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 道を変える
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 通勤に使っている地下鉄の路線はいつも同じです。自宅最寄りの駅から乗り換えなしの一本で会社の最寄りの駅に着く。卒業した大学はそのひとつ手前の駅でしたから、約三十年間この路線にお世話になってきたことになります。……いや違った、一人暮らしをしていた頃は渋谷に住んでいましたから別の路線時代もありました。いずれにしても毎日同じ路線で通うのは、その人が学生や社会人であることの証し。自分がとりあえず何者であるかを身体的に思い知らされるのが、通学、通勤というものなのかもしれません。

 しかし先週の一週間は毎朝、ちょっと寄り道をしなければならない事情があり、他の路線を使って会社まで来ていました。この路線は数年前に開通した地下鉄です。いままではお寺の塀があったはずのところに、突然地下鉄の出入り口が出現し、階段をおりてゆくと予想以上に大きい駅の構内が広がっていて、いつの間にこんな立派なものが、とびっくりさせられました。構内の壁は土塀風の茶色で、乗降客がそれほど多くないせいもあり、どことなくしんとした空気が漂っています。そして駅の地上出口から会社までは歩いて五分ぐらいで着いてしまうことも判明。同僚のあいだでこの路線に切り替えた人も結構いるようです。私も先週は毎朝七時半すぎにこの地下鉄の出口からとろとろと歩いて会社に向かいました。

 この新しい駅から会社までの道のりは、これまで何度か歩いたことのあるルートではあったのです。しかし朝の時間帯に歩くのは初めて。地上出口からすぐの横断歩道を渡り、向こう岸にある狭い階段状の坂をのぼると、あたりはもう普通の住宅街。ぼんやりとした、よちよち歩きの老犬の散歩をしている人がいたり、色とりどりのチューリップが咲いているプランターに水をやっている人がいたり、私とは逆方向に、つまり駅に向かって通勤途上、という表情の人にもぽつりぽつりと出会います。狭い道を右折したり左折したりしてクネクネと歩いてゆくと、やがて住宅街の向こうに、新潮社の黒っぽいビルの裏側が突如現れて、到着というわけです。

 ふだん使っている駅の、行き帰りの路上ですれ違う人々は、目的意識がはっきりと顔に出た人が多い。つまり、「これから地下鉄にのる」と顔に描いてあるか、「地下鉄を降りて地上に出てきた。これから目的地までとにかく歩いてゆく」と描いてあるか、どちらかなのです。たまにそうではない人がいるとパッと目に入ってしまう。たとえば道に迷っている人はすぐにわかります。歩調にも表情にも割り切れないような澱みが現れていて、人の流れから浮いている。

 通勤途上の人たちの胸の内や頭の中は、「あー会社か。まずあれから手をつけるか」とか「今日の食堂のメニューは何だろう」とか「頭が痛いなあ」とか様々な言葉やイメージがいっぱい渦巻いていて千差万別なのでしょうが、外に現れている身体的なふるまいとしては実に単調そのもの。歩くスピードにもあまりばらつきがなくて、それぞれがワン・オブ・ゼムという顔をしています。水族館のマグロの大回遊を見ているようなところがある。ところが住宅街ですれ違う人たちにはまったくバラバラの顔つきやスピードがあって、個人の表情が立っているのです。

 いつもとは違う道では、住宅街に並ぶ塀の向こうに、思い思いに植えられている草や樹木を見上げる楽しみもありました。毎日、新緑の範囲が刻々と広がってゆく様子も新鮮で、昨日は満開だった花がもう散り始めていたりもする。大木の見えない梢のあたりで知らない鳥が気持ちよさそうに囀り続けているのが聞こえる。自分が目をやる場所も、くるくると変わります。これは通勤というよりは散歩だな、と思いながら、会社までのたった五分を楽しんでいる自分を発見します。

 たまには道を変えてみるのも必要なんだな。仕事は好きなのに、会社への坂道をのぼっていくときはどうしてこんなに気が塞ぐのだろう、と思っていたのが、路線と道を変えただけで、なんとなく晴れやかな気持ちで会社にたどり着くことができたのです。まだ誰も出社していない編集部で、ひとりで仕事をやっていると妙にはかどるのも気持ちがいい。

 ここのところ東京は冷たい雨が降り、散歩どころではありませんでした。天気予報によれば今日の午後あたりから寒い雨の日々にもそろそろ区切りがつきそうです。来週からはまた通勤路を変えて気分も変えてみようかな、と思いながら、肌寒い今朝の、雨上がりの曇り空を見上げていました。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)