを買いたい、とささやかな物欲のようなものを駆動力に、スタートラインに立ったばかりの消費社会にすでにたっぷりと順応している様子。そして、物語は岩下志麻の結婚のゆくえと、外からはうかがい知れない笠智衆の心の揺れをめぐってゆるゆると進んでいきます。

 佐田啓二と岡田茉莉子の夫妻は、当時はまだ少数派の「最先端」だったに違いない共働きですが、同じ団地の廊下の並びに住む「お隣さん」に足りなくなった醤油や味噌、野菜を借りたり貸したりするような庶民派でもあります。だから当時、洗濯機とテレビとあわせて「三種の神器」とまで呼ばれた最新型の冷蔵庫をポンと気軽に買えるわけもない。資金は佐田啓二が実家を訪れて、少し決まり悪そうに父親に交渉し、「出資」してもらいます。ちょっと多めに借りて、ゴルフのクラブまでこっそり買ってしまおうとするちゃっかりしたところも。

 映画のそのような場面で、実家や長男の家の玄関が何度となく映ります。その途中で「あれ?」と気づいたことがありました。格子のガラスの引き戸である実家の玄関も、ちょっと安普請な感じのする団地の木製ドアも、基本的に「鍵がかかっていない」のです。亡くなった妻に面影の似る岸田今日子がママをやっているバーで、笠智衆が深酒をして夜遅くに帰ってきても、酔っぱらった手でガラス戸をガラガラと開けて入ってくる。岡田茉莉子が「お隣さん」にトマトを借りにいくときも、団地のドアは気軽にパッと開けられて、それが当然という気配。

 外出していた家族が夜遅くに帰ってきたら、その到着を待って鍵ははじめてかけられる。確かに思い起こせば、私が小学校一年生(つまり1964年頃)まで住んでいた古い平屋の日本家屋では、玄関の鍵は夜、父親が七時頃に帰ってきてからもしばらくそのままで、就寝するちょっと前ぐらいにかけられていたような気がします。なにしろ当時のガラス戸は、何と言えばいいのでしょうか、ねじねじねじと回して締めてゆくタイプの鍵でしたから、昼間に人が出入りするたびに、いちいち鍵をかけたり開けたりなどしていられるようなものではありません。  しかし、世の中全体が「秋刀魚の味」のように穏やかでのんびりしていたのかと言えば、たとえば翌年に公開された黒澤明の映画「天国と地獄」を見ると、しっかりと玄関に鍵をかけてもなお、悪におびやかされる主人公を描いたような作品でした。登場人物である会社の役員たちは、ハンコを押す暇も惜しんで派閥だの乗っ取りだの、きな臭い会社の力学のなかを必死で生き延びようとしています。「天国と地獄」に描かれる人間の姿は、サスペンス活劇という設定を差し引いたとしても、「秋刀魚の味」とはかけ離れたものでした。しかし、「天国と地獄」に描かれた日本の姿は、必ずしも絵空事とも言い切れないリアルなものとして、今の私たちを引きずり込む力があります。

 70年代、80年代、90年代を経て、今ここにいる私たちが、「秋刀魚の味」と「天国と地獄」に描かれた世界のどちらに通じる道を選んだかと考えてみると(ちょっと強引な二者択一ですが)、答えは明らかになってきます。小津安二郎の映画世界は、当時現在進行形で見ていた人に言わせれば、退屈でマンネリで何が面白いのか、と否定的に見る向きも少なくなかったらしい。ドアはしっかりと閉めよ、鍵もかけよ。一刻を争え。秋刀魚のはらわたの苦みと、七輪であぶられた秋刀魚のけむりに目がしみることよりも、ジェットコースターで味わうような天国と地獄の落差を生きること。私たちが生きるリアルな世界は、どうやらそちらの方へと舵を切ったらしい。

 と、唐突ながらふたつの日本映画を並べて考えていたら、私の家のご近所に回覧板を届けに行ったときの光景を思い出しました。それは去年の夏の終わりの頃のことでしたが、風通しをよくするためなのか、玄関が全開の状態で、レースの暖簾が揺れているお宅があったのです。何度か声をかけても誰も出てこないのでお留守かと思いきや、しばらくして「気がつかなくてすみませーん」とご主人が奥から出てきました。物騒といえば物騒。でもまあ、大丈夫といえば大丈夫。何重にも鍵をかけ、セキュリティ会社と契約した家と、どちらが本当に安全なのか。簡単には言い切れないものも残っているのではないか、と思わないでもありません。

 日中は鍵をかけない家が「絶滅」したわけではない。だとすれば、「秋刀魚の味」系の日本はまだほそぼそと残っている? みなさんのお宅の玄関はどうでしょうか? いつも鍵がかけられていますか?

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)